言葉は心を外に放つ「通路」──『アンネの日記』に見る少女のリアルな声

アンネ・フランクの銅像
ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)によって「世界でもっとも読まれた十冊」のうちの一冊にあげられ、2009年には「世界記憶遺産」にも認定された『アンネの日記』。エッセイ『アンネ・フランクの記憶』などを著した作家の小川洋子(おがわ・ようこ)氏は17歳のときに『アンネの日記』を読み、深く共感を覚えたという。

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アンネは日記のなかで、「紙は人間よりも辛抱(しんぼう)づよい」という言い習わしを書き記しています。心の内に抱えている限り、もやもやと渦を巻き、袋小路に陥ってしまうだけの感情も、言葉にして紙に書きつけることで、外に放つための「通路」ができる。彼女ははやくからそれに気づいていました。わたしが17歳で『アンネの日記』を読み、もっとも共感したのもこの部分でした。反抗期の只中にあるとき、自分とまったく同じ問題を抱え、それを言葉に表現することでより深く自己の内面と向き合っていた人がいた──それは、とても衝撃的な出会いでした。
たとえばこの部分です。
でもわたしはもう赤んぼでもなければ、なにをしても笑って許される、甘(あま)やかされた駄々(だだ)っ子でもありません。自分なりの意見も、計画も、理想も持っています。ただそれを、うまく言葉では言いあらわせないだけなんです。

(1943年10月30日)



母親が、「あなたのことは何でもわかっているのよ」という態度で接してくるときの、あの嫌悪感──。それに対して言い返したい気持ち──。自分はもう赤ん坊ではないという、当たり前のことをわかってもらいたい苛立ち──。そうした感情を彼女は、とても明確に書いています。
アンネが日記に、人に言えない気持ちを語ったように、わたしは『アンネの日記』を読むことで、「そうだ、そうだ」とアンネの言葉にうなずき、彼女に心の内を聞いてもらっている気になりました。そして彼女が持つ言語感覚の鋭さ、言葉の豊かさに憧れを抱くようになったのです。
自分も真似(まね)をしてなにか書いてみようと思うものの、実際はこんなにはうまくはいきません。日記をつけてみても、ただの愚痴(ぐち)や不満や、読み返す価値もない文章のつらなりにしかなりません。それでも野球少年がグローブを抱いて寝たり、いつもボールをポケットに入れているのと同じように、わたしはつねに紙と言葉に触れていたいと感じるようになりました。だんだんとものを書く原初的な喜びを知り、自分にとって書く行為こそが人生で必要なことだと認識するきっかけを与えてくれたのが、『アンネの日記』なのです。
大人が思春期を回想して書いた文章とは違う、思春期の少女のリアルな声がここにはあるのです。
■『NHK100分de名著 アンネの日記』より

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『アンネの日記』 2015年3月 (100分 de 名著)
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