「女性の老い」を見事に詠んだ歌

「塔」選者の永田和宏(ながた・かずひろ)さんが、人生における一場面を切り取った歌を取り上げて解説するテキスト『NHK短歌』の連載「時の断面――あの日、あの時、あの一首」。先月号の「男性の老い」に引き続き、1月号では女性が老いについて詠んだ歌をご紹介します。

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「老い」はこれまで多く、男性のテーマであったように思います。社会人、企業人として社会の前線で充実していた日々からの撤退は、いやおうなくかつての自信の喪失につながり、老いのみじめさを浮き彫りにするものです。男性にとって老いは、歌のテーマとして不可避のものでもあるようです。
先回は男性の老いの歌を取り上げましたので、今回は女性の老いの歌を見ることにしましょう。
さくら花幾春かけて老いゆかん身に水流の音ひびくなり

馬場あき子『桜花伝承』


桜はまことに不思議な花で、殊に強く年齢を意識させる花です。年々の巡りに出会うたびに、ああ去年見た桜は、などと季節の循環を思う。そして去年見た桜を今年もまた見ることによって、円環的に繰りかえす季の巡りとともに、去年と今年の時間の直線的な過ぎゆきをも同時に意識します。季節の巡りの円環的時間と、身体を過ぎてゆく直線的時間、そんな二つの時間が交差することで、螺旋状に時間が過ぎて行くのを実感することになるのではないでしょうか。桜がしみじみと己の齢を感じさせるのはそこに理由があるように思えます。
馬場あき子はそんな桜を見つつ、己が身は「幾春かけて老い」ゆくのだろうと詠います。自らの身の中心を勢いよく流れてゆく水流の音さえ聞こえるようだというのです。老いの意識を詠いながら、この一首からは若々しい身体から発する輝きと、それを自ら讃美するようなある種の陶酔感さえ感じられますが、それはおそらく見事に張りつめた韻律の故でもあるのでしょう。
いみしんのあやふき会話もしなくなり老いたりや言葉は言葉だけの意味

馬場あき子『あかゑあをゑ』


「幾春かけて老いゆかん」と詠われてから三十数年後、最新歌集『あかゑあをゑ』では老いはこのように詠われていました。まず「いみしん」なる語に驚かされます。完全な俗語ですが、俗語なども躊躇(ためら)うことなく歌に侵入する、そんな構えの無さに老いの自覚もおのずから露わに見てとることができる。見事なのは下句でしょう。馬場あき子がこの一首で意識する「老い」とは、「言葉は言葉だけの意味」で使われる会話にあるというのです。
■『NHK短歌』2015年1月号より

NHKテキストVIEW

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