高浜愛子女流3級「将棋は本当の悔しさを教えてくれた」

2014年4月に女流棋士となった高浜愛子(たかはま・あいこ)女流3級。年齢制限のリミットを目前にしながらの昇級の陰には、多くの苦労があったようだ。

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私は関西将棋会館の近くで生まれ育ちました。将棋と出会ったのは、小学6年のころ。将棋会館道場で六段の祖父に駒の動かし方と並べ方を教えてもらったのがきっかけでした。関西将棋会館の子供スクールに2年ほど通いましたが、そこで一旦将棋から離れてしまいました。
高校1年のときにテニス部に入り、1年間厳しい練習の毎日でした。頑張っても上達せず、あるときから「将棋は練習をすればするほど上達したし、もう一度将棋をして祖父のように強くなりたい!」と思うようになりました。考えた末テニス部を辞め、将棋をすることにしました。
高校2年生でアマ8級の再スタートです。学校が終わると、道場に行ったり家でインターネット将棋を指したり詰将棋を解いたり、将棋漬けの日々でした。高校を卒業するころには道場で三段になっていました。本当に将棋が楽しく、いつしか女流棋士になりたいと思うようになりました。
19歳のころ女流育成会に入会。
育成会での対局は月に一度、東京将棋会館で行われます。1日に二局から三局。半年かけてのリーグ戦であったことと、毎回東京まで行っての対局という理由もあり、1勝の重みをとても大きく感じていました。
負けた日は、帰りの夜行バスの中で泣いていたのも懐かしい思い出です。将棋は私に「本当の悔しさ」を教えてくれました。
5年後には制度が変わり、研修会に移ることになりました。初めはとても好調で、半年も経たず女流棋士まであと2勝というチャンスを迎えました。結果は一局目で負け。上がり目もなくなってしまいました。きっとまたチャンスは来る!と可能性を感じていましたが及びませんでした。
やがて経験したことがないスランプが訪れました。降級の一番を3回も凌ぎ、4回目の降級の一番でクラスが落ちてしまったのです。とても落ち込み何度も諦めようと思いました。そんなとき周りの将棋仲間は、たくさんの励ましの言葉をくれました。それが支えになり、なんとか続けていくことができました。
そして少しずつ調子を取り戻していき、ようやくクラスも戻ることができました。あと一つ昇級すれば女流棋士です。そんなとき研修生の小学生の男の子に「あと一つでプロですよね」と言われ「でも年齢制限があと1年しかないねん」と私が言うと「あと1年もあるやんか!大丈夫です!」と励まされました。
そして今年ようやく昇級し、女流3級になることができました。今まで真剣勝負で戦ってきた研修生にたくさん「おめでとうございます」と言われたときは本当に嬉しかったです。
これからも大好きな将棋をずっと指せるようにもっと努力し、いつも励ましてくれる方々に感謝しながら成長したいです。
■『NHK将棋講座』2015年1月号より

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