90年代の「渋谷系」は、はっぴいえんどの二十年後の姿だった?
- 『ニッポンの音楽 (講談社現代新書)』
- 佐々木 敦
- 講談社
- 864円(税込)
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日本のポピュラー・ミュージックといわれて、どのようなアーティストや楽曲を思い浮かべるでしょうか。自らの印象深い思い出が刻まれた曲や、知らぬ間に口ずさんでいる曲など、誰しもそれぞれ心のベスト10があるのではないでしょうか。
そうした私たちに馴染みのある、日本のポピュラー・ミュージック。佐々木敦さんによる「ニッポンの音楽」では、1960年代末から現在までを10年ごとに区切りながら、それぞれの時代の代表的アーティストたちの特徴、あるいは時代を超えた共通点、さらには洋楽との影響関係等を解き明かしていくことで、日本におけるポピュラー・ミュージックが辿ってきた、ひとつの大きな歴史の流れを描き出していきます。
具体的には、1970年代ははっぴいえんど、80年代はYMO、90年代では渋谷系としてフリッパーズ・ギターやピチカート・ファイヴ、そして小室ファミリー、ゼロ年代以降では中田ヤスタカらが主として取り上げられていきます。
同書のなかで注目される、海外の音楽と日本の音楽との関係、輸入文化の歴史。上述したミュージシャンたちの多くは、海外の音楽、その各々のジャンルの形式や構造、歴史をマニアックなまでに理解したうえで、自らの楽曲に導入する姿勢を持つ「リスナー型ミュージシャン」だという点で共通しているのだと佐々木さんは指摘します。
そして、なかでも90年代を「洋楽出自のニッポンの音楽が存在した最後のディケイド」であったとし、70年代のはっぴいえんどの延長線上に、渋谷系を位置付けます。
「つまり渋谷系は、七〇年代にはっぴいえんどとともに始まったプロセスの終焉であったと位置付けることができます。それは、外国で生まれ、外国語で歌われている音楽を、日本で、日本人の音楽家として、カヴァーとかコピーとか、単なる物真似ではない形で、どうしたらやれるのか、すなわち海外の音楽をニッポンの音楽に、どうやったら翻訳=移植できるのか、という困難な問いに向き合ってきた歴史、その終わりを意味しています。この意味で、渋谷系とは、はっぴいえんどの二十年後の姿だったと筆者は考えています」
大瀧詠一さんが分母分子論、ポップス普動説を唱えたように、海外と日本の音楽との関係をはっぴいえんどのメンバーたちが深く考えていたことはよく知られるところですが、渋谷系もまた洋楽出自の音楽であり、たとえばその代表格であるフリッパーズ・ギターについて佐々木さんは、「小山田、小沢の二人は、海の向こうの音楽的流行に、ほとんど即時的に反応して、自分たちのサウンドを成長させていった」(同書より)のだといいます。
日本のポピュラー・ミュージックを、ひとつの大きな歴史の流れとしてとらえたときに見えてくるもの。耳にしたことのある楽曲も、また別の角度から楽しむことが出来るかもしれません。