賢明な君主の政治とは

荘子(荘周)(『三才図会』より)
「不測に立ちて無有(むう)に遊ぶ」。
『NHK 100分de名著 荘子』の講師を務める作家・僧侶の玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)氏は、『荘子』の応帝王篇に登場するこの言葉を非常に痛快だと感じ、中国を訪れた時にこれを彫った判子まで作ってしまったほどであるという。その意味を解説していただいた。

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陽子居(ようしきょ)と老子の問答の中に出てくる一節で、明王(賢明な君主の意)の政治を問う陽子居に対し、老子が最後にこう言うのです。
明王の治は、功は天下を蓋(おお)えども、己(おの)れよりせざるに似たり。化(か)は万物に貸(ほどこ)せども、而(しか)も民恃(たの)まず。有れども名を挙ぐる莫(な)く、物をして自(おの)ずから喜ばしむ。不測に立ちて無有に遊ぶ者なり。
「為政者の仕事の効果は天下を覆っていながら、しかもそれを為政者のお陰とは思わない。教化感化は万人に及びながらも、人々はなにゆえの変化か知らないから何かを頼ることもない。政治の力ははっきりありながらしかも気づかれず、人は自然に喜んで暮らしている。明王とは、どう変化するか先の予測がつかない状態で、人がそれと気づかないあり方を遊ぶ存在なのである」
これはまさに、未来を憂えない生活の指針だと言えるでしょう。道徳を掲げ、一定の目標を現実に引き寄せようともがくのではなく、とりあえず現実を容認し、それに順応していく。荘子に言わせれば、予測とはまさに人為であり、人を不自由にするものです。むしろ不測に立ち、何も予測せず無心でいることが一番強いのです。
このことが最もはっきりと分かるのが武道の世界です。柔道でも剣道でも、試合で相手と対峙した時、相手がどんな動きをするかシミュレーションするよりも、無心でいる方が強い。予測と違った動きをされた時の反応の遅れは致命的です。何も考えていないというのが、最も速やかに対応できる状態であり、それが強さになるわけです。
「不測に立ちて無有に遊ぶ」。荘子によると明王はこれで国を治めたと言いますが、もちろん実際の政治においてはありえない考え方でしょう。政治の仕事とは予算を立ててそれを執行することです。予算を立てるということは、まだ起きていないことを予測し、実現の計画を立てるわけです。そこで「不測に立ちて無有に遊ぶ」を実践することは難しい。ただ、個人においては、考えてみる価値は充分にあるのではないでしょうか。今の日本では、仕事でも家族のスケジュールでも、誰もが計画を立てすぎているように感じることがあります。いろいろなことがあまりにも細かく決まっているため、氣で感じるとか、直観に頼るといった機会がないのではないでしょうか。
「無有に遊ぶ」に込められた意味は、未来はここにはないのだから、「ないという今を遊ぶ」ということです。多くの人は、今日やるべきことが終わると、明日やることをつい引き寄せてしまいます。「明日できることは今日やらない」という強い信念がないと、人間は休めない。「無有に遊ぶ」とは、忙しい現代の私たちにとっても大事な教えなのです。
■『NHK100分de名著 荘子』より

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『荘子』 2015年5月 (100分 de 名著)
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