藤沢里菜女流本因坊が感謝してもし足りない人物とは

「世界のトップには、簡単には追いつけないと思います。でも、それを何とかするのがプロだと思うので、一生懸命勉強するしかありません」と藤沢里菜女流本因坊は語る 撮影:小松士郎
11歳6か月での入段が史上最年少記録ならば、昨年6月の女流囲碁トーナメント戦優勝も15歳9か月という女流タイトルの史上最年少獲得記録。さらにその4か月半後には女流本因坊も奪取して二冠に。今や女流碁界のトップに立ったと言っても過言ではない藤沢里菜(ふじさわ・りな)女流本因坊が今回のゲストである。
藤沢秀行名誉棋聖(故人)の孫、藤沢一就八段の娘ということを考えると、現在の姿を宿命づけられていたようにも思えるが、ここに至るまでの道のりがすべて順風満帆だったとも思えない。
まだ5年ほどの棋士人生ではあるが、そこには彼女なりのドラマがあったはずだ。ここでは、碁に打ち込める環境を整え、懸命にサポートしてくれた母への思いを聞く。

* * *

秀行先生は私にとって、あまりに偉大すぎる存在なので、祖父だということを忘れてしまうことがあるほどです。棋風は全然違うのですが、先生の発想は考えもつかないので、いつか同じような発想ができる日がくれば幸せですね。
先生の世代のファンの方から「応援しているからね」と声をかけていただくことも多いのでとてもうれしいですし、これからどんどん期待に応えられたらいいなと思っています。

■母に感謝!

碁を覚えたのは6歳のときで、先に始めていた兄が打っているのを見て面白そうだと思い、私も教えてもらうようになりました。
そのころの記憶ははっきりしていないのですが、負かされてよく泣いていたことだけは覚えています。碁を始めて約1年後、7歳のときに洪清泉先生(現プロ二段)の道場に通い始めたのですが、洪先生に九路盤で教えてもらって負かされただけで泣いたような記憶があります。
洪道場はプロを目指す子供のための教室ですから、私もそのつもりだったのですが、何と言っても7歳ですから、プロがどういうものかも理解はできていなくて、実際のところは「面白いから続けたい。強くなりたい」という気持ちだったのでしょう。
洪道場に通うにあたっては、母がいろいろと手助けをしてくれました。兄と一緒に通い始めたのですが、道場の近くへ引っ越してくれたり、送り迎えに付き添ってくれたり、仕事の合間を縫ってお弁当を届けてくれたり…。大変だったと思います。
当時はまだ子供でしたから「お母さんの期待に応えよう」という気持ちは持てていなかったと思いますが、私たちを最優先に考えて頑張ってくれているのは分かっていました。ですから感謝の気持ちは常に持っていましたね。
そして母も碁がアマ有段者ですから、いろいろ勉強も手伝ってくれました。洪道場から帰ってきて家で詰碁をするのですが、一緒に解くと言いますか、私がやっているのをそばで見ていてくれて、ページをめくってくれるとか…。
大会に参加しても、母がいつも私の後ろに立っていました。そして対局後に「大事なところで早く打ち過ぎじゃない?」とかアドバイスをしてきたことも…。スパルタとまではいきませんが、多少そういう面もあったでしょうか。でも母が懸命にサポートしてくれて、私が碁だけに打ち込める環境を整えてくれたからこそ今の私がある──これだけは絶対に間違いのないことで、どれだけ感謝しても足りることはないと思っています。
■『NHK囲碁講座』2015年9月号より

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