兄弟子・村山聖九段とのかけがえのない日々

増田裕司六段(右)と森 信雄七段(左) 写真:河井邦彦
「満26歳の誕生日を含むリーグ終了までに四段になれなかった場合は退会」……中学3年生で奨励会入りした増田裕司(ますだ・ゆうじ)六段は、このタイムリミットを間近に控えていた。当時を支えてくれた兄弟子の村山聖(むらやま・さとし)九段、そして師匠の森信雄(もり・のぶお)七段とのエピソードをつづる。

* * *

奨励会では25歳で勝ち越さなければ退会の立場になっていた。1級のときに引き止めてくれた木下(晃)先生(故人)も責任を感じてか、師匠のようにたくさんのアドバイスをして応援してくれた。三段リーグは9勝5敗。残り4局を全勝すれば四段のチャンスがあったが連敗して9勝7敗。四段が見える位置にいたのに一転して退会が現実のものになってきた。
このときは今まででいちばんつらく、これに比べればほかに怖いものは何もない。残り2局を1勝しないと退会だが、1局目を負けたら、たぶん次も勝てないだろうと思った。だから1局目が勝負だと自分に言い聞かせて勝利。なんとその直前に淡路仁茂九段の自宅に呼んでいただいた研究会で指した将棋と、中盤の仕掛けまで全く同じ局面となりびっくりした。結局10勝8敗で首の皮一枚つながり、次の三段リーグ戦でやっと四段に昇段した。
兄弟子の村山聖九段には将棋連盟の棋士室にお互いいるときは必ず夕食に誘ってくれた。ほかにも数えきれないほどご馳走(ちそう)になったので、1日だけ棋士になった直後にお返ししたことがある。梅田で寿司(すし)をご馳走したが、村山さんは「通は寿司店のおいしいネタだけを少し食べてハシゴするんや」と言ったので寿司店をハシゴした。伝説となった村山さんと兄弟弟子として過ごせたのは巡り合わせがよく光栄だった。帰り際、紀伊國屋でお勧めの本を選んでもらった。東野圭吾の『仮面山荘殺人事件』で、今も本棚に置いている。
棋士になって約1年後に森師匠と対局がついた。師匠には奨励会の5級のときに1局だけ教わっているので、約10年ぶりの対局である。非常にやりにくかったのを覚えているが、たぶん師匠の方がやりにくかっただろう。熱戦の末に勝利。後日、「すごい粘り強い将棋でびっくりした」といわれた記憶がある。
その後も師匠に3連勝して、対局5局目。お互い残り時間が切迫した終盤に師匠が「残り何分?」と記録係に言ったが、記録係は無反応。私が「森先生が何分って聞いてるやろ」と記録係に言って、そこで勝負モードから師匠・弟子モードになってしまったように思う(これは言い訳)。結果は私の負け。その後も2局対戦があったが連敗。私の4連勝から3連敗。年齢からして私の4連敗3連勝なら分かるのだが…。師匠の底力を見た。
棋士2年目に初めて海外旅行に行った。メンバーは師匠夫妻と指導棋士の野間俊克六段。中国で11日間旅行して、上海では小学校に教えに行った。日本の子供と違ってすごく落ちついていて集中力もすごい。これは将来、将棋の強い子供が出てくるぞと思ったが、あれから16年、思ったよりも強い子供が出てこないのは不思議だ。貴州省という、日本人があまり行かない場所も観光した。
旅行中に師匠に1度だけ意見したことがある。結局、意見は通らず私の方が正しいのにと憮然(ぶぜん)としてしまった。だが、何年か先になって物事にはいろいろな方面からの見方や正解があるのに、若いころはその一面しか見えてなかったのかもしれないと気づいた。物事を正面からだけではなく、多角的・多面的に見ることができるのも師匠の強みの一つなのだろう。今は若い人を見て昔の自分を見ているように思うときもあるが、それが若さなのだと思う。
■『NHK将棋講座』2015年2月号より

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