日本の将棋を世界のSHOGIへ――北尾まどか女流二段の海外普及活動
- 写真提供:北尾まどか
「どうぶつしょうぎ」の開発者としても知られる北尾まどか女流二段は、積極的に普及に取り組んでいる棋士のひとり。この5年で20の国・地域へ渡航して海外における将棋普及に勤しんでいる北尾女流二段が、海外普及に関心をもったのはあるきっかけだった。
* * *
1999年に第1回国際将棋フォーラム(以下「国際フォーラム」)が開催されたとき、まだプロになる前の私は、各国の代表者が出場する世界大会の記録係としてお手伝いさせていただいた。
そもそも私は将棋を本格的にはじめたのが高校生の時で、その頃まだ3年目くらいだったから、外国人が将棋を指している姿はとても印象的だったし、自分より棋歴が長く、有段の実力を持ったプレイヤーがたくさんいることに驚いた。大会後に選手たちと練習対局をする機会があって、その強さはもちろん、情報が少ない中で熱心に勉強していることや、言葉が通じなくても盤を挟んで付き合えるということを体感し、衝撃を受けた。
そしてだいぶ経った2008年に、まったく将棋を知らない人へ教えるためのツールとして「どうぶつしょうぎ」を発表した。こどもの将棋教室をしていて、ルール自体を説明する教材が必要だった、というのが開発の動機。それまでの将棋教室は駒の動かし方くらいは知っている人が来るもので、強くなるための教材はたくさんあっても、その下のゼロスタート部分はほとんどない状態だった。
ひと昔前は家に将棋盤があり、家族に教わるものだったが、いまは親世代が将棋のルールを知らず、習い事として教室に子どもを通わせる時代である。短い授業時間の中で将棋盤の前に座らせ駒をひとつひとつ説明するのは教える方も大変だし、ちっとも楽しくない。
将棋をゼロから教える上での課題は3つ。
・駒の名前を覚える
・駒の動きを覚える
・ルールを理解する
最初から本将棋を教える場合、これらを全てクリアしないと対局が始められない。子ども達がつまずくポイントであり、大人にすら敷居を高く感じさせるのは「駒が漢字で書かれていること」だ。そして当然ながら漢字圏以外の外国人にとって大きな障壁である。子どもへの教材として考案したどうぶつしょうぎは、駒を呼びやすい動物にし、動きを表示し、短い勝負にしたので、前述の3つの課題を解決している。これは外国人向けの普及ツールとしても効果的なのでは、と思い立ち、2009年にフランスで私にとっての初めての海外普及活動を行った。
第1回の国際フォーラムで出会ったエリック・シェイモルさんの協力を得ながら、パリの在仏日本大使館で将棋とチェスのワークショップを開催した。そしてカンヌのゲーム祭でフランス将棋連盟が運営する将棋ブースに参加させていただく。そこで見たのは、日本人と変わらない、いやそれ以上に熱心なフランス人の将棋愛好家の姿だった。言葉の話せない私にできることは、多面指しをすることくらい。女流棋士であるという肩書きはファンの方にはある程度の効果はあるけれど、それよりもアイコン的な存在であるために、和服を着て将棋を指すことのほうが重要だと思った。見た目が大事ということである。
その意味でもどうぶつしょうぎは便利で、難しそうな将棋の駒を遠目に見ている人に、とりあえずこちらをやってみませんかと誘うと反応が良く、大抵の人が試してくれる。カラフルな盤や可愛い動物たちは外国の女性や子どもにも人気で、たいして言葉を使わなくても説明が可能だった。その場で覚えた人が他の来訪者に伝えるという二次的な広がりも見ることができ、大きな手ごたえを感じた。
■海外プレイヤーの動向
そしてこの時は、重要な出会いがあった。チェスのブースのミニ大会に誘われてなんとなく参加。そこで対局した少年に、今度は将棋をやってみようよと、どうぶつしょうぎを教えてみた。すると取った駒が使えることを面白いと感じてくれたようで、会期中の4日間、連日習いに来る。チェスの素養があったことも大きく、みるみる上達して最終日には4枚落ちで上手が苦戦するほどになった。その時すでに5級くらいの力だったと思う。
そして1年半後。第5回国際フォーラムがパリで開催され、アドリアン・レバチッチに再会する。短期間でさらに腕をあげ、なんとオープン戦で準優勝という立派な成績をあげたのだ。そして彼は将棋の勉強のため日本に来ることを希望し、2回の来日のあと、昨年から名古屋大学に入学し、物理を学びながら将棋の勉強をしている。
アドリアンのように、将棋を目的として来日する若者が増えている。有名なのはカロリーナ・ステチェンスカだろう。現在は女流棋士を目指して研修会に通いつつ山梨学院大学に在籍して日本語とITを勉強している。
彼女との出会いは81道場。多言語化されたオンライン将棋対局場である。ポーランド人でとても強い女の子がいると聞き、半信半疑で棋譜を見ると確かに三段くらいの腕前はありそうだ。その後実際に対局したり、チャットをしているうちに、彼女に会ってみたいという気持ちが強くなった。そしてポーランドへの渡航を計画しようとして…気が付く。私が行くよりも彼女が日本に来て将棋の修行をしたほうが有益なのではないかと。
この唐突な提案に彼女は戸惑いながらも、日本への興味、将棋への情熱が強かったのだろう。なんとか親を説得し、私達は成田空港で初めて出会った。言葉の通じない二人は電車の中で符号を読み、目隠し将棋をした。道場通いと詰将棋漬けの毎日。観光旅行は天童に出かけた。その甲斐あって強くなり、注目されたカロリーナは、女流王座戦の海外招待選手として公式戦に出場することになった。初対局でプロの女流棋士に勝利をあげ、新聞やニュースで取り上げられて話題となり母国ポーランドでも有名になる。翌年も参加し、同じく一回戦で勝利した。
この快挙は海外の将棋プレイヤーにとってとても重要な出来事だったと思う。日本人のプロしかいない将棋界での彼女の活躍は、世界中の将棋ファンに夢と希望を与えた。そして今年は、女流王座戦の海外枠予選を81道場で行うことになり、ロシア、ブラジルなど各地からエントリーがあった。二つのリーグ戦を行って決勝はウクライナ対中国となり、勝者の黄さんが参加資格と日本への切符を獲得した。本戦での結果は残念だったが、このように道が開けたことはとても大きい。
■『NHK将棋講座』2015年1月号より
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1999年に第1回国際将棋フォーラム(以下「国際フォーラム」)が開催されたとき、まだプロになる前の私は、各国の代表者が出場する世界大会の記録係としてお手伝いさせていただいた。
そもそも私は将棋を本格的にはじめたのが高校生の時で、その頃まだ3年目くらいだったから、外国人が将棋を指している姿はとても印象的だったし、自分より棋歴が長く、有段の実力を持ったプレイヤーがたくさんいることに驚いた。大会後に選手たちと練習対局をする機会があって、その強さはもちろん、情報が少ない中で熱心に勉強していることや、言葉が通じなくても盤を挟んで付き合えるということを体感し、衝撃を受けた。
そしてだいぶ経った2008年に、まったく将棋を知らない人へ教えるためのツールとして「どうぶつしょうぎ」を発表した。こどもの将棋教室をしていて、ルール自体を説明する教材が必要だった、というのが開発の動機。それまでの将棋教室は駒の動かし方くらいは知っている人が来るもので、強くなるための教材はたくさんあっても、その下のゼロスタート部分はほとんどない状態だった。
ひと昔前は家に将棋盤があり、家族に教わるものだったが、いまは親世代が将棋のルールを知らず、習い事として教室に子どもを通わせる時代である。短い授業時間の中で将棋盤の前に座らせ駒をひとつひとつ説明するのは教える方も大変だし、ちっとも楽しくない。
将棋をゼロから教える上での課題は3つ。
・駒の名前を覚える
・駒の動きを覚える
・ルールを理解する
最初から本将棋を教える場合、これらを全てクリアしないと対局が始められない。子ども達がつまずくポイントであり、大人にすら敷居を高く感じさせるのは「駒が漢字で書かれていること」だ。そして当然ながら漢字圏以外の外国人にとって大きな障壁である。子どもへの教材として考案したどうぶつしょうぎは、駒を呼びやすい動物にし、動きを表示し、短い勝負にしたので、前述の3つの課題を解決している。これは外国人向けの普及ツールとしても効果的なのでは、と思い立ち、2009年にフランスで私にとっての初めての海外普及活動を行った。
第1回の国際フォーラムで出会ったエリック・シェイモルさんの協力を得ながら、パリの在仏日本大使館で将棋とチェスのワークショップを開催した。そしてカンヌのゲーム祭でフランス将棋連盟が運営する将棋ブースに参加させていただく。そこで見たのは、日本人と変わらない、いやそれ以上に熱心なフランス人の将棋愛好家の姿だった。言葉の話せない私にできることは、多面指しをすることくらい。女流棋士であるという肩書きはファンの方にはある程度の効果はあるけれど、それよりもアイコン的な存在であるために、和服を着て将棋を指すことのほうが重要だと思った。見た目が大事ということである。
その意味でもどうぶつしょうぎは便利で、難しそうな将棋の駒を遠目に見ている人に、とりあえずこちらをやってみませんかと誘うと反応が良く、大抵の人が試してくれる。カラフルな盤や可愛い動物たちは外国の女性や子どもにも人気で、たいして言葉を使わなくても説明が可能だった。その場で覚えた人が他の来訪者に伝えるという二次的な広がりも見ることができ、大きな手ごたえを感じた。
■海外プレイヤーの動向
そしてこの時は、重要な出会いがあった。チェスのブースのミニ大会に誘われてなんとなく参加。そこで対局した少年に、今度は将棋をやってみようよと、どうぶつしょうぎを教えてみた。すると取った駒が使えることを面白いと感じてくれたようで、会期中の4日間、連日習いに来る。チェスの素養があったことも大きく、みるみる上達して最終日には4枚落ちで上手が苦戦するほどになった。その時すでに5級くらいの力だったと思う。
そして1年半後。第5回国際フォーラムがパリで開催され、アドリアン・レバチッチに再会する。短期間でさらに腕をあげ、なんとオープン戦で準優勝という立派な成績をあげたのだ。そして彼は将棋の勉強のため日本に来ることを希望し、2回の来日のあと、昨年から名古屋大学に入学し、物理を学びながら将棋の勉強をしている。
アドリアンのように、将棋を目的として来日する若者が増えている。有名なのはカロリーナ・ステチェンスカだろう。現在は女流棋士を目指して研修会に通いつつ山梨学院大学に在籍して日本語とITを勉強している。
彼女との出会いは81道場。多言語化されたオンライン将棋対局場である。ポーランド人でとても強い女の子がいると聞き、半信半疑で棋譜を見ると確かに三段くらいの腕前はありそうだ。その後実際に対局したり、チャットをしているうちに、彼女に会ってみたいという気持ちが強くなった。そしてポーランドへの渡航を計画しようとして…気が付く。私が行くよりも彼女が日本に来て将棋の修行をしたほうが有益なのではないかと。
この唐突な提案に彼女は戸惑いながらも、日本への興味、将棋への情熱が強かったのだろう。なんとか親を説得し、私達は成田空港で初めて出会った。言葉の通じない二人は電車の中で符号を読み、目隠し将棋をした。道場通いと詰将棋漬けの毎日。観光旅行は天童に出かけた。その甲斐あって強くなり、注目されたカロリーナは、女流王座戦の海外招待選手として公式戦に出場することになった。初対局でプロの女流棋士に勝利をあげ、新聞やニュースで取り上げられて話題となり母国ポーランドでも有名になる。翌年も参加し、同じく一回戦で勝利した。
この快挙は海外の将棋プレイヤーにとってとても重要な出来事だったと思う。日本人のプロしかいない将棋界での彼女の活躍は、世界中の将棋ファンに夢と希望を与えた。そして今年は、女流王座戦の海外枠予選を81道場で行うことになり、ロシア、ブラジルなど各地からエントリーがあった。二つのリーグ戦を行って決勝はウクライナ対中国となり、勝者の黄さんが参加資格と日本への切符を獲得した。本戦での結果は残念だったが、このように道が開けたことはとても大きい。
■『NHK将棋講座』2015年1月号より
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