出来ちゃった婚から蒸発、いきなり作家へ……謎に包まれたシェイクスピア
- 1623年刊、最初のシェイクスピア戯曲全集のタイトルページに描かれたシェイクスピア。シェイクスピアその人も謎の多い人物である
『ハムレット』をはじめとした四大悲劇を生み出した不世出の劇作家シェイクスピア。その人生は謎に包まれ、古くから多くの議論を呼び起こしてきた。東京大学大学院教授の河合祥一郎(かわい・しょういちろう)氏が解説する。
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ウィリアム・シェイクスピアは、イングランドのストラットフォード・アポン・エイヴォンという田舎町で1564年に生まれ、1616年にその地で没しました。「ヒトゴロシ(1564)の芝居をイロイロ(1616)書いた」という覚え方があります。エリザベス1世の治世(1558〜1603)からジェイムズ1世の治世(1603〜25)にかけての、広義のエリザベス朝時代に活躍しました。
シェイクスピアという人物は謎に包まれています。手袋職人である父親のジョンは町長まで務めた地元の名士なのですが、あるとき急に社会的にも経済的にも没落し始めます。そんななか、公立学校を15歳で卒業したらしい長男のウィリアムは、18歳のときアン・ハサウェイという8歳年上の女性といわゆる“できちゃった結婚”をし、長女が生まれたと思ったらすぐまた双子ができて、20歳そこそこで3人の子持ちのパパになります。そして妻子を置いて忽然(こつぜん)と消えてしまいます。それから8年後の1593年に再び現れたときには、いきなり大都会ロンドンで詩人となり、すでに役者・劇作家ともなっていました。この蒸発と大変身がいったいどういうことなのかというのは、いまだに謎なのです。
誰もが本当に同じ人なのだろうかと思うわけで、シェイクスピア別人説というものが、いまだに根強くあります。それについては『謎ときシェイクスピア』(新潮選書)という本で詳しく検証しましたが、当時最大の知識人であり哲学者であったフランシス・ベーコンをはじめ、およそ6人もの別人候補がいます。“教育のない田舎者のウィリアム・シェイクスピア”とは別に、ペンネームで「ウィリアム・シェイクスピア」を名乗る匿名(とくめい)の劇作家がいたのではないか、というのです。
しかしたとえばベーコンは、文体が硬質でシェイクスピアとは決定的に違いますし、しかも演劇が大嫌いだったので、ありえないでしょう。別人説で優勢なのは第17代オックスフォード伯爵という人物で、調べてみると確かにこの人は、本当に匿名で戯曲を書いたりもしていたらしいのです。ただし問題は、シェイクスピアの作品は1611年まで書かれ続けているのに、伯爵が1604年にペストで死亡していることです。という具合に諸説はそれぞれ面白いのですが欠点があり、私なりの結論を言いますと、ストラットフォード・アポン・エイヴォン出身の田舎者シェイクスピアが、やはり劇作家シェイクスピア本人であると言わざるをえないように思えます。
ところで、なぜ匿名の別人説がリアリティを持つのかというと、その頃、戯曲は文学作品とは見なされていなかったからです。役者のために台本を書くことは、ある意味で身を持ち崩すことでした。神学者にもなれず外交など政府の職にも就けなかったけれども、韻文を書く才能はあるという“大学出の才人”が、仕方なく戯曲を書いて劇団に売って小遣い稼ぎをするという時代だったのです。しかも、当時の役者は、貴族の家来になってお仕着せをもらい、身元保証人になってもらわないと浮浪者扱いされて逮捕されてしまうような、きわめて身分の低い存在でした。ですから、身分ある人が自分の作品を卑しい役者たちに提供することを隠すのは考えられることでした。
■『NHK100分de名著 シェイクスピア ハムレット』より
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ウィリアム・シェイクスピアは、イングランドのストラットフォード・アポン・エイヴォンという田舎町で1564年に生まれ、1616年にその地で没しました。「ヒトゴロシ(1564)の芝居をイロイロ(1616)書いた」という覚え方があります。エリザベス1世の治世(1558〜1603)からジェイムズ1世の治世(1603〜25)にかけての、広義のエリザベス朝時代に活躍しました。
シェイクスピアという人物は謎に包まれています。手袋職人である父親のジョンは町長まで務めた地元の名士なのですが、あるとき急に社会的にも経済的にも没落し始めます。そんななか、公立学校を15歳で卒業したらしい長男のウィリアムは、18歳のときアン・ハサウェイという8歳年上の女性といわゆる“できちゃった結婚”をし、長女が生まれたと思ったらすぐまた双子ができて、20歳そこそこで3人の子持ちのパパになります。そして妻子を置いて忽然(こつぜん)と消えてしまいます。それから8年後の1593年に再び現れたときには、いきなり大都会ロンドンで詩人となり、すでに役者・劇作家ともなっていました。この蒸発と大変身がいったいどういうことなのかというのは、いまだに謎なのです。
誰もが本当に同じ人なのだろうかと思うわけで、シェイクスピア別人説というものが、いまだに根強くあります。それについては『謎ときシェイクスピア』(新潮選書)という本で詳しく検証しましたが、当時最大の知識人であり哲学者であったフランシス・ベーコンをはじめ、およそ6人もの別人候補がいます。“教育のない田舎者のウィリアム・シェイクスピア”とは別に、ペンネームで「ウィリアム・シェイクスピア」を名乗る匿名(とくめい)の劇作家がいたのではないか、というのです。
しかしたとえばベーコンは、文体が硬質でシェイクスピアとは決定的に違いますし、しかも演劇が大嫌いだったので、ありえないでしょう。別人説で優勢なのは第17代オックスフォード伯爵という人物で、調べてみると確かにこの人は、本当に匿名で戯曲を書いたりもしていたらしいのです。ただし問題は、シェイクスピアの作品は1611年まで書かれ続けているのに、伯爵が1604年にペストで死亡していることです。という具合に諸説はそれぞれ面白いのですが欠点があり、私なりの結論を言いますと、ストラットフォード・アポン・エイヴォン出身の田舎者シェイクスピアが、やはり劇作家シェイクスピア本人であると言わざるをえないように思えます。
ところで、なぜ匿名の別人説がリアリティを持つのかというと、その頃、戯曲は文学作品とは見なされていなかったからです。役者のために台本を書くことは、ある意味で身を持ち崩すことでした。神学者にもなれず外交など政府の職にも就けなかったけれども、韻文を書く才能はあるという“大学出の才人”が、仕方なく戯曲を書いて劇団に売って小遣い稼ぎをするという時代だったのです。しかも、当時の役者は、貴族の家来になってお仕着せをもらい、身元保証人になってもらわないと浮浪者扱いされて逮捕されてしまうような、きわめて身分の低い存在でした。ですから、身分ある人が自分の作品を卑しい役者たちに提供することを隠すのは考えられることでした。
■『NHK100分de名著 シェイクスピア ハムレット』より
- 『シェイクスピア『ハムレット』 2014年12月 (100分 de 名著)』
- NHK出版 / 566円(税込)
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