中世の国際貿易都市・福岡は今もグローバルビジネスの拠点になり得る?
- 『中世都市・博多を掘る』
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2020年の開通を目指し、天神南駅から博多駅まで延伸工事中の福岡市営地下鉄七隈線。その建設現場から、遺物が相次いで出土したことが話題を呼んでいます。建設予定の新駅は、「博多遺跡群」の南端に位置し、福岡市の文化財調査では、弥生時代の甕棺墓(かめかんぼ)や、古墳時代の鏡などが、続々と出土しているのだとか。
同遺跡群は、1977年に進行していた地下鉄空港線建設に伴う発掘調査で発見されましたが、発掘当初から、中国の陶磁器をはじめ輸入陶器が大量に出土したことで、全国的にも注目を集めていました。
本書『中世都市・博多を掘る』によれば、出土品のなかには、今でも使用できるほど丈夫な陶磁器もあったというから驚きです。また、中国だけでなく、ベトナム、タイ、ミャンマーなど東南アジアの陶磁器も出土しています。JR博多駅北側の西を博多川、東を石堂川に囲まれた東西0.8km、南北1.6kmが同遺跡群の範囲となっています。
これらの数多くの出土品が物語るように、福岡は中世の国際貿易都市として発展。平安時代、福岡には、外交使節をもてなす「鴻臚館(こうろかん)」という施設が設けられていました。やがて遣唐使の廃止に伴って、鴻臚館も廃絶されると、行政に代わり貿易を一手に担うようになったのが、この地に住み着いた民間の宋商人たちだったのです。彼ら宋商人の援助で、多くの寺社が建立され、これらの寺社地域「博多」が中心となり、国際貿易の一大拠点として変貌を遂げます。
時代と共に目覚ましく発展を遂げた商人の街「博多」で、幅広い事業展開や海外交易で莫大な富を築いた博多商人の代表格が、「博多三傑」と呼ばれる神屋宗湛、島井宗室、大賀宗九の3人。のちに、この地を治めた戦国大名・黒田長政が地名を「福岡」と改めましたが、歴史的に古くから用いられてきた「博多」の地名に愛着を抱く声は多く、明治維新後に「福岡市」になってからも「博多区」として残っています。
近年、急速に発展しつつあるアジアの主要都市に近いという地理的なメリットを生かし、海外展開を視野に入れて、福岡市に拠点を置く企業が増えていると言います。ひとつはIT・デジタル系企業が育つ土壌がある点。また市内中心から地下鉄で10分程度と利便性の高い福岡空港のおかげで国内外の出張も容易だという点も、ビジネス界が福岡に注目している要因のようです。
かつての博多商人たち同様、現代のビジネスマンも福岡に集まっているのは、なかなか興味深い事実。果たして福岡から現代の博多三傑が生まれるのでしょうか。
【関連リンク】
≪福岡市の位置≫ 「東京出張」と「上海出張」 どちらが近い?
http://facts.city.fukuoka.lg.jp/data/no15/