「進化論」以前の世界

1859年に刊行された『種の起源』は、生物の進化がなぜ起こるのかを「自然淘汰」という理論で説明し、膨大な観察と実験によってそれを実証しようとした、最初の書物である。進化の概念が広く知られる前、自然はどのように研究されていたのだろうか。進化生物学者・総合研究大学院大学教授の長谷川眞理子(はせがわ・まりこ)氏に聞いた。

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「進化論」という言葉は、みなさんもすでにご存じかと思います。でも、それがいったいどんな理論なのかと問われたら、多くの人は答えに窮(きゅう)するのではないでしょうか。「高い場所の葉を食べようとしたキリンの首がどんどん伸びていった」とか「ゴリラが進化すると人間になる」などが思いつくでしょうか。実は、残念ながらどちらもハズレです。
「進化論」とは、ひとことで言えば「生物とは不変のものではなく、世代を経て次第に変化していくものである」という考え方のことです。
「進化」という概念は古くからありましたが、広く知られるようになった時期は比較的新しく、今から150年ほど前のことです。それ以前のヨーロッパでは「神様が天地創造の際にすべての生き物をつくり、動物も植物も変化することなく今に至っている」と信じられていました。こうしたキリスト教的世界観を根底から覆(くつがえ)し、「進化」の科学的世界観を私たちに示してくれたのが、1859年に出版されたダーウィンの著書『種の起源』です。
では、この本の話に入る前に、まずはダーウィン以前、自然はどのように研究されていたのか、博物学の流れを簡単に振り返っておきましょう。
博物学とは、自然界のあらゆるものを観察し分類する学問と定義されます。そもそも、なぜ人間は自然や生き物について詳しく知る必要があったのかと言えば、自然や他の生き物について知ることが、人類が地球上で生存するために重要な意味を持っていたからにほかなりません。私たちは日々、動物や植物を食べて暮らしています。そのなかには毒のある生き物もいれば、人間を襲う肉食獣もいます。一方で、病気に効く薬草や、人間に役立つ生き物も存在します。おそらく人類は、狩猟採集民として集団で生きるようになった遥か昔から、この世で生き延びるために「食べられるか、食べられないか」「役に立つか、立たないか」「危険か、安全か」といったことを知識として共有する必要があったのだと思います。
地球上に誕生したあらゆる文明において、自然を観察し記述する文化が育まれていたはずですが、博物学はとくにヨーロッパで目覚ましい発展を遂(と)げることになります。
古代ギリシアの哲学者アリストテレスがそのはしりです。彼は森羅万象すべてに目を向け、世界全体を観察、記述したことで知られますが、その膨大(ぼうだい)な著書のうちの一冊『動物誌』には、約520種もの生物の生態や形態が事細かに記述されています。
やがて13世紀に入り、探検家マルコ・ポーロによって、中央アジアや中国の情報がもたらされ、さらに1492年にコロンブスがアメリカ大陸を「発見」したのを機に、ヨーロッパの人々はそれまで見たこともない豊かな自然や多様な生き物の存在を知ることになります。こうした探検や植民地政策でもたらされた情報が「世界をもっと知りたい、記述したい」という人々の好奇心を刺激し、その後のヨーロッパにおける博物学の発展につながっていったと考えていいでしょう。
また、ヨーロッパにおいて博物学がとくに発展した理由には、キリスト教も関係しています。キリスト教では「神がこの世のすべてを創造した」とされているため、自然や生物の仕組みを知るということは、すなわち「神の意図の全貌を知ること」を意味します。だからこそ彼らは「いかに神様がつくった世界が合理的にできているのかを理解したい」という欲求を持ち、世界のすべてを観察し分類するという方向に向かっていったのかもしれません。
■『NHK100分de名著 ダーウィン 種の起源』より

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