【メルマ旬報 臨時増刊号】2016年のサマークライマックス ワード・プロレスリング IN 肥後橋CLIMAX 

突然ですが、2016年8月24日に『水道橋博士のメルマ旬報』臨時増刊号として配信した原稿を、このたび、『メルマ旬報』アーカイブ傑作選として、無料公開させていただきます!

夏の締めくくりとして、読み応え十分の本記事をご堪能くださいませ。
(編集/原カントくん)


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「メルマ旬報WEST~肥後橋CLIMAX!」
と題されたそのトークイベントは、2016年8月6日に行われた。

大阪は肥後橋、「アワーズルーム」と名付けられたその小さなライブスペースには、壇上も客席も問うことなく、目の奥に同じ輝きを宿した人々が集まっていた。すっかりと夏である。こんな日ぐらいは、真夏の夜の夢を見たってバチは当たらないだろう。

壇上に上がったのは、シークレットゲストとして出演した水道橋博士(あくまで休暇中)そして「メルマ旬報」の「る組」掲載陣の、竹内義和(『変態の流儀』)、シンデレラエキスプレス渡辺裕薫(『上方演芸レジェンド~シンプレ漫才 夜明け前』)、柳田光司(『武史』)、角田龍平(『メルマ遵法』)、エムカク(『明石家さんまヒストリー』)、相沢直(『みっつ数えろ~ができるまで』)、さらに途中からは客席にいた、スージー鈴木(『1984年の歌謡曲』)、細田マサシ(『格闘技を創った男~プロモーター野口修評伝~』)も壇上に上がった。つまり『メルマ旬報』執筆者、9人が集結したことになる。

なお、この一文は出演者には全て確認をとり、諸事情から一部、書き改めていることは、明記しておきたい。(書き起こし・相沢直 最終文責・水道橋博士)

***

(イベント開始時刻になり、一同が舞台上に登場。舞台下手から竹内、角田、エムカク、渡辺、相沢、柳田、博士。全員、缶ビールを片手に持ち)

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竹内:じゃあ博士、乾杯の音頭を。

博士:はい。今日はメルマ旬報WESTの集会ということで。かんぱーい!

(壇上の一同、客席と乾杯)

博士:さー、ボクは初めてここに来たんでね。しかもボク、いま夏休み中で。あくまでこれ、闇の営業になってるんですけど。(場内拍手) というか「ギャラなし」だから、そこは関係ないと。

竹内:そうなんです。ギャラが発生するとね、色々問題ありますけど。今日は新日本プロレスを観に来て、その流れでね。

博士:そう。さっきまで我々大阪府立体育館にいて。

竹内:このメンバーで行ってたんでしょ?(註・このイベントの前に、博士は渡辺、柳田、角田、相沢とともに新日本プロレスの大阪府立体育館大会を観戦。詳細は先日臨時増刊となった「報」号を参照のこと)

博士:そうです。大阪府立と言えば、6・26の猪木シンの腕折りがあった......どんだけ俺、昭和なんだって話だけど。しかし14年ぶりに新日本プロレスを会場で観てね。

竹内:それで感銘を受けたのかなって思ったら、ちゃんと観てなかったとかなんとか......。

博士:それは違いますよ! それは(竹内は)観てないから。今日どれほどリングサイドで俺たちが感動したことか。

渡辺:もちろん!

角田:ツイッターでアップされてましたもんね。博士が客席で興奮してるところ。

博士:そうですよ。ボクだけですよ、このメンバーの中で、あれだけ真剣にプロレスにのめり込んでたのはね。

一同:(クレームの声)

竹内:(各々勝手に喋り出すが、強引にまとめて)というか、これはメルマ旬報WESTの集会じゃないですか! メルマ旬報が世に売って出るための会でしょ? だから今日は、このメンバーをまず博士から順番に紹介してもらえますか!

博士:竹内先生、ちょっと半ギレじゃないですか。大声出しちゃって。

渡辺:最近、(竹内先生は)演芸協会入りましたから。

角田:何やるんですか、演芸協会って?

竹内:所属するとね、法善寺横丁の寄席に出られますから。(場内笑)

渡辺:(立ち上がって)怪談イベントやりますからね! 見に来てくださいよ! 今日チケット買っていただいたら、角座の昼寄席の券、ペアでつけますんで! いいでしょう!? 買うてください、よろしく頼みます。(着席)

柳田:やっぱり余興なれしてまんなあ。

博士:ナベちゃんの売り込み方が完全に若手芸人でしょ。

渡辺:ありがとうございます! 桂坊枝でございますう!

博士:ナベちゃん、もう芸歴30年でしょ?(笑) 

渡辺:29年です。

博士:29年。ボクももう30年ですからね。それでも一年違いでも、ボクらでも上下関係はあるんですよ。元々はキッドとシンプレは大阪のABC「ラジオ・パラダイス」っていう番組で一緒に共演して......。

竹内:(さえぎって)でね、ボクから言うと......。

柳田:いや今、入ってこんでよろしいやん!

角田:竹内先生は作家ですよね、『ラジオバラダイス』に入ってらっしゃいましたから。構成で、ペンネーム、「土手山のように高夫」っていう。

竹内:(嬉しそうにうなずく)

博士:それ、まず社会党の「土井たか子」ありきだからね。それが「土手たか子」になり、さらに変形して「土手山のように高夫」になっていったの(笑)で、我々はそういう間柄であるから、昔から竹内「先生」だし、ボクらは当時の若手の芸人で、浅草キッドとシンデレラエキスプレスと竹内義和という「ラジパラ」火曜日のレギュラーメンバーだったの。で、同じ番組の別の日には竹内先生はパーソナリティもやってらしてね。

角田:ちわきまゆみさんと一緒に。


渡辺:1992年ぐらいですかね?

角田:91年の10月スタートとかで。

博士:この話、「1992年のラジオ・パラダイス」って本、柳澤健風に書きましょうか?

渡辺:よろしいですねえ、それ。

角田:「そのとき土手山のように高夫は......」って。でもやってること、今も当時も同じいうのがすごいですよね。あれから25年、四半世紀経ってるのに。未だに「クン二等」がどうとか(笑)

博士:今日も新日観てたらね、もう選手がボクが見ていた頃と様変わりしていて「ケニー・オメガ」っていう選手がいるんですよ。ボクは初めて生で観ましたけど、このケニー・オメガって名前だけで、これは竹内先生が黙ってないよって。(場内笑)

竹内:(身を乗り出して)あのー、みんなね、「オ」メガって言うじゃないですか、日本人は。あれほんまは、オ「メ」ガ、なんですよ。

博士:(立ち上がって渡辺に)すごくない!? 俺。この台詞、さっきリングサイドでまったく一緒のこと、「絶対に竹内先生ならこう言うよ!」って言ってたばかりなの。そのままですよ。

渡辺:ホンマ、これ博士がずっとプロレス観ながら言うてたんですよ!

竹内:(続けて)正しくは、オ「メ」ガ、(発音・メが↑)なんですよ。それは007の「カジノ・ロワイヤル」見に行ったら、ジェームズ・ボンドが「オ『メ』ガ」って言うてるんですよ。時計のオメガのことを。

博士:でもこれは、これで、まだ男子プロレスだから良かったけど「女子プロレスのリングネームだったらどうします?」っていう話をさっきしててね(笑)

竹内:それなら、いま一番問題なのは体操ですよ。リオの。白井選手が行ってるでしょ。あの人の得意技なんて言うか知ってます? 「ユルチェンコ」ですよ。ユルチェンコ。それ以上の技出したらユルマンコになるっていう。

博士:......あのさー。これ生放送されてるんでしょ?

角田:ニコ動でやってるんですよ!

渡辺:あなたはねえ、そういうところがダメなんだよ!(場内笑)

博士:だから俺は、この間の久々のCBCで(北野)誠さんと一緒のラジオで、「竹内さんは放送に向いてない」って言ったんだよ!

竹内:向いてないと言えばあなた(=渡辺)も向いてないやん! ナギータ(=柳田)も向いてないやん!

角田:いや、向いてない人が21年もラジオやってたいうのが危険でしょ!?

博士:だから終わるんだよ!(場内笑) だからサイキックは唐突に終わるの。

竹内:向いてないのが積み重なっていってね。それでパン!と終わって。

博士:(仕切り直して)それではちゃんと紹介しますけど、いま、ちゃんと冷静に回してくれてるのが角田さん。

角田:よろしくお願いします!(場内拍手)

博士:角田弁護士をどう紹介するかっていうと、テレビ的に言えば、昔「サンデー・ジャポン」に橋下徹がいなくなったあとに入った弁護士枠の人。

角田:そうですね。ボクもともと橋下さんの事務所に入ってしまったんですよ。入ってしまって。それで独立したんですよ。

博士:それで「タイタン」っていう爆笑問題の事務所に所属してて、タレント弁護士としてテレビに出て。だけど、今はそこもやめているから。由緒として、もともとは誠チルドレンであり、キッドチルドレンであり。ボクらがやっていた「ラジオ・パラダイス」もずっと聴いていて。

角田:中学生とか高校生のころから、「サイキック(青年団)」とか「ラジパラ」を聴いてましたから。だから今日ボクの隣で、博士さんと渡辺さんのツイン・ピークスが......。

博士:これも説明すると「ラジオパラダイス」の中でボクらはツイン・ピークスっていうコンビを組んでたんです。なぜツイン・ピークスかっていうと、ふたりと身長にミゼット感があるから。(場内笑) しかも、ずっと小声でささやいてるようなウィスパーバイスでラジオで喋るの(笑)

角田:そのツイン・ピークスが、今日はずっとプロレス会場で二人で喋ってはって。博士が最近のプロレスを知らないボケ役なんです。例えば高橋裕二郎っていう選手がいるんですよ。そしたら博士さんが「ああ、これが21世紀の裕次郎か」とか言うて。「誰が徳重くんやねん!」って渡辺さんがツッコむっていうのを延々やってるんですよ。

博士:ホントに、ボクがボケるのって滅多にないんですよ。普段から役割的にはマワシもやるしツッコミもあるけど、ボケ続けるっていうのは、まずないから。これは昔からナベちゃんといるときだけ、ボケられるお約束なの。ちゃんとツッコでくれるから、それが楽しくてねー。

渡辺:ここに来るタクシーを拾うときに、なんか知らんけどこの人、タクシーに飛び込んでいこうとするんですよ。ほんで「もしボクが轢かれたらボクのマスクは処分してね」って。タイガーマスクの最終回の伊達直人みたいなね。「いや博士、あんた芸人やから、それやると小染さんですよ」って。(場内爆笑)

角田:そういうのを、そばでずっと聞いてたら、たまに渡辺さんが拾いきれへんのがあったりして、それも気になるんですよ。間違えはったりとかしてね。今日、新日でタマ・トンガが出てたんですけど、「昔nWoとかに出てたスティングに似てるな」って渡辺さんがおっしゃって。

博士:で俺が、「ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの?」って聞くんですよ。そしたらナベちゃんが「タワーリング・インフェルノですか」って。

角田:違うの。博士は端的に映画の「スティング」でボケてはるのに。そういうのも気になって。

渡辺:いや、間違うたんや。もう、しんどかってん......。

博士:実際、タワーリング・インフェルノって名前のレスラーもいるからね。元ザ・ハングマン、そういうのをかぶせ続けているから、わかりにくいんですよ(笑)

角田:そんなお二人も、特に最後の2試合は大興奮されてましたね。ただ石井智宏が出てきたら、博士さんがまた「ああ、あみんの元夫のプロ野球選手か」って。いま自民党の議員になって。

博士:これはね。説明すると、石井ともひろを、石井 浩郎(いしい ひろお)でボケてるんですよ。

渡辺:ほんで下の名前なんて読むねんってなって、なんか知らんけどおれ試合観ながらWikipediaで調べて。「ひろお」ですわ、って。(笑)

竹内:(いつまでも続く余談をさえぎって仕切り直し)で、この角田さんも「メルマ旬報」に連載してはると。

角田:そうですそうです。弁護士だから「メルマ遵法」というのをやらせていただいておりまして。長くなるから、それではもう、テンポよく行きましょう。(笑) 続いて、エムカクさんです!

エム:よろしくお願いします。(場内拍手)

博士:エムカクさんは誰も知らないと思うけど、もともと、柳田くんが知っていた、さんまさんの超マニアのサラリーマンなんです。ボクとはもともと面識はなかったんですよ。

柳田:そうなんです。ボクからです、ボクも面識なかった。

博士:ただ、さんまさんのすごいマニアだってことを聞いてTwitterをフォローして、それで俺が「水道橋博士年表」っていうのを3年前かな? 作ったんですよ。ここにいる相沢くんが中心になって。

相沢:はい。(頭をペコリ)

博士:『藝人春秋』のサイン会の販売促進用に只で配っていて。それで大阪のツタヤ梅田店でサイン会をやってて、本にサインするときに「エムカクって書いてください」って言われて。「エムカク? 君か!」と。それが初対面。それで「水道橋博士年表」っていうのは8万字もあるんだけど、「こんな年表が作れるんだったら、ボクは、さんまさんの年表を作りたい」って言って、ボクが、「それなら「メルマ旬報」で連載してください!」ってお願いしたのが、そもそもの始まり。で、現在連載してるタイトルが......。

エム:「明石家さんまヒストリー」。

博士:これはもう長大な大河ストーリー。いま連載何回目ですか?

エム:いま、61回目ですね。

博士:それでいま、西暦何年まで行ってるんでしたっけ?

エム:いま1988年。(場内どよめき)

角田:だいぶ近づいてきましたよ? だって、さんまさんの出生のときから1988年まで来たわけでしょ?

エム:ちょうどさっきも、さんま・しのぶの結婚について書いてきたところで。ホヤホヤで。(笑)

竹内:そこまで微に入り細に入り、書いてるわけだから、出版社はほっとかないんだけど、出版しないんですよね。

博士:そう。出版社からはいっぱいボクに問い合わせはあるんだけど、だってベストセラー確実ですよ。本人に「どうします?」って言ったら、「いまは、出版は考えず連載に専念させてください」と。

竹内:それ、いつ出すんですか?

エム:いやあ......ゴールは一応、2008年の、7月の「27時間テレビ」。そこが一応ゴールになってるんですけどねえ......。

柳田:竹内さん、嬉しそうな顔してまんなあ。

竹内:いや、というかね、すごいなと思って。こんな人は普通、さんまさんとかじゃなくて、ミジンコを調べたりするでしょう? それを、さんまさんにこだわってやってるっていうのが本当にすごいですね。

博士:ちなみに「bookstand.tv」でも「メルマ旬報TV」でもいいから検索してYouTubeで見ていただいたら、エムカクさんが、この連載にどんだけ緻密なノートを作って、さんま情報を全てファイリングして進めてるかっていうのが分かりますよ。あと「キムタク・さんま年表」っていうのも作ってるんですけど、あれは何万字だっけ?

エム:あれは15万字。

角田:簡単に言いまんな、15万字!って。

博士:キムタクと、さんまさんだけで15万字だよ? だからいま連載を本にしようと思っても、1000ページじゃきかないですよね。それを新書みたいな形でお手軽に出そうっていう話だっていっぱいありますけど、それは全部ダメですって止めてるんです。

竹内:この人の連載読むだけで「メルマ旬報」購読する価値はありますよね。

博士:本当そうですよ! だってエムカクさんの「さんまヒストリー」の連載を読むためだけで、吉本の芸人も「メルマ旬報」を読んでますからね。さんまさんの歴史を勉強するために。

角田:それこそナイナイの岡村さんが読んでると。

博士:そうそうそう。しかもテレビ局もいまや注目してきて、さんまさんの還暦特番、各局やっていたけど、その制作協力にも入ってね。

柳田:日テレの方。

角田:(すかさず)そんときに、柳田さんとモメるという事件が起こるんですよ。(場内笑) 

博士:それは俺も事情をよく知らないから是非聞きたいんだけど。角田さんとエムカクさんと柳田くんは、お互い知り合ってから、「明石家さんまの誕生日を勝手に祝う会」ってタイトルで、さんまさんを研究するライブをやっているユニットでしょ? 人気ライブで、東京でもやってましたよ。

渡辺:なんかあんねや?

エム:(苦笑)いや、あれは、連載をきっかけで番組に......。

竹内:あれはエムカクさんの思いやりですよね、どちらかと言えば。テレビのテロップに自分の名前が出るか出んか分からんのに言えないっていう......。

角田:あの番組、何てタイトルでしたっけ? 日テレの。

エム:「誰も知らない明石家さんま」っていう。

角田:去年ですよね? 去年の11月。その特番が放送される直前に情報解禁になって。ホームページとかで出たときに、柳田さんがツイッターでリンクも貼ってTwitterでつぶやきはったんですよ。「この番組、ボクとエムカクさんをブレーンにしてくれたらもっと面白くなるのに」って、つぶやいたんですよ。

柳田:おお、あったあった。

角田:で、それから数日後、その番組が放送されたんですよ。すごい面白い番組で、深いニッチなところまで食い込んでる番組だったんですけど、番組終わってエンドロールで、「ブレーン・エムカク」って出たんですよ。これはやばいぞと!(場内笑) これはやばい、ナギータやばい!

柳田:(苦笑しながら否定するジェスチャー)

角田:ほんで、ボクも一緒にエムカクさんとイベントやってたのに、エムカクさんからは聞いてなかったんですよ。エムカクさんがなぜそれを言わなかったかっていうと、やっぱり初めて番組に関わるんで、もしかしたら、まったく反映されてないかもしれないし、「関わりました」って言って出えへんかったらウソついたみたいになるじゃないですか。だからボクらにも内緒にしてはったんですよ。そやろなってボクは思ったんですけど、柳田さんはその前に「一緒に加えてくれ」だなんて言うてるもんだから!(場内笑) これどうしようかなと!

柳田:(苦笑しながら否定するジェスチャー)

角田:それで、エムカクさんが実は番組に関わってましたって、その翌日ですよ。柳田さんがボソっと「筋は通せ。」ってつぶやくんですよ!(場内爆笑)

博士:これは名言!!!「筋を通せ!」

竹内:(嬉しそうに柳田を見て拍手)

角田:ほんでエムカクさんもそういう経緯があるから、柳田さんに「ちょっとそんなん言わないでくださいよ」と。

エム:DMで送ったんですよね。

角田:DMで。「そこまで言わんといてくださいよ」って言ったときに、柳田さんの弁解が、「いやいや、ちゃうねん! あれはちゃうねん!」と。「実は、前の晩に高校の同窓会があって、筋を通さへんやつが一人おったんや!」って。(場内爆笑) この不合理な弁解ね! そんなことあります!?

博士:弁護士から見ても、そこはおかしいと。

角田:そんな、同窓会で筋を通さへんやつなんております?

柳田:いや、マジや。これマジやねんて。ほんまにそうやってん。エムカクさんと付き合い長いけど、電話番号知らんねん。DMでしかやり取りしてなくて。それでDMでボクの電話番号送って。話さなあかんやん? エムカクさんもえらい怒ってはるから。

竹内:あなたがお怒りなんやろ?(笑)

柳田:全然ちゃう、全然ちゃう。ほんまにこれは......。

渡辺:同級生は何の筋を通してなかったん?(笑)

博士:かばうわけじゃないけど、柳田くんは昔から、「筋を通せ!」的なことを、すぐに言う人ではあるからね。

柳田:いや、ここで言うたら引くような、筋を通さへんやつがおってん。マジでマジで。でもこれ言うたら引くから。

角田:分かりました、分かりました。でも、ほんまはそうやったとしても、タイミング的にあまりにも出来すぎてて。ヒヤヒヤしましたよ、「どないしよう」思て。

エム:あれからちょっと、距離がね......。

角田:距離が開いちゃったんですよ。

博士:しかし、そんなのはさ、SNSを通した、ちょっとした身内どうしの事故じゃない。そんなに広がってないけど。こちらにいる人(=相沢)のネット炎上は全国区だから。(場内笑)

角田:ミスター炎上!

渡辺:っていうか、何をしたんですか?

博士:さっきから楽屋でも、相沢くんのことを「炎上!炎上!」って言ってるから、ナベちゃんは、そもそも相沢くんのことを何も知らないから、相沢くんのことホントに放火か何かした人だと思ってるんだよ。

渡辺:この人はそんなに悪い人なんですか?

角田:放火はしてないですよ? 熊田曜子のそっくりさんじゃないから。

相沢:(笑)くまぇり?

角田:男くまぇり!

博士:ちょっと待って、一個だけ好きなフレーズ言わせて。あの放火で捕まった、くまぇりの職業が「家事手伝い」っていう。(場内笑) 話をもどしますが、まあ、そんな今が旬の相沢直くんです。

相沢:よろしくお願いします。(場内拍手)

博士:直角の「直」って書いて直(すなお)くん。

角田:ほんまに直角ですよね。

渡辺:ええ名前やん。

竹内:ボクね、あのー、相沢さんってほんとに良い人なんですよ。ボクも2回か3回お会いさせていただいたんですけど。こんな良い人いないぐらい良い人で。いや、ほんまに良い人なんですよ!

相沢:殺人犯の知り合いが「あいつはこんなことするはずない」みたいな。(笑)

竹内:いや、良い人なんですけど、今回の、なんかまあプチ炎上して、その中で自分の進路も含めてボクら(『メルマ旬報』WEST)がやってるLINEグループで自分の心を吐露してはって。ボクら、それ見てどれだけ心配したことか。

角田:いや心配してませんでしたやん!(場内笑) ボクらは心配してましたけど、このおっちゃんだけは全然してなかったじゃないですか。

竹内:違うんですよ! だってね、どう書いていいか分からんかったんですよ。慰めることもできないし。

柳田:いや、あのLINEで一番の年長者ですよ?

角田:最年長者がね、下ネタになったらさっ!って入ってくるでしょ?

相沢:ちょっと下ネタのにおいを嗅ぎつけたら。

柳田:フットワークええねん。

博士:でも、観客の皆さんは相沢くんが何の職業をしている人かもまったく分からないと思うんですよ。だから能町みね子さんを含めて、元々、相沢くんが何してる人なのかも分からなくて、アイドルについてネットで書いてる、ただのフリーライターにしか見えてないと思うんだけど。ボクとなぜこういう風に付き合ってるかっていうと、元々ボクがやってた「博士の異常な鼎談」って番組のプロデューサーなんですよ。

柳田:え、プロデューサーなん?

相沢:プロデューサーなんです、構成作家じゃなくて。

博士:スポンサーのソニー(・ミュージック)側にいた人なの。

渡辺:えらい人なん?

角田:ただのくまぇりちゃいますよ。

博士:そういう番組編成もやっている側で、町山(智浩)さんの「松嶋・町山未公開映画を観るTV」とかも立ち上げからやってるし。その頃から顔は知ってるけど、そういう人って現場で「ソニーさん」って呼ばれるじゃん。会社の名前で。で、彼も自分から一言も喋らないから、なんかまあ、ソニー側の堅物の人かな?ぐらいにボクも思ってて。

相沢:まあ特にその現場では、スポンサーだから何か言うとそれが反映されちゃったりとか、制作スタッフが考えなきゃいけなくなるじゃないですか。それまでボクは構成作家をやってたから、逆に立場として、そのときはなるべく気配を消すようにしてて。

渡辺:構成作家をやってソニーに行くってどういうことなん?

博士:この人は天才的に頭が良い人なんですよ。もともと放送作家やってて、番組の企画で「作家が東大に入れるのか?」っていうのをやって受験したら、それでホントに東大にはいっちゃうんですよ。そういうこともボクもあとから知るんだけど。だってボクは自分の番組の最終回のときに、ソニーさんから挨拶したいって言われて、「昔からファンでした」っていう話を初めてされて。それで、「ボクお父さんが東国原知事の宮崎の後援会長なんです」って言うから、「君、どういう素性の人?」って聞いて。その後、プロレス関係に詳しいディレクターの香川さんって人から「あいつはちょっとした怪物なんだ」って聞かされて。でそういう経歴も聞いて、そうか、「地頭の良い人なんだなあ」ぐらいの認識で、それでまだ若いしね。いまいくつだっけ?

相沢:35歳です。

博士:だから初めて会った当時、まだ30代になったばかりだもんね。で、そういう認識がある中で、マンガ原作の賞に「みっつ数えろ」っていう作品を彼応募したんですよ。それは最終的には通らなかったんだけど、原稿をネットに上げてて。それを俺が偶然にも読んで、これはあまりにも面白すぎると。

竹内:はいはい。あれはコンセプトがいい......。

博士:竹内さんもご存知だと思うけど、女子校の演劇部がプロレスをするっていう筋なんだけど、そのコンセプトだけで面白いって思って。そのときに、雑誌の「テレビブロス」が俺の年表を作りたいって言ってきて。そのときにライターとしても、たまたま出会って。これは何かの縁だなと思って、あの「みっつ数えろ」を「メルマ旬報」で連載して欲しいって話で、そこから付き合い始めるんですよ。で、今は、一緒に「いとうせいこう年表」を作っているっていう......。

渡辺:今、知りましたよ。今日も初対面だし、ずっとどういう人かなって。

博士:でもそういう関係性はまったく見えないじゃないですか。特にプロレスとアイドルが好きだから、その関係のライターだって世の中の人、ネット民には見えてるんですよ。で実際に「みっつ数えろ」は、いま大手から問い合わせがあって、映画化や舞台化の企画が動いていて、そこはボクはノータッチだけど。

渡辺:それがなんで炎上してますのん?

博士:アイドル関係のネタを巡って、無名のライターみたいな人が、ネット界に君臨する、吉田豪ちゃん及び能町みね子さん......ちなみに能町みね子さんって俺は書き手として実力的にすごく尊敬してるし、もともと「メルマ旬報」立ち上げの時に執筆者として誘ってる人なんだけど......そこで相沢くんが酔ったままTwitterやっているから墓穴を掘っちゃって......ま、泥酔自損事故ですよ。それで結果的に相沢くんがTwitterをやめて、それがまた、すごくヘタレみたいなことに全国的にネット界ではなってるという。

竹内:だから我々のLINEでも「ほんとに業界やめます!」みたいなね。

博士:「やめて、医学部入り直す!」って言っててね。実家がお医者さんだから。

角田:ボクはでも、もう一回医学部行ったほうがおもろいと思うんですよ。

相沢:まあ、今日、大阪に来るときも博士と新幹線でちょっと話をさせてもらって。でもこの話、ここでしなくていいんじゃないですか?(笑) 俺の進路、みんな興味ないでしょ?

柳田:まあそうやな。居酒屋でしたらええわ。

竹内:え、でも実際、どうするんですか?

角田:どうしていくんですか、これから?

相沢:いや、これマジな話になっちゃうので......。

渡辺:(全くの他人事のように)Twitter、便利やからやったほうがええよ?(場内笑)

相沢:......腹立つわー!(笑)

柳田:いまやろうよ?

渡辺:「アワーズなう」、って言うたらええやん。

角田:このイベント終わるまでにもう一回再登録しましょうよ。

相沢:えー......もうやだ、もうやだ。

博士:だから、今、そういうネットを通じて「謝罪」とかを一方的にやると、(ダイノジ)大谷(ノブ彦)くんの、突如、ネットの放送の中で俺に謝罪するとか、ああいうわけの分からないノリになっていくのよ。

竹内:大谷問題ねー。あれって、連載を2ヶ月休んで中居くんのことをじっくり書きたいってTwitterで発言ありましたよね。それ自体、原カントくんと博士に根回しがいってなかったってことなんですか?

博士:大谷くんは、そもそも連載、休んでることの方が多いくらい休載の常連だし、今回は「原さんには連絡はいってる」っていってるけど、文面がああいうものであるっていうのは俺のところには来てないし。

竹内:それでもう、これはこれ(手でバツのポーズ)やと、その時点で決断したんですか?

博士:それはええっと......まだ生放送でしょ。1時間後に喋ります。(場内笑)

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角田:いつまでニコ動は配信やってるんですか?

竹内:あと30分。

角田:まだ30分あるんですか?

竹内:だってまだ皆さんの紹介終わってないもん。

博士:まあまあ、だけどその前に、ここ数日、ボクがやくみつるさんとモメてる感じもあったじゃないですか。「ポケモンGO」で。あれは本当、やくみつるさんに対して申し訳ない気持ちになってて。やくさんのフレーズ「心の底から侮蔑します」って俺が言い返したって。あれがネットに切り取られて、天敵同士みたいに書かれて、多くの人が「よく言った!水道橋!」ってなっているんですけど、全然そういう話じゃないんですよ。

竹内:というと?

博士:テレ東の朝のニュース番組「モーニングチャージ」の中で、ボクとやくさんは共演してるんだけど、やくさんの「侮蔑します」っていうのは別番組のポジショントークで。やくさんって、もともとああいう役をやるじゃないですか。 亀田三兄弟とモメたとき、亀田父にヒモを見せて「これでカメ縛っとけ!」とかってフレーズを用意してきて、やってきたじゃないですか。そういうプロレス的な役回りをあえてやる人なんですよ、テレビの中で。

角田:はいはい。

博士:あと基本的にスマホとかはまったくやらない人だから、ネット世論なんか関係ない人なんですよ。それでちゃんと自分の流儀で、違うものは違うって言う人だから。それは番組のニーズもあるじゃないですか。テレビのコメンテーターの誰もが同じことを同調圧力のもとで言う中で、そこまでなかなか思い切ったこと言い切れないし。でもやくさん本人もタクシーの中で運転手さんから「最近丸くなったんじゃないですか?」とかなんか言われて、それでポケモンを批判するのに、あえて「侮蔑」っていう言葉がちゃんと卑劣に聞こえるってそこまで計算して、それも、ボクとの共演の前にほかの番組で言ってて炎上中だったんですよ。

竹内:ふんふん。

博士:それでテレ東の朝の「モーニングチャージ」って番組で共演する、本番前の打ち合わせで。「やくさん、またやりましたね」って。「ポケモンGO」はうちの子どもも俺もやってるから、「俺すごい、やくさんに侮蔑される立場じゃないですか!」って。そこにはスタッフもいるんですよ? もちろん、みんなそのやりとりを聞いて笑ってて。で、「じゃあ、本番は俺もメガネをいかついのに換えて、めちゃめちゃ怒るキャラクターでいきますからね。やくさんは俺を亀田父だと思ってください!」って。俺が演出しているわけ。

渡辺:試合前のドレッシングルームの会話ですやん。

博士:そもそも俺の末っ子って、小学生で唯一のやくみつるマニアなんですよ。(場内笑) 小学2年生で生まれて初めてサインをもらったのがやくみつるで。クイズマニアなんですよ。だからやくみつるはマンガ家じゃなくて、すごくかっこいい憧れのクイズ王なんですよ。

柳田:学帽かぶってね。

博士:そう。それで末っ子の好きな歴史の本にサインもらって。その後、会うたびにサインもらってるんですよ。それぐらいの家族的な付き合いのある人に、俺がそんな本気で言うわけないじゃないですか。それで報じられてるようなセリフを俺が言い返すくだりがあって、最後のほうでは、「ポケモンをテレビ東京の番組で批判するぐらいなら、テレ東出入り禁止ですよ!」って言って終わる。スタッフもみんな拍手して大ウケになる。「ああ面白かった!」って気分になって......それでテレビ東京を出た途端、ネットでは炎上ですよ。

柳田:大団円のはずが。

博士:やくさんが老害として攻撃されていて、それはあまりにも理不尽な感じがして。半日、ネットの反応も見てたけど、あまりにも広がっていって。やくさんが悪いと。まだこういうのって俺が悪いって言われるほうがヒール的には気持ちは楽じゃないですか。

渡辺:せやせや。

博士:しかも、やくさんの立場で言うと、やくさん自体は昆虫採集のマニアなんですよ。ポケモンなんてゲームの世界でやらなくても、珍獣ハンターのイモト以上に、10年間かけて「オール読物」で連載してる旅行記もあるんですよ。世界の秘境へ行って色んな昆虫を採ってくるっていう。そういうのはみんな知らないじゃない。そういう情報をボクがどんどんTwitterに上げていくんだけど、それは誰も拾ってくれない。だから俺の中では、今回、やくさんと大谷くんの件を一緒にしてほしくないんですよ!(場内笑)

竹内:(仕切りなおして)じゃあ大谷くんの話は後ほどにして、ナギータ、柳田くん!

柳田:よろしくお願いします。(場内拍手)

博士:柳田くんがどういう人かを説明するのも、ものすごく難しい。今は放送作家ですよね。大阪を中心とする放送作家で。ボクとの関係は、ボク自身が「浅草橋ヤング洋品店」に出演してる頃に、本人は否定してるけど、俺の部屋に現れる弟子志願なんですよ。当時もぶっといネタ帳を持ってきてて。今にして思えば、この人は演芸男子なんですよ。演芸って......。

柳田:畑ちゃいまっせと。

博士:そうそう......(渡辺に)早くツッコんでよ!

渡辺:ボク!? ああ、「どっちも種蒔きますけどね」とか言うてね(笑)まあまあよろしいわな、今日はそんなん。......プロレスで疲れたわ!(場内笑)

博士:まあそれぐらい昔から知ってる仲間ですよ。それで持ってきてたネタを読んで、いろいろ演芸の話を書いているんだけど、マニアックすぎて、この人あまりにも頭おかしいんじゃないかって。(笑) それで俺のところではだめだってなって、「浅草橋ヤング洋品店」のテリー伊藤率いる制作会社、ロコモーションの作家になったんですよ。

渡辺:そんなに古くからですか?

博士:そう。でも当時のロコモーションっていうのは現場のロケに全部作家を来させてたんですよ。そこでは作家ではなく、ほぼAD。だからいわゆるヒエラルキーの一番下だからサンドバック状態で、ボコボコにやられ続けた人、っていう認識。だから文章を書く人だっていう風にも思ってなくて、まあ、そのあと単行本の処女作「はした金の屈辱」って書いてて、その本の帯はボクが書いてるんだけど。ボクは本の帯文とか解説とかやるのに、ちゃんと「こだわり」があるのね。その後、「あの頃の昭和館」っていうタイトルのポッドキャストをやるようになり、それを聴いて、彼はこれほどマニアックで発掘を得意とする本物の演芸通なんだっていうのが分かり、じゃあ「メルマ旬報」で連載しようかっていうことになったの。

柳田:博士とは長い知り合いだけど、そういう自分をずっと隠してたんですよね。

渡辺:なんで隠してはったの?

柳田:そんなん言うの恥ずかしいから。

角田:誰にもおっしゃってなかったでしたよね?

渡辺:なんで誰にも言うてへんかったの?

柳田:まあ、それはまた1時間後に。(場内笑) 

竹内:なんか、こだわり人間なんだよね。

柳田:そうですか?

渡辺:っていうか、(竹内は)こだわらなさすぎるんですよ。(場内笑)

竹内:ボクはね、まったくこだわらないですよ! だから、あのー、適当なんですよ。適当に関しては、ものすごいこだわってる。(場内笑)だっていちいちね、調べてやる人の気持ちがいまいち分からんのですよ。

角田:そんなん言い出したらエムカクさんと柳田さんはどうなるんですか。

竹内:いやだから、ものすご尊敬してるよ! ナギータもエムカクさんもボクむちゃくちゃ尊敬してるよ、もちろん相沢さんもそうだけど。すごいなと思うんですよ。吉田豪もそやけど。ボクああいうのがね、「なんで?」ってなるんですよ。......適当でええやん?(場内笑)

柳田:でも博士の「メルマ旬報」があって、エムカクさんとボクは少なくとも救われましたわ。

竹内:っていうか、ある種の根底になってますよね。「メルマ旬報」の良心というか。

博士:「メルマ旬報」で俺が編集長だから、俺の性格を反映してるのが、「史家」の人が集まってきてるんですよ。ヒストリーを刻もうと。文字ってそのまま「しるし」じゃないですか。残っていくものだから、喋りと違うんですよ。もちろん、面白ければ話を盛るのは盛ってもいいんですよ、その現場が面白ければいいんだから。でもそうじゃなくて、記録にこだわる人、文(ふみ)にこだわる人っていうのは、それが残っていくってことにこだわっていて、その俺のノンフィクション体質っていうのが反映して、そういう人たち、書き手が集まってきてるんですよ。

柳田:それはありますね。

角田:それで言うと、柳田さんの八百屋さんの話して大丈夫ですか?

柳田:全然ええよ。

角田:柳田さんのすごいのが、今年の7月15日に「島田紳助松本竜介結成39年を勝手に祝う会」っていうのを一緒にやったんですけど。柳田さんっていうのは40年来ぐらいの紳竜ファンなわけですよ。特に紳助さんのことが大好きで。紳助さんのお笑い・演芸史における功績っていうのをずっと研究し続けてらっしゃる方で。中学生ぐらいですか、「ハイヤングKYOTO」って紳助さんのラジオ聴いてはったときは。

柳田:中2やね。

角田:そのときから紳助さんが友だちとかを連れて来てて。自分の地元のネタとかを、よう喋ってはったらしくて。その当時、中学生の頃から、柳田さんは紳助さんの実家のまわりをうろちょろする子どもだったんですよ。それを、いまだにしてるんですよ。(場内笑) それですごいのは、この間の発表で言うてはったんですけど、いまだに紳助さんの実家の前をうろちょろしてると、自転車が1台増えてんねんと。

柳田:実家やで?

角田:実家の自転車が1台増えてると。そこには紳助さんのお母さんがいらっしゃるだけやのに、なぜか自転車が1台増えてる。それで気になった柳田さんは、その近所に聞き込みをするんですよ。(場内笑) それをしていく中で目をつけたのが近所の八百屋さん。老夫婦がやってる八百屋さんやったんで、「詳しいんちゃうか」と。でも急に行ったら怪しまれるから、普通に野菜買いに来たオッサンっていうテイで行って、「そう言えばこの近所に紳助さんの実家あるんですよねえ?」と。

竹内:ああ、ちょっととぼけて。

角田:とぼけて聞いたら、よう知ってはったんですよ、その老夫婦が。そんで話を聞いていくと、その老夫婦が「いや紳助さんの実家やったら、うちら野菜を配達してんで」と。それを聞いたナギータは、その八百屋にバイトで入ろうとしてるんですよ!(場内笑) ほんまに。

柳田:それは間違いない。

博士:まあまあまあ、その話で言うと、いま「メルマ旬報」を読んでる人なら分かると思うけど......っていうか「メルマ旬報」読んでない人います?(客席から何人かが手を挙げる) 俺は全ての人が「メルマ旬報」に入ればいいと思ってるわけじゃないんですよ。活字中毒で、とにかく起きている間は活字を読まなければ気が済まない人っているじゃないですか。それが俺は、日本じゅうに最低1万人いると思ってるの。1万人っていうのは全人口のだいたい0・01%ですよ。我々は、たった0・01%の友だちを探してるんですよ。「メルマ旬報」を読む人はその中の史家とか文章にこだわりのある人が、何にこだわってるんだろうって気になって周りを読むわけじゃないですか。その反響をこだまさせたい、そしてそれを出版したい。出版不況が続いていて、本というものの価値が下がっていくんだったら、猪木イズムで「ジャングルが危機に瀕しているなら、保護するんじゃなくて、新しいジャングルを作ればいいじゃねえか!」って話なんですよ。

渡辺:猪木や。アゴ飛び出して言うてはる。

博士:だから、売れて当たり前とか、ものすごく思い上がったことは思ってないんですよ。編集長としてのペイはもちろん少なからずあるけど、今の自分のテレビタレント業から言えば、『メルマ旬報』に関わっていることは効率が悪い。これぐらい時間がかかってやってるものはないから。

柳田:これほど効率悪い仕事もないですよねえ。

博士:ない!だって違う仕事を入れるべきだもの。それでも、そういうことを喋る仲間、仲間っていうか「文」で繋がってる友を欲しいからやってるのであって。だからそういう人には広げてほしいんですよ。そしたら俺も毎日こんなに炎上する必要はないんですよ。炎上は、自ら炎上しようとしてしてるから、「メルマ旬報」の読者が1万人にいくまでは。だから皆さん、感想を書いてほしいんですよ。それを俺は義務的にRTしていくんで。そしたら広がって、「何だろうこれは?」って思うひとも0コンマ何%はいるわけじゃないですか。今回の大谷くんの件で、「何だこれは?」って思って『メルマ旬報』に入ってくれた人もいるだろうし、それはそれで俺の狙い通りっていうか、リアルなガチでぶつかってはいるけど、結果として興行に結び付けたい。猪木イズムをやってるんですよ。

竹内:分かりますよ。だからナギータが、八百屋の老夫婦をだまくらかして......。(場内笑) それが本当のニュースの事件になるぐらいのことをしたほうが。

角田:でもほんまに福山雅治のコンシェルジュと......。

竹内:なんら変わらない。

角田:いや、これが違うのが、ほんまに家入ってもうたらコンシェルジュになっちゃうんですよ。コンシェルジュもコンシェルジュになった時点でとどまっておいたら合法なんですよ。だからナギータは合法なんです。

博士:あと、紹介し忘れたけど、柳田くんの連載「武史」(たけし)っていうのは、ビートたけしのほぼ1日ごとを歴史につけようって、これは数年前に(柳田と)二人で話してたときに、「マイケル・ジャクソンにはそういう本があるから。たけしさんでこういう本を作りたい」んだって、「ああそれは面白い!」と。

柳田:話したなー。博士の倉庫部屋で。

博士:それを共有する人は沢山いるよと思ったんだけど、やってみたら、いないんだよね。(笑) 、当時の「ベストテン」がどうだったとか、そういうのもありつつ、でも柳田くんがやっていることを俺は分かるんですよ。だって俺は、もともと、たけしさんの追っかけだったから。今は弟子だけど、それで素人の頃は一個一個記録をつけてきた人だから。柳田くんが書いてあることはほぼ分かるし、ボクが持っている資料も全部渡してるし、「オールナイトニッポン」の録音から何から。それをやる意義も分かるんだけど......。その連載の前に、もともと『メルマ旬報』で彼が何をやってたかって言うと、島田紳助「漫才の教科書」っていう題の連載をやっていて......。これは本人から説明してくれる?(しゃべり疲れた様子で)

柳田:島田紳助・松本竜介がデビューする前に、紳助さんが「漫才の教科書」っていう独自のノートをつけてたわけですよ。このノートっていうのは、今まで見た人は、さんまさんがチラっと、巨人さんがチラっと見たらしいんだけど、膝つき合わせて見た人が、竜介さんしかいない。その竜介さんも亡くなりはった。書いてた紳助さんもああいう形で芸能界を引退なさって。そのノートを、単刀直入に言うたら、ボクは欲しいんですよ。見たいんですよ。見たいし、本当言うたら、盗りたいんですよ。本音で言うたら。芸を盗むってわけじゃないけど、それを盗りたい。ただそれを、ほんまに盗ったらだめじゃないですか。だから手がかりがあるわけですよ。紳助さんの発言であるとか、ラジオとか、痕跡はあるわけですよ。痕跡をもとに、そこに何が書いてあったかっていうのを、推理したいんですよ。

角田:もうかなり復元されてるんでしょ?

博士:それを外殻からどんどんと埋めていったのが、『メルマ旬報』の柳田くんの連載なの。それはノンフィクションとしてすごく面白いんですよ。で、最後までこのテーマでやりたかったんだけど、途中で「武史」に乗り換えたし、出口としての書籍化まで行けていない。俺は今も色々出版社に売り込んでますよ。結果的には連載のなかで紳助さんが最後に出てきたら、それは本として売れるノンフィクションとして成立するっていう。で、さっきから客席には見えてないけど、この人(柳田)は紳助さんとの面識は既にある人なんですよ。京都の紳助さんのラジオ番組の作家をやっていたんですよ。紳助さんも、彼が何者であるかということは知っている、知っていて、近付くようでいて近付かない、その関係の中でいま詰将棋みたいなことを少しずつやっているという。

角田:かなり詰み出してるんですよ。このあいだのイベントで言うてはったんが、イベントのちょっと前に柳田さんが、Twitterで「大谷高校」って書いてる校門を......。

博士:ちなみに、この大谷は、ダイノジ大谷くんとは関係ないですよ!(場内笑)

角田:紳助さん、京都の私立の大谷高校の出身で。大谷高校の校門の写真をアップしてはったんですよ。あ、それは近所まで行って取材してはったんかな、って思ったんですよね。それでボクはそのライブの日に、一緒にやってる西川さんっていうディレクターがいらっしゃって、ボクと西川さんは楽屋で喋ってて。「ああTwitter見たら大谷高校のあの辺に行ってらっしゃったんですね」って軽く言ったら、「角田さん違うんです」と。「あの柳田さんがアップしてた大谷高校の校門は......」西川さん大谷高校のOBだからたまたま知ってたんですけど、「実はボクらがむかし通ってた頃の大谷高校の校門なんですよ」と。今のじゃないと。「どういうことですか?」って言うたら、その伝統ある校門は実は、生徒のOBの思い入れもあるんで、学校の中に移設されてるんですよ。

柳田:校門をつぶさずにね。

角田:つぶさずに移設されてるんですよ。

竹内:ということは?

角田:ということは、柳田さんは勝手に入ってるんですよ。学校に!(笑)っていう話になって。「これちょっとやばいですよね」と。ボクも弁護士なんで、建造物侵入とかを容認するわけにはいかないんで、これ洒落にならんなて思ったんですよ。ほんでイベント始まって、「あれどうやって入ったんですか?」って聞いたら、びっくりしたんが、柳田さんのお嬢さんがいらっしゃって。中学二年生ですか。英語ものすごく好きなんですよ。向こうの映画を字幕じゃなくて英語で見たり聞いたりするような。で、英検を受けてらっしゃるんですよね。今年準一級を受けるいうことになって、お嬢さんが願書出すじゃないですか。その書類を柳田さんが何気なく見てたらしいんですけど、パッと見たら、京都の英検の受験会場が、大谷高校。(場内笑)

竹内:そうなんやあ。

角田:でも普通はそれで付き添いで行くかってなるじゃないですか。柳田さんは違うんですよ。英検3級を自分で受けたんですよ!(場内爆笑)

竹内:合法的に!

角田:合法的に入り込んで!

柳田:付き添いで行かへんかったのは、理由があって。付き添いで行ったら保護者の部屋に入れられるから。

角田:自由に動き回れるように、受験生として行ったんですよ。それで、紳助さんが通ってたのは3年何組でしたっけ?

柳田:3年1組。

角田:それで3年1組の教室に行こうとするんですけど、受験番号とかで教室決められてるじゃないですか。迷ったふりをして、全然違うところをうろちょろして。「どこやろ?」みたいな。

柳田:まあ「一人ダイハード」やね。(場内笑)

博士:いやあ、面白い!!でもその情熱のどうかしてる面白さも含めて、そんなのを地下サークルに閉じ込めていることはないと思ってるんですよ。読者の目標1万人だって控えめな数字じゃないですか。こういう面白さって、アンダーグラウンドで何十人にしか分からない面白さじゃないですよ。だからもっと「メルマ旬報WEST」のメンバーのことを、もっともっと知らしめたい。

竹内:それは是非やりましょう!

博士:でも竹内さんの連載の「変態の流儀」なんて、編集部のアルバイトのスタッフで校正をやってる若い女性もいるんですけど、その人が読みながら、もう「ヘドが出る」って。(場内笑)

角田:「ヘドが出る」!(笑)

竹内:いや、その女性スタッフの言葉がねえ、がんがん響いてくるわけよ。「よし、もっと出したろう」って。だって福山雅治みたいに女性にウケる下ネタなんて下ネタじゃないんですよ。(場内笑) 女性が引かないと下ネタじゃないんですよ。それをぼくは「変態の流儀」という作品でね、自分の感性を大開放して書いてるわけよ。それを女性スタッフが読んで「うわ、これやめて」ってなるんやったら、ぼくにとってこれは勲章ですよ。

角田:クン二等。(笑)

竹内:「クン二等」!そうなんですよ。それはもう、編集の原カントくんから聞いたときには「よし!」(ガッツポーズ)ですよ。もっと引かせる方法はないのかって、いま考えてるもの。

博士:でもそれこそが「文」の役目なんですよ。現実の世界で本当にそれをやってしまうと犯罪ですよ。でも「文」の中にとどめておいて、その官能であるとか変態であるとか、そういうものを解放してあげるっていうのは何の問題もないんですよ。かつ、その女性とかは、セクハラもどきで、ものすごく嫌っている世界かもしれないけれども、いまや武道館を2daysいっぱいにして、初めての小説「祐介」が初版3万5000部が三日間で重版がかかる、音楽界と出版界が最も注目している尾崎世界観(クリープハイプ)が「メルマ旬報」の一員になりたいって手を上げてくれる。これが何故なのかは本当に分からないじゃないですか?今回「メルマ旬報」の著者紹介文には書いたから、読んでくれた方なら分かると思うけど。彼はミュージシャンで売れる前に印刷関係の仕事に就職したときにボクらの「お笑い男の星座」を自分が本として作っていた......。

柳田:へえー!

博士:「へえー!」って、そこを読んでないの!?(場内笑) それこそボクの言うところの星座なんですよ。全部が繋がっていて。俺も分からなかったもの、なんで彼が「メルマ旬報」で書きたいのかが。それでも、入ってくるのは良いけど「君はすごく嫉妬されるよ」と。本当の意味での人気者だから。で、「め組」「る組」「ま組」ってあるけど、って執筆者の名前を見せて「どこに入りたい?」って聞いたら、その日のうちに彼が「『る組』にしてください」と。

渡辺:それって、うちらのとこ? うちら「はいすくーる落書き」に?(場内笑)

柳田:落ちこぼれ集団に。

博士:彼自身が上野の岩倉高等学校っていう鉄道学校、男子校の出身なんですよ。そこって卒業生は全員鉄道関係に就職するような学校なんだけど。休み時間も時刻表をみんなで読んでるようなオタク気質の中で育ってきて。俺は「アサ秘ジャーナル」で現場取材してるから雰囲気もわかるんだけど。それで改めて「それでもなんで『る組』なの?」って聞いたら、「いやあ、竹内さんの『変態の流儀』が好きなんですよ」って。

竹内:ほらほら。

角田:ほらほら?(笑)

渡辺:向こうは世界観やけどこっちは新世界やで。(場内爆笑)

博士:(笑いながら渡辺と握手)ナベちゃん、今日、イイ仕事してる!!ちゃんとシュートを決めてる。

柳田:腕上げたで。

渡辺:あんま喋らんかったから。「ここいうときに行け」って、松竹はな。あんまり前出たら行儀悪い。(笑)

博士:そんな武道館1万人を2daysいっぱいに出来る、女性ファンも多いですよ。その人が要はこういう我々の世界観を分かっていて、ましてや彼はLINEもやってるけど、そのアイコンが楽屋の入り口に貼ってある「北野誠」って書かれた紙を撮った写真で。そりゃあ31歳だからどういう風に誠さんを認識してるかは分からないよ。もしかしたら「芸能史の中で突如消えた人」って認識なのかもしれないけど。(場内笑) でもそれで「る組」に入る理由としては充分じゃない? そこまでのことが分かってくれる人っていうのは仲間ですよ。っていう流れなんですよ。それでも尾崎世界観ぐらいの人であったら、「今日はチケット買って客席で見ています」、ぐらいのことがあってもおかしくはないですよ。

角田:いるんちゃいます?

柳田:まあ、色んな世界観のある人はいっぱいおるよね。(笑)

渡辺:尾崎ジャンジャン横丁とか。(笑)

角田:(最前列のお客さんに)お父さん、尾崎世界観ちゃいますよね?(笑)

博士: ついでに「尾崎世界観いい話」を言わせてもらうと、尾崎世界観は俺も知らないままずっと「メルマ旬報」を読んでいて、それで今回連載することになった。それで原カントくんが、尾崎世界観に、「今まで読者として毎月500円払ってくれていたけど、執筆者になることだし無料で読める名誉会員にさせてください」って提案したの。そうしたら「ボクは音楽関係のミニコミも作ったことがあるから、どれほど『メルマ旬報』が困難なことをやっているかは分かる。その敬意も込めて有料の読者でいさせてください」って。

渡辺:かっこええわ~(笑)

博士:それで言うと角田弁護士も、執筆者になってからも、ずっと毎月500円払ってて。

角田:そう。払い続けてたんですよ。2年間ぐらい。それで、よう柳田さんに相談してたんですよ。「いい加減にぼく、払わんでええんちゃいます?」と。(場内笑) でも自分から言うのはあれで。しかもその間、ぼくの仲良くさせていただいている芸人さんも何人か、無料会員の紹介までしてるんですよ。原カントさんに「この人と、この人が読みたいって言ってはるんで」って紹介しながら、ぼくは「自分もタダで読みたいな」と思い続けてて。

柳田:毎回、飲んだらその話やねん。(場内笑)

博士:それでLINEグループの中で原カントくんが「ちょっといい話をさせてください」って、今、俺が言った、そのイイ話を書き込んだんですよ。そのときの角田弁護士、「そんな話をバラされたらボクの立場はどうなるんですか」って。(場内笑)

角田:その直前にボク、原カントさんについに言うたんですよ。「いい加減に無料にしてください」と。それ言うた直後に、原さんがええ話として、それを紹介したんですよ。ものすごく、ボクがいじきたない奴みたいな。

博士:それが「角田世界観」っていう。(場内笑)

角田:で、その原カントさんが今日発売の「新潮」(2016年9月号)に「如何にして『水道橋博士のメルマ旬報』は限界を突破したか」という原稿を書いてらっしゃって。これが載ってると。でも「新潮」に載るってすごいですよねえ。

博士:ぜひ、それも読んでもらってね。ほかにも今まで朝日、読売、共同から取材を受けて、活字を読む世代に訴えてるわけですけど、まあ朝日新聞にかなり大きくカラーで載っても、高田文夫文先生からFAXで「よくやった」って言われたけど、ネットの中では何の反応もないんですよね。これは、ネットの人たちと新聞を読む人たちは乖離してるっていうことの証明だと思うんだけど、本当は、それを含みたい。活字を読む人としては同じじゃない、新聞を読む人もネットをやる人も。だから今日、「メルマ旬報」を読んでない人はもっと多いのかと思って、その人が登録してくれたらあげようと思ってプレゼントにTENGAも持って来たんだけど。(場内笑)

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角田:じゃあ(最前列の)お父さん、ぜひ登録してもらって。

渡辺:お父さん。お父さんの名前、「尾崎秘宝館」でいいんじゃないですか?(場内笑)

角田:出た! また出た!

柳田:うまいねえ!

博士:(拍手)ナベちゃん、全部、オチもっていっている。

一同:さようなら~!

渡辺:(高い声で)さようなら~! ......阪神師匠。(場内笑)

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(以上、ニコニコ生放送で配信部分。以下の書き起こしは初公開となるイベントのその後の模様となる)

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博士:......もう配信落ちてます?

(スタッフ:落ちました!)

柳田:もう落ちた。

渡辺:なんやもう、息苦しかったわー。

竹内:いや、いいですか、ちょっとね、これから固い話言いますよ。

柳田:何で、いまから固い話しますのん!(場内笑) さっき固い話しなされ!

竹内:いやいや、存在意義の話をしたいんですよ、「メルマ旬報」の。メールマガジンっていうのは今まで数ありましたけどね、ここまで徹底したものは今までなかったとボクは思う。この「メルマ旬報」っていうのを、ボクはかたわらから見させていただいて、これから来るメディアだなと思ったんですよ。いわゆるメールマガジンっていうのは、やり尽くされてるんだけど、この形はまったくなかった。なぜなら「メルマ旬報」には徹底感がある。ここに何か載せたら絶対にほかの人も反応してくるだろうなという思いがあったので、ボクは博士に無理を言って、「ゆゆも」を連載させてもらったんですよ。それで連載したら何回かでマガジンハウスの人から連絡が来て「本にしたい!」となったから。やっぱり「メルマ旬報」にはそういう人たちが食いつく要素は絶対にあるなと。だから連載陣の皆さんにも言いたいのは、連載していて、もちろん反響もあると思うんですけど、自分が作り上げたい世界観みたいなものを出していこうと。それが届いてほしい世間に届いてくれるような可能性があるんですよ、「メルマ旬報」は。これは博士が前々からね、ラジオのときから言うてました、こういうこと。

渡辺:言うてました? 言うてましたか......。

竹内:いやほれ、スペルマの。第一チンポ汁の......。

博士:そっちの話ですか(笑)これちゃんと説明しますよ。硬い話でもなんでもないからね。これは20年前のラジオパラダイスで延々と話した話題です。いいですか、皆さん。第一チンポ汁を、日本では「カウパー氏腺液」と呼んでいますが、これではカウパー氏は日本で大恥をかいている、っていう話です。なんで第一チンポ汁みたいなもんを、自分の本名で、しかも異国で広められなきゃいけないんだと(笑)それは、あまりにもカウパー氏に申し訳ないから、新しい呼び方をつけようと募集して、それで最終的に決まったのが、第一チンポ汁のことは「亀清水」と呼ぶことにしたんです。でも(竹内)先生が考えられたのは......。

竹内:ボクはほら、「友達以上恋人未満」、ってよく言うじゃないですか。これにボクはインスパイアされたわけですよ。第一チンポ汁=「おしっこ以上、精液未満」(場内拍手) これ、どうですか?

角田:(笑) いや、竹内先生がすごいのは、中学生の頃からラジオ聴いてて、ボクが40歳になった今でも、同じことまだ言うてるんですよ? これは奇跡じゃないですか?

柳田:いや、この人(=竹内)は洒落にならんで。毎年「怪談グランプリ」ってやってるやろ?(註・関西テレビで毎年夏に放送されているトークバラエティ番組。竹内は2015年に出場し優勝、柳田は構成のスタッフ) あれ毎年、手相の島田秀平に出てもらってるんやけど、その島田秀平に竹内さん、「すみません、話あるんですけど。手相見ていただけませんか?」って。それで竹内さん見てもらたんや。そしたら島田秀平、「55歳からブレイクします」って。もう過ぎてんねん!(場内笑)

渡辺:その「ブレイク」って意味は、「壊れる」って意味? ちょうどそのときなんじゃないの?

竹内:......おお! ほんまに「ブレイク」! 当たってるわ!(場内笑)55歳は、ちょうどサイキックが終わった年です。

柳田:それ見て思ってん。「まだ、欲あるなー」って。笑たでほんまに。

竹内:60歳超えてからね、これから売れようって思ってる人間、俺以外におらへんで?

渡辺:ウチ(=松竹)で言うたら朝起太郎(あさおきたろう)師匠ぐらいですわ。(場内笑)

博士:(話を戻して)で、第一チンポ汁はカウパー氏腺液でしょ? 女性はバルトリン氏腺液。それも、また異国で広まってバルトリンさんに申し訳ないってことで、新しく名称を考えて、最終的に決まったのが「オメットさん」なんです。

渡辺:あれ、バルトリンっていう人も男なんですか?

竹内:そらそうですよ。氏やから。

渡辺:それはつらいねえ。

竹内:いや一番つらいのは「クーパー」ですよ。

角田:え?カウパーっていい発音したらクーパーになるんですか?(笑)

渡辺:プロ野球のシコースキーって、ほんまはシコルスキーやっていう。それと一緒か(笑)

竹内:そうそうそう。でもバルトリンは分かるやん? 男性が女性のを調べとるわけやから。もともと興味あるやん。クーパーは、男が男のを調べとるわけやから。どういうことやねん?(場内笑)

渡辺:それはでも、自分のを調べてるんちゃいますか?

竹内:それはでも調べにくいやん。こう見たいやん? こう......(ジェスチャーつきで反論)

博士:(笑い続ける)

柳田:(どこまでも脱線する話に呆れて)竹内さんすいません、エムカクさんにも喋らせてもらっていいですか?(笑)

角田:エムカクさん、あれどうなんですか? 「さんまのまんま」が終わるのどう思ってるんですか?(註:このイベントが開催された日、「さんまのまんま」の9月いっぱいでの終了が発表された)

エム:単純に寂しいのは寂しいんですけど、「さんまのまんま」で一遍危機があったのが、1988年に、さんまさんと大竹しのぶさんが結婚するということになって。あの番組って、さんまさんが独身で、部屋にゲストを招くっていう設定があったんです。でも、さんまさんが結婚して、家庭的な話とかになったら見てる人もどうなんだろう、みたいな話し合いがあったらしいんですね。でも当時、視聴率も高いし、そのまま継続することにはなって。ただそこは、さんまさんの隠れ家っていうことに設定を変えて、今まで続いてきたんですね。ボクは、さんまさんのヤンタンもずっと聞いてるんですけど、「さんまのまんま」が放送1000回を超えてからことあるごとに、いつやめるか、俺はいつやめてもええんやけどな、みたいな発言もされてたし。それでちょうど先週、だいたい1442回目やったんですよ。

柳田:だいたい、違うけどね。キッチリしてるわ。

エム:それで来年1500回があるから、それまでは「続くんやろなあ」って思ってたら急にこんな話で。ちょっと驚いたんですけど、スペシャル番組としては続くんで、それはちょっと毎週観られなくなるのは寂しいかなというぐらいで。ただ、このあいだの6月18日に生放送スペシャルがあったんですよ。あの上沼さんとのやりとりがあった......。

博士:あれは稀に見る名勝負だったよねえ! お互いがカメラに見栄を切りながら、見せ場というか必殺技を繰り出す、本当にプロレスの名勝負を見るかのような。

エム:あの番組で、さんまさんのマニアが何か思い出の品を持ち寄るっていう中継のコーナーがあって。それで制作スタッフの人からメールいただいて、あのコーナーに出演しないかって......。

角田:筋、通してへん!(場内笑)

エム:それでメールで説明されたんですけど、何をしてほしいのかがよく伝わってこなくて、それで「断らせてもらいます」って言ったらそれっきり連絡も来なくなって。結局ふたをあけてみたらエンディングで、シャンプーハットの二人がファンの方を連れてきてて。河内家菊水丸さんと、さんまさんの同級生ふたりと、あと「さんま劇団」っていう、さんまさんが一度やっていた劇団員の方がいて、その方とはちょっと知り合いになったんですけど......。

柳田:それ聞いてへんな!(場内笑)

エム:そのエンディングで、一人1分もなかったですよね。河内家菊水丸さんは、ずっと日記をつけてはるそうなんですよ。それで、さんまさんの昔の、それこそデビュー当時の、79年ごろのさんまさんのこともずっと書いてはって。大須演芸場に出演してたときのことも、すごく記録されてるんですよ。それで出番のめくりの、「落語 明石家さんま」っていうのも持って来てくれてはって。それは色々なところで紹介されてたんですけど、でも河内家菊水丸さんも掘り下げていったらすごく良い話も聞けたと思うし。「さんま劇団」の方もすごく、さんまさんのマニアで。70年代から、さんまさんのファンの方ですし。で同級生は、さんまさんが小学校のときにつかまえたムササビの剥製を持ってきてたり。そういうのが軽い扱いをされてしまっていて。けど今回終わるっていうのを聞いて、後悔はしてないですけど、「あそこで断ってなかったら、さんまさんにも」っていうねえ......。

柳田:あれはでも、今回終わるっていうのは、生放送のあれとは関係ないの? 上沼さんとのあれは。

角田:エムカクさんとしては、「上沼さんは終わるって知ってたんじゃないか?」ってツイートされてましたよね?

エム:そうですねえ。上沼さん、22年前にも「さんまのまんま」に出演されてて。そのとき本番前、上沼さんが裏でスタンバイしているときに、さんまさんがいらっしゃって、収録の時間がいつもより少し早まったみたいでスタッフに「なんで早いんや?」ってちょっと言うたらしいんですよね、きついめに。それを上沼さんは裏でセット越しに聞いてたから表情や雰囲気もわからずで。でも嫌な気持ちがあって、傷ついて、本番に入ると。本番ではすごく面白くて、ボクもそのとき見てたんですけど、全然そういういやな雰囲気はなくて。それで、ボクは思ったんですけど、あのときに、さんまさんはその通りに言うてたんじゃないかと。さんまさんは、否定してたんですよね。「そんなこと絶対言ってない」と。でもたぶん、ほとんどそのまんま言ってたんじゃないかなと思ってて。それは、この間博士も紹介されてましたけど、森卓也さんの「コラム・クロニクル」っていうあの本。

博士:最近出版された1000ページもある研究本。キネマ旬報なんかで、森さんはギャグの歴史を最も古くから研究されている方ですよ。その人が中日新聞に、エンタテインメントについて何十年も、ずっと細かくつけている記事を単なる抜粋じゃなく、ほぼ全部入れようとしていて。だからエンタメの動きの細かいことを伝えている本ですよね。

エム:その中で、さんまさんのことが、ちょっと書かれてたんですけど。そこ読んでたら、小堺さんのことをコラムで書かれてて。小堺さんが1991年に「さんまのまんま」に出演したときのことが書いてあったんですね。そのときに小堺さんが、さんまさんから色々ツッコまれて。お返しとして、本番前のさんまさんのモノマネをしてたみたいなんですよ。そのときに、どういうモノマネをしたかというと、さんまさんが本番前に、フロアディレクターの方とマイクをつけたり、何だでやりとりをしている中で。「お前、俺より安月給のくせしてどうのこうの」っていう、スタッフいじりって言うんですかね? 客席にも20人ぐらいいてはるんですよ。そういう中で、さんまさんのちょっとしたいじりであたためる、みたいな感じがあって、それを小堺さんがモノマネをしてたらしいんです。上沼さんの出演がだいたいその3年後なんですよね。1991年ごろっていうのは、さんまさんも離婚問題を抱えてて、人気の低下もささやかれたりして、色んなことがあった。そんな中でそういうのがギャグになっていったんかなあと。それで94年に上沼さんが出てたときも、そういう風に言ったのが、うまく伝わらなかったんじゃないかと。

角田:それでまた、スタジオで顔も見てないから。

博士:それで言うと、俺は、記憶は書き換えられるものだって常々言ってるけど。その契機になったのは、俺自身が相沢くんが年表を作ってくれたことによって、何度も自分の記憶が自分の都合の良いように改ざんされているのを経験したからなんですよ。都合の良いように思い直して、体験していないのに、その風景まで脳が作っていて目に浮かぶんですよ、自分が見ていない風景が。それは自分が思い込みたい記憶を持って来てるから。さんまさんにしてみると、そういうことを言う自分っていうのは、あの頃はあったかもしれないけど、その後には「ない」んだよね、だから「ない」になる。そういう筋の通った生き方には、ちゃんとこだわってる人だから。

柳田:あれ、「ない」って強く否定してましたなー。

博士:それでまた今回改めて思ったのは、大橋巨泉さんが亡くなって。別にこれは相棒を批判するわけじゃないんだけど、記憶が書き換えられる典型的な一例としてね。水曜日にMXテレビでの生放送があって、そのときに「大橋巨泉さんの思い出といえば?」って相棒が振られて。「いやあ、博士と巨泉さんが「アサ秘ジャーナル」って番組の中で揉めて怒鳴りあいして、結局その放送がボツになっちゃったんだよ」って言ってて。他の人も「博士らしいなー、ワッハッハ」って終わるんだけど、これは、まったく違う話なんだよ。

柳田:どう違うんですか?

博士:それは「アサ秘ジャーナル」ではなく、雑誌の「スコラ」の対談なのね。

柳田:やってましたなー。「濃厚民族」って本になった。

博士:本には、この対談が入ってないの。だから今回『メルマ旬報』でも雑誌のを再録して載せてるんだけど。俺は巨泉さんに対して「また「巨泉のこんなモノいらない!?」とかああいう番組をやってほしい」って言うんですよ。(註・1987年から89年まで日本テレビで放送。大橋巨泉司会のトークバラエティ) 巨泉さんからは「もう出来るわけねえんだよ!」って言われたけど、「でもやってほしい。今こそやる意義があるんだ!」「甘えたこと言うな!」って流れで言い合いになるんですよ。

角田:雑誌でもそうですか?

博士 読んで欲しいけど、対談原稿ではそこまでの言い合いはカットしていますよ。でも、その怒鳴り合いは、相手の業績を賞賛するためのものですよ。それで巨泉さんに「帰るぞ!」って凄まれても俺は「いや、帰らせない!」って言って座らせて、まだ続けるんですよ。そこまでは記事にも残ってないけど。行間に痕跡はある。そりゃあ緊迫してるよ。それでも最後は、「博士、お前モテるんだってなあ。このあいだ、テレビで小池栄子がお前のこと好きだって言ってたぞ」って。まあ、これって巨泉さんのパターンなんですよ。最近巨泉さんのことを調べてたら、ほとんどの対談で、「俺は、お前のなになにを見たぞ!面白かった!」って終わっていくっていうパターンだらけ。それは巨泉さんの人心掌握術ですよ、ひとつの。

柳田:わかるわー。それ。大御所らしいわ。

博士:まあそれはそれとして、だけどこの事実を、俺が言わなかったとしたら、MXテレビ見ている人も、宇多丸さんとか共演者も、「ああ、やっぱり博士は昔から揉め事を作る、面倒くさい人だな」っていう、そっちの歴史だけが残っていくわけじゃないですか。そういうのが今、アチコチで起きている。それは笑い話が常に欠席裁判だから。

竹内:あちらこちらで、そうなっている。ボクらもそうですよ。

博士:でもだからと言って、別に相棒のことを責めたり、とやかく言わないのは、相棒の中ではそういう風に記憶が書き換えられてるからですよ。もちろん記憶力は抜群に良い人ですよ、相棒は。しかも、これは学会とかでもなく、お笑いの人が笑い話として番組で披露しているだけだから全く罪もないよ。だけど自分が主人公のドラマは自分のストーリーになっていくから一本の史実にはならないのよ。だから俺も年表の中で、なんと俺は自分のストーリーを語るために都合よく記憶を改ざんするんだろうって自分で思ったから。でも、そこはボクは、もともとが記録魔だから、年表を作るときは、相沢くんに日記まで渡してますからね。

相沢:そうなんですよ。ボク年表作るときに、博士の書庫が当時あって、日記とかメモとかが全部とってあるんですよ。それでボクが一番、「ああそうか!」って思ったのは、たけしさんのところに弟子入りするっていう、その日の日付が書いてあるんですよ。博士は東京でずっと暮らしてたんですけど、勇気がなくて弟子志願が出来なかったんですよね。でもついに心を決めて弟子志願するときに手紙を書いて、初めて会いに行ったとき、たけしさんがこっちを見て手紙を受け取ってくれたっていう風に「キッドのもと」って自伝にも書いてあるんです。でも実際その日のメモを読んでみたら、一回ビビって帰っちゃってるんですよね。でも初めての体験として大事なのはどっちかっていうと手紙を渡せたっていうこととか、そのあとたけしさんから電話がかかってきて「モンティ・パイソンみたいなの書いてみろよ!」って言われたことであって。やっぱりそういう風に書き換えちゃうんだなあって。

博士:細切れのものを一回に脳がまとめちゃうんだろうね。そういうの話がボク自身、いっぱい出てきたから、今、当時のラジオを聴いたり、日記を見返したり、出来るだけ正確にしようとしているんだよ。まーそんなことは視聴者にはどっちでもイイんだけどね(笑)

竹内:あの、さっきもね、会場でCBCラジオの(北野)誠くんと博士のラジオ流れてたでしょ?(註・2016年7月24日に放送されたCBCラジオ開局65周年特番「ドリームマッチ」のこと) あのときに浅草キッドを「サイキック」で呼んで、「見る会」をやったって言ってたでしょ? 誠くんが松村くんから紹介されてって。あれもまったく違うんですよ。

博士:えー。あれって違うんだ!?

竹内:あれはボクの友だちがオールナイトニッポン聴いてて、ビートたけしさんのをずっと聴いてたと。「ビートたけしさんが休んだときにピンチヒッターで入ってたやつがいると。それがめちゃめちゃ面白かったんだよ!」ってボクが話を聞いて。「もうすごいんだよ!」って。和田勉っているじゃないですか。あれにニックネームつけて、「被爆者」とか。そんな話をしてて......。

博士:当時、軍団の下っ端にラジオのなかでネタをやらせるコーナーがあったんですよ。それで、そのネタはアイドルのニックネームをつけるっていうネタなんですよ。

角田:和田勉、アイドルちゃいますけどね。(笑)

博士:あ、それも放送禁止用語をただ言いっ放すようなネタじゃないんですよ。アイドルのアダ名を羅列して中森明菜が「ちょっとHなミルキーつ子」河合奈保子が「西城秀樹の妹」とか......それで、「和田勉だったら?」「皮膚病!」って言って「そんな原語で酷いこと言うな!」「だったら......」「だったら?」「被爆者!」っていう流れがある。

柳田:それ説明してもアカンネタですよ(笑)

博士:ちなみに、その生放送で、人気絶頂の某アイドルをいじって大問題になって、ボクらはニッポン放送出入り禁止になりましたからね。

竹内:で、その話を聞いたとき、「そんな放送してるやつがいるんだ、それ誰?」って聞いたら「浅草キッドっていうやつらやねん」と。「それおもろいね」って言ってたら、たまたまキッドが大阪に来てるっていう話を聞いて、花月かなんかに。俺がそれを見に行ったりしたのよ。それで誠ちゃんに、「こんな面白い漫才師いるよ」って言って、「それなら一回呼ぼうや」と。これが真実なんですよ。松村くんとかが来てくれるのはそのあとだから、順番が逆なんですよ。

博士:そうなんだ。俺の中でもあれは、「えっ?松ちゃんが俺を紹介するっていうのはまずあり得ないんだけどな」っていうのはあったんだけど。

竹内:まあ誠ちゃんの中ではそういう風になってるのよね。でもそれはまったく違って、ボクが誠くんに。いやこれ、「キッドを推薦したのは俺やで」って言いたいとかってわけじゃなくってね。

博士:いやいや、わかります。それはさっきの相棒の話と一緒ですよね。

柳田:記憶っていうのはそうなる、という。

竹内:そのあとで大川興業の総裁が来てくれたのは、「キッドから「サイキック」っていう番組があるって聞いて来た」っていうのは本人が言うてたから。だから総裁とかはボクが紹介したわけではない。

(註・「水道橋博士年表」によれば、「サイキック青年団」に浅草キッドが初めて出演したのは1989年11月。このとき大阪のうめだ花月の舞台にも上がっている。「浅草キッドを見る会」は翌1990年の5月に大阪江坂ブーミンホールで開催されている)

柳田:だからそういう年表とか時系列とかを、ボクやエムカクさんは、ものすごく整理したいんですよ。

エム:そうなんですよね。ボク「明石家さんまヒストリー」で、さんまさんの高校時代のサッカー部のことを調べてて、あれもまさしくこの話につながると思うんですけど。さんまさんの証言だと、「奈良商業高校のラストマッチ、最後の試合が、全国高校サッカー選手権大会の予選だった」と。冬ですよね、あれ。それでそこから調べ始めたら、その大会に奈良県代表の高校自体が出てなかったっていうのが分かって。それで色々調べていくうちに、インターハイでそのときの優勝校、天理高校が優勝したというのがなんとか見つかって。さんまさんの証言で、予選の準決勝っていうのがあって。「対戦相手の天理高校に負けた」っていう風に「明石家さんまヒストリー」には書いたんです。それを柳田さんが読んで、えー、色々と......。

柳田:筋が通ってへんと。(場内笑)

角田:それで「大和タイムス」っていう地方紙の、マイクロフィルムを探したんですよね。

エム:そう。その記録が残ってて。その対戦相手は、さんまさんいわく天理高校だったんだけど、その準決勝の相手が実は奈良女子大附属高校っていう高校だったんですよ。対戦相手自体が違ってて。そこに負けたあと、3位決定戦もあって、奈良高校に勝って、3位。ということは最後の対戦相手は奈良高校だったということが分かって。日付まで確定できて。それが分かったんです。だからボクが「明石家さんまヒストリー」を「メルマ旬報」で書くことによって繋がりが生まれて、そこまで突き詰めることが出来たという。

柳田:だから渡辺さんとか、出方の人とボクらの記録の感覚ってやっぱり違うんよな。

角田:でも渡辺さんの記憶力もすごいですよね。すごい昔の、30年ぐらい前の話も、絵にして記憶してる感じですよね。

渡辺:じゃあ、ボクもひとつイイですか?さんまさんの話があるんで。さんまさんはね、ボクらがデビューした劇場が浪花座っていう、もう悪評高い。600席で、お客さん15人とかね。まあ今の角座の比率みたいなもんですけど。

柳田:何でそんな悲観的に言うんや。(笑)

渡辺:いやそこにね、明石家のんきさんが初舞台を踏むと。のんきさんっていうのは要するに、(笑福亭)松之助師匠の息子さんなんですよ。それで、さんまさんとは兄弟弟子になる。その初舞台。そこにボク、自分の出番終わって、二回目のときかなあ。自分の出番終わって、当時ボクは楽屋にいるのがいやだったんですよ。ほんまヤクザみたいなお師匠さんばっかりで。

柳田:そこ大切ですよ。ヤクザ「みたいな」ね。ヤクザではない。

渡辺:ヤクザではない。まあ、ばら師匠はここ(腕)に刺青入れてましたけど。(笑) でもそんな人ばっかりやと。それが、ものすごいいやで、終わったら客席に回って、ガラガラのところやから後ろのほうで、それで寝てたら怒られるから失礼なんだけどサングラスをかけて寝ながら観てるフリしてたんです。そしたら入り口のほうから、「キャーッ!」っていうお茶子の、お茶子っていうのは受付のおばはんの声がね、悲鳴が聞こえるんです。「なんやろ?」ってふっと見たら、明石家さんまさんと大竹しのぶさんが入ってきはったんですよ。

角田:エーッ! エムカクさん! これは日付を特定しないと!

渡辺:日付までは覚えてないけど......。

柳田:でも、のんきさんの初舞台なら分かりますよね? ......あ、おれ、家帰ったら分かるわ!(場内笑)

角田:なんで分かんねん!

柳田:いやいや、おれ去年のんきさん取材してるから。

角田:じゃあ特定出来ますね。エムカクさん、ちょうど結婚のこと書いてるなら追加出来るじゃないですか。

渡辺:それで入ってきはって、「ギャーッ」なってんのよ。それで客席の人らも、ガラガラなんやけど、「さんまと大竹しのぶ入ってきた!!」言うて。まあ気使って後ろめの、ちょい真ん中ぐらいに座らはってんけど、お客さんみんな舞台見んと、後ろ振り返って。芸人さんも「どないしたんですか?」みたいになって、楽屋からみんな芸人が客席に回ってきて。さんまさんを見たいと。

柳田:初期の淺草のツービートみたいな。

角田:いやツービートは、舞台のツービートを見たいってことでしょ? 客席のさんまさんやから。

柳田:そうか。それは違うわな。

渡辺:のんきさんを見たいわけじゃないから。リーゼントすごいなってなもんで。(笑) ほんで「ウワー、ギャー、」なって、受付のおばはんも「サイン!」ってなって、大盛り上がりで。楽屋に人、誰もいなかったもん。楽屋に残ってたの、春団治師匠だけ。

角田:春団治師匠まで行ったらそれはさすがにねえ。

渡辺:「なんでボクが後輩を見に行かな......」って。っていうのが思い出あるねえ。

角田:いやあ、これはすごい話聞けたんちゃいます?

博士:じゃあ、俺も。エムカクさんは、この話は既にフォローしてると思うけど、MXテレビの『Tokyo Boy』って番組で俺は阿藤快さんとIMALUさんと三人でウォーキング部っていうのをやるんですね。そのときIMALUさんと俺はほぼ初共演ですよ。そのときに「明石家さんまヒストリー」の連載はすでに始まっていて。その中でどうしようって迷いはありつつも、食事のときに「IMALUさん、ボクメルマガで編集長っていうのをやっていまして、たぶんメルマガも分からないと思いますけど」って。前日に今までのエムカクさんの連載を全部コピーしておいて。それで「もし良ければ、ご本人が、もし知りたくないというのであれば、持ち帰りますから、それでもいいんですけど、いまここにコピーがあるので、もし良かったら読みませんか?」と。それでIMALUさんが「読ませてください」って、それを1ページずつ読みながら、驚いて「まったく知りません、こんなこと。父から聞かされたこともないです」って言いながら読んでいくっていう、この話はエムカクさんにしましたよね?

エム:はい、お聞きしました。

博士:それで俺が、ここから、まだまったく喋ってないことで言うと、阿藤快さんは、さんまさんと、しのぶさんが結婚するきっかけとなった映画の共演者なんです。(註・「いこかもどろか」1988年8月公開) だから、ずっと、さんまさんとしのぶさんが愛を育む様子を隣で見続けた人なんですね。

エム:(大きく頷く)

博士:ロケのエピーソードトーク(省略)〜っていうイイ話もあるんですよ。

柳田:色々、史実には残れへん歴史ってあるもんなんですよね。

博士:まあね。でも本当に人間ってさ、美談を残したいって思うわけじゃない。それは一方では本当なのかもしれないし、かたや、それは演技かもしれないっていうのも置いておかなきゃいけなくてね。それはジェーン・スーさんが、いま新潮社の「波」で連載してるやつで、娘から見た父親のことを書いていて、「私は自らエディットした物語に酔っていた。 安く成り下がったものが美談なのだ。」って。それを読んだら、改めて、「ああ本当にそうだなあ!」と。美談として残したい気持ちを人は持つものじゃない。逆に俺は基本的に、「藝人春秋」もそうだけど、実は美談しか書いてないのね。これは決めてることなの。それは根底で、何度も何度も人間不信がひっくり返って、何周もしてから至った結論だけど、やはり最後は「人間賛歌」にしたいの。本当の生臭い嫌な話は取材して嫌になるような真相を知っていても、あえてそこは捨ててるの、最終的に芸能の仕事だから「人間不信」ではありたくないから、人生そのものがね。そう考えてるから、そっち側からしか寄らないし、そうじゃないものはボクに限っては書き残さないし。今のネットの風潮とか、人の悪い方向、悪い方向で書くこと、そこに意味はないじゃない?

柳田:そんなの意味もないし、生産性もないしね。

博士:そう、そう。だけど、片や、世の中には「変態の流儀」みたいなものを書く人もいるんだよ。

竹内:いや博士!!誤解なきように......あれもね、「人間賛歌」なんですよ。(場内爆笑)

柳田:坂口安吾みたいなもんですからね。

竹内:そう。「堕落論」!平成の「堕落論」やから。あんなに堕落した人間ばっかりは普通はいませんよ。

博士:(笑)......俺らは、だからその堕落を大いに「文」の中で肯定するけど、リアルな人生の中で肯定してはならないよ、っていうメッセージを送る立場ですよ。もちろん文の中であればそれは肯定しますよ。

竹内:っていうか、編集の原さんには、ちょっと言うてるんですけどね。あの作品は、次の連載で9人目。その9人目で変態の告白が終わるんですよ。9人っていうことから、名前が全員野球選手になってるんですよ。それで最後に変態の館の主人が、それをひっくるめた、「なぜあなたたちを集めたのかって」話をするんですよ。そのときに、「変態の流儀」という意味が分かるという話なんですよ。「流儀」っていう意味が分かった瞬間にね............まあ、号泣すると思いますよ。(場内爆笑) 

柳田:いや、ちょっと待ってくださいよ。

竹内:いや、これね、だから尾崎世界観も、「ええな!」って言うとるんですよ。

角田:えー彼は気づいてるんですか!?

竹内:気づいてる、気づいてる。あの人は気づいてるよ。感性の、何かこう、つむぎ合いみたいなものがあるのよ。今の女子高生が「シン・ゴジラ」を観て、ゴジラが放射線熱を吐く、その瞬間に泣くらしいんですよ。

博士:うん。それはわかる。あれは泣きますよ。

竹内:うん。だからあの感性というのは、今まで「ゴジラ」を観てきた人にはないんですよ。おっさんには。でも女子高生は初めて「ゴジラ」を観て、あの場面で、なんか泣くらしいんですよ。だから「その気持ちみたいなものが分からないといけない」と、いま60のおっさんが言うのも何やけど。だからボクは「変態の流儀」を書くときは常に、「シン・ゴジラ」を観る前からね、あれはやっぱりボクは「流儀」という部分で泣ける話になるんだという思いがあるわけですよ。だから、見事に泣かせてみせましょう、と。

博士:(大笑いしながら)いやいやいや。でも、その境地に転換できてこそ文学ですよね。

竹内:そうなんですよ! そうでなかったら俺、単に変態のことばっかり書いてるだけのおっさんやん!(場内笑)

博士:というかもう、書いてる人が変態そのものですからね。

柳田:変態そのものやし、「堕落論」じゃない。「堕落した人」やから(笑)

竹内:堕落人間。ダメ人間。ダメ人間ですけども。ダメ人間の雄叫びの中に真実はあるんですよ、たぶん。

博士:ダメ人間って言ったら、ナベちゃんが今、『メルマ旬報』でやってる連載って、ダメ人間って言うか、そもそも何者でもない人の話じゃない?俺の中で何に変換していくかっていうと、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅賞を取った、増田俊也さんのその後の作品の......。

角田:「七帝柔道記」。

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博士:そう。あれって読めば分かるけど、北海道大学の部活の話だからね。その部員のまったく無名の人たちが繰り広げて、なんでここまでこの人たちのことを知る必要があるんだろうっていうような作品なんだけど。完璧にナベちゃんのも、体育会系ではない文化系のそっちの物語に変換できるのね。要するに何も始まってない人じゃん。シンデレラエキスプレスは何者でもない......いや、いま何者でもないって言ってるわけじゃないよ? ......まあまあ、芸能界的に今も何者でもないけどさ。(笑)

渡辺:なんでやねん(笑)

博士:だけど、その無名の青春をずっと描いてるけど、漫才師になる前の事細かに大学の落研の中の人間関係が出てきて。それは俺は読めてるんですよ、そこは。だけど、たとえば本にするときに、そういう風に読めるまでは、すごく時間がかかるけれども、その前にナベちゃんが連載していた、敏江・玲児の評伝なんかは、ああいうのはもう、本として残してもらわないと困るわけ。

渡辺:はいはい。

博士:たとえば、いま若手で書く人はいっぱいいて、「俺は吉本ではなく松竹芸能の世界に関心を持っている」って誰だか忘れたけどTwitterで言うんだけど、それなら、この連載を読んで!って思うわけですよ。だって実際に芸人として体験して、実際に細かく固有名詞があって、って、そういうノンフィクションが既にあるのに......それに至らない感じ。頼むから、これ読んでよって感じ。

渡辺:読んで欲しいわ―--。

博士:そんなことを言うと、(ダイノジの)大谷(ノブ彦)くんが二日前に俺のところに電話かけてきて、「ボクが中居正広論書くとしたら、博士は資料集めてくれるんですか?」って俺に言うの。(場内苦笑)

相沢:ちょっと咀嚼するのに時間がかかりますよね(笑)

柳田:ほんまに「ダイノジ」やなあ。

博士:それで実は、大谷くんが中居正広の連載をやるって言った日に、まず、その出口を決めるためにも新潮社の人に電話して、新潮社の新書を作ってヒット作を飛ばしまくっている敏腕編集者の金さんに話してるのね。そしたら、「博士、申し訳ないけど、新潮社発でSMAPスキャンダルが始まってるから、たぶん書籍化は無理と思うけれども、何か検討します」と。「検討してください、絶対話題を呼ぶから」という話はしていて。それでそこから「ジャニ研!」っていうジャニーズを研究してるノンフィクションを読み返したり、太田省一さんっていう大学教授が書いてる「中居正広という生き方」。そういう本を、大谷くんの連載をやるから俺が読んでなきゃって思って買ってきてるんですよ。それで、「大谷くん、今の時点では、こういう本はあるんだけど知ってる?」って言ったら、「知らないです。そうですか。じゃあその著者と対談させてください」って......おまえ、どんな先生なんだよ!(場内失笑)

竹内:好き勝手言うてますねえ。

渡辺:いや、俺はよう分からんけどね。休載する云々は、原さんに言うたとしても、俺やっぱり芸界の先輩やったら、水道橋博士って人にちゃんと言ってないって、それはやることがクズや思いますよ。

柳田:クズっていうか、まあ......筋を通してない。(場内笑)

角田:そのフレーズ、自分のものにしましたね!

博士:俺はこれ、何で、ああなったかっていうと、一週間ぐらい前に「アサヒ芸能」の対談をやったあとに、ウチの相棒と、水曜日のMXテレビで共演してる宇多丸さんと吉田豪の4人で飲みに行ったのよ。そのときに宇多丸さんが、「博士、ダイノジ大谷くんってどういう人なんですか?」っていうのを聞いてきたときに、端的に大谷くんっていう人は、まず俺との出会い関連でいうと、大谷くんが書いた最初の本に帯文を頼まれて、俺が書いたわけですよ。週刊プロレスのターザン山本の言葉を引用して、「大谷くんの、この本を読むと『俺は敵も口数も多い!だから悪口も言われる、しかし今まで他人から才能がないと言われたことだけは無い!』と言うターザン山本の言葉を想い出す。」と書いて送ったんですよ。でもそれが刷り上がったときに、ボクに何の断りもなく「『私は陰で悪口を言われたり、「お前が嫌いだ」と言われたことは何度もある。しかし、才能がないとは一度も言われたことがない』この言葉を青臭くてキラキラしている、ダイノジ大谷くんに捧げ、ボクも彼と同じ芸能界で戦っていこうと思う。」って書き換えられてて。(場内失笑)

柳田:勝手に変えたんですか!?

博士:なんで俺が後輩に対して「キラキラしてる」って捧げて憧れ目線で言うのよ(笑)、これはさすがにひどいと思って。それまで明治の大学の後輩ってことで、わりと俺になついてるところもあったのね。家に来たり。でも逆にあまりにも怖くなって関係を絶っていたの。宇多丸さんにそう説明したら、「博士、それは十分サイコですよ!」って言うんですよ。「普通じゃない。そんなことが出来る人は」って。で、「そうか、彼はサイコとして捉えなきゃいけないんだな!」ってそのとき思って。それで、この件があったの。「メルマ旬報」の執筆者だったら、今年の4月以降に編集体制が変わった。それまでは「連載を休むのも全然OK、好きなときに出してくれ!」っていうスタンスで。そのために連載は沢山あって、誰かが休んでも、誰かが補完しても料金以上の数多くのものは読める体制だったんだけど、今年の7月に「め組」「る組」「ま組」の3組に分けて、「今回だけは全員から原稿をください!」ってみんなに頼んで、原カントくんを通じて何度もアラームのメールを出してるわけじゃないですか?

渡辺:ボクでも知っているわ。

博士:だからそれ以降、休載してる人は一人もいないんですよ。何度も、「近況でも良いから、2~3行でいいから原稿をください」っていうのを常にメールで書いてるんですよ。それは連載陣なら誰もがみんな知ってるから。にも関わらず、基本......大谷くんは自分の連載以外を読んでもないんですよ。

柳田:自分のは読んでるんですか?

角田:自分の読んでへんかったらほんまのサイコでしょ!(場内笑)

博士:だから、今、『メルマ旬報』がそういう状態であるってことが分からない。状況が変わってることすらまったく分からなくて。ボスだから(笑)でも、俺との直通の電話のホットラインはあるんですよ。それがあるにも関わらず、だったら俺のほうから電話して、「大谷先生、ちょっと原稿が来てないんですけど、なんとか、いただけますか?」っていうのを、俺は大谷くんにしないといけないの?って思うのよ。

渡辺:なの、あるかー!

博士:たとえば、これが仮にエムカクさんにだったら、まだ原稿が来てないとしたら、「エムカクさん、本当にすみませんが......」って俺は電話しますよ。もちろん、「本当に忙しいかもしれませんけど、今回だけは」って。それが編集者だよ。でも、それは業界が違うからなの。俺、それを俺の業界の後輩に俺が低姿勢にやらなきゃいけない? そんな理由ないじゃないですか? だけど、ギリで、せめてDMでもしてあげようと思ったら、今度はフォローされてないんですよ!(笑)

柳田:逆に向こうは、(博士は)俺のファンやろと思ってるのかもしれませんね。

渡辺:いやだから、それが全然だめで。語弊あるかもしらんけど、クズって言うたのは、そらウチら芸人って、しくじることいっぱいあるし、思いっきりクズなことボクもいっぱいしてきたし。それで学ぶことありますやんか。

博士:そう。けど、それは個々の世界に業界ルールがあって。我々の業界は、しくじったとしたら、それはしくじったで、本人には地獄だけど、周囲にはマヌケな話で面白いんだけど、そのときに挽回する方法っていうのはあるんですよ。それはさんざん師弟関係で、それを学んできてるからわかるの。

柳田:彼も何度もしくじっているでしょ?

博士:うん。だから、その方法があるにも関わらず、大谷くんは今回の件でも分かるように、もう昔から何度もしくじるじゃないですか。そもそも、吉本に入って先輩や事務所の人に挨拶をしないキャラクターを作るとか宣言して叩かれて。それは通じないに決っているんですよ、まあ、そんなのどこでも通じないんだけど。

渡辺:ウチ(=松竹)やったらボコボコですよ。うちの相方、ばら師匠に「学園祭でネタ受けないでしょ」言うて「殺したろか」って言われてましたから。(場内笑) いや、ほんまですよ?

博士:いや、それが芸界なんですよ! おれ自身だって東スポで殿が、「園子温のライブを見たけど水道橋はどうだとか」って書いてるのを読んだら、もう30分後には、貢物を持って飛んでいってますよ、殿の楽屋に。

相沢:ああ、その記事、ありましたね。

博士;それで「申し訳ありませんでした」って頭を下げて「こうこうこういう風に殿はおっしゃってますけど、誤解もあると思いますけど、自分が殿の心証を害していたとしたら今後改めさせてください」って、ちゃんと平身低頭して言葉を尽くしますよ。

渡辺:そらそやで。

博士:それが芸界なんですよ。そういうルールの中で俺たちは生きている人たちだっていうことが、彼はあまりにも分かってなさすぎる。ボクは怒ってはないよ? だけど、それがおまえのやりかたなら、連載は、ボク以外のほかの媒体でやってくれと。もう俺には通用しませんよ、っていうことですよ。それを俺がTwitterで発表したら、向こうもネットで非難轟々ですよ!もう、それでお終いだったんだけど、俺のカミさんと彼の奥さんは友だちなんですよ。だから彼の奥さんが「申し訳ないです。夫がバカで。今回、すごく参ってます!」って言ってきたとき、それ以上はやらないよ。彼の子どもだって知ってるんだから。それをやるような人非人でもないし。しかも、そもそも怒ってもないんですよ。「ほかでやってください。俺の習ってきた世界では通じない」っていうメッセージだけなんです。だからリアルに、ボクが本当に怒ってるっていう風に見えるのは、本当に愛想を尽かした気持ちがあるからじゃないですか。でもキレてはいないんですよ。キレてないですよ!(場内笑)

柳田:キレてはいない。

博士:だからそういう世界だから、さっき言った、やくみつるさんの件とは違って、大谷問題はガチと言えばガチですよ。それで、今は、若手がルール破りのゲスな芸風が良しとされるじゃないですか。西野くんや、山里くんや......。

柳田:ウーマンラッシュアワー村本とか。

博士:そうそう。それは吉本というヒエラルキーの微妙なラインでやっていて、世代間闘争だから、ギリギリ認められるかもしれないけど、本当にダメな場合もあるじゃないですか。ナイナイ岡村くんと西野くんとかは、そういう部分で分断した意識があるんだと思うけど。

柳田:あそこはせやねん。

博士:でも、西野くんはいっとき、このメルマでも竹内先生の連載の挿絵とかやってもらったけど、ホント、感心するくらいちゃんとしてたよ。ああ見えてもデタラメじゃないのよ。俺はやっぱり、そこはオールドスクールなんですよ。そこを面白がって通用させていくような世界は、やはり師匠のいない世代の人だし、「そういう振る舞いは俺は師匠や先輩から習ってないよ」っていうメッセージなんです。

柳田:だから博士から言うたら、「またぐな!」ってことなんでしょ?

博士:そう、またぐな!なんだけど、それで彼がラジオかAmebaの配信かで、「いやー、逆に言うとね、俺は邪道の大仁田厚なんですよ」って開き直って言うんですよ。でも彼はプロレスをまったく知らないんですよ! ただの聞きかじりだけ。少しでもプロレス史を知ってる人であれば、「ユーは大仁田だ!」って言われたとしたら、めちゃくちゃ恥ずかしいことなんですよ。大仁田であるっていうことは。涙のカリスマの信者は確かにいるかもしれないけど、大仁田は自分だけ良ければイイんであって、過去、周囲の人をどれだけ悲しませてきたことか。

角田:今回もまた鳩山さんから金を踏み倒して......。

博士:俺は大仁田だ!って喜んでる人っていうのは、本当に何も知らなさすぎる。それをオオニタくん、いやいや違う、オオタニくん......。(場内笑)

渡辺:いいですねー(笑)それ似てますよねえ。

角田:もうオオニタくんでいいんちゃいます?

博士:だけど、また彼が電話をかけてきたときに「もう君がギブアップならギブアップと言ってくれ」と。「君の奥さんも知ってるし、俺は飛んで火に入るっていうか、あえて火中の栗を拾ってんだから」と。それは「メルマ旬報」のためにもね。でも君をそこまで追い込む気持ちは何にもないからって。そしたら「いやー、ちょっとさすがに苦しい感じで」って。「ネット民はともかく、春日さんにもあれだけ言われて......。」(場内笑)

相沢:(突然)いやー、春日太一から言われるの、すげえ傷つくっていう! 俺、そこだけは共感できますよ。だって俺なんて春日太一さんとは昔仲良かったし、最近は会ってないけど、別に絶縁してるなんて思ってないんですよ。そしたら能町さんの件で、揉めて炎上して、ってそれはいいんですけど、そのタイミングで「実は絶縁していた」って。いま言う!?っていう!

柳田:相沢さんも、声張りますねえ。(笑)

相沢:いや、これは本当良くないですよ。死人が出ますよ、ショックすぎて。

渡辺:だからやっぱり、ツイッター始めたら?(場内笑)

相沢:いやいや、また!?

博士:それで、とは言え、「大谷君が、このままヒールでやるつもりがあるんだったら、君は今つらいとか言うけど、上田馬之助やタイガー・ジェット・シンは、どれだけつらかったと思う?それでも、これは役どころだからやるんだよ?」って俺が言ったときに、「そうですよねー」って急にやる気を示すんだけど。そのあとに、大谷くんとか尾崎世界観とか色々とつながってる宇野コーヘーって若い作家がいるんだけど、彼がウチに来たときに「言っときますけど、上田馬之助もタイガー・ジェット・シンも大谷さんは、字面だけで、一切知らないと思いますよ」って(笑)そこはちょっと、ねー。なんでも乗っかる誠さん的なんですよ。(笑)

角田:はいはいはい。そうそうそうそう。

博士:「そやねん!」って知らないまま広げていく(笑)

柳田:あれはトークの合気道ですからね。そこが誠さんの良い所でもあるんですよ!

角田:このあいだの博士さんとのラジオでは誠さん、「俺は元々ぬかる民やった」って言うてましたね。(註・「ぬかる民」とは、ラジオ大阪「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」のリスナーの愛称)

柳田:それで言うとエムカクさん、鶴瓶さんの京産大の先輩が小禄さんやねんで。知ってた?(註・明石家小禄、のちに五所の家小禄。明石家さんまの兄弟子にあたる)

エム:知らないです。

角田:この二人、急にお客さんがいること意識してないですけど。

竹内:鶴瓶さんって、ボクらにはめっちゃ優しいでしょ? ボク鶴瓶さんに、ABC行ったとき、ドアを5回ぐらい開けてもらってん。鶴瓶さんが開けてくれるわけよ。「竹内さんどうぞ」とか言うて。優しい人やな、って。でも誠ちゃんに聞くとね、「きついであの人!」っていうことを聞いてたのよ。でもボクは優しいことしかされてないから、きついってことが分からなかったの。ほんだら、誠ちゃんとボクで終わったあと、タクシーのとこ並んでたのよ。そしたらタクシーがすーっと止まって、鶴瓶さんが乗ってたの。鶴瓶さんが降りてきたときに、誠ちゃんと顔合うやんか。ほんだら鶴瓶さんのそのときの顔、俺と会うときの顔でもなんでもないのよ。めちゃめちゃ怖い顔で。「おうおら、何やおら、お前なに立っとんねんこら。俺の前に立つな!」みたいな感じで。

柳田:たぶんそれ、誠さんが筋通してなかったんですわ。(場内笑)

角田:出た!

竹内:それで鶴瓶さんが俺のほう見て、笑顔で「あっ、竹内さん......」(場内笑)

角田:でもそれはしょうがないですわ。

博士:芸界っていうのは、そういうもんですよ。たけしさんだって、そういう瞬間は何回もありますよ。

渡辺:そら、そういうもんなんですよ。だから、(竹内には)業界じゃないからそういう顔しはるんですよ。そらもうやっぱり、そういうもん、そういう世界ですよ。

竹内:そうでしょうねえ。だから(笑福亭)恭瓶さんっておるやん、お弟子さんの。色々イベントやったときにね、師匠の鶴瓶さん優しいですねって言うたら、(首を横に振って)「うーん!」って言うてはった。何回かボコられかけたって。

博士:でも、芸界は、それをギリギリのところで、ちゃんとやんなきゃだめじゃない。たけしさんも最近、今の芸能界の若手は最低限の礼儀知らずって嘆いていたけど......これが、松竹だと、ナベちゃんも古株だから人一倍、うるさいけどね。

渡辺:ボクもうるさいですよ!

柳田:風紀委員ですから。

竹内:曲がったこと嫌いですからね。

博士:でも、我々はもともと、その美学に惹かれてるから、この世界に入ってるわけじゃないですか。だけど、いま職業としてお笑いっていうのが高いところにあるから、みんなが目指して、大学卒業しても入るわけじゃないですか。俺たちの頃は、もう家出して、親を捨てて、入ってるから、この職業に。そういう疑似家族に飛び込んで、鉄拳制裁で教育を受けて、流れる血も全部入れ替えてやってるところで、そういう風に入ってきて、皆、芸能学校出身だから、師匠はないし、スクールカーストみたいな「上下関係なんかねえよ!」って逆に振舞われて。「だってゲスのほうが世間にウケるだろ、上の世代を舐めた姿勢の方がかっこ良く見えるだろ!」って、やられること、その風潮が、正直、すごく嫌なんですよ。まぁ、それが、今回の大谷事件の真相ですよ。

渡辺:それはわかりますね、よくね。でもどの業界もそうやと思いますよ。

博士:でも、いま大谷くんは「る組」に入ろうとしててね。

渡辺:ん? 「る組」ってうちのとこ?

相沢:釈明文の最後に、「でももう一度はしくじれるだろう。まあ『る組』に行けばいいんだから」、みたいなことを書いてて。(註・正確には「どうやったって私はこれからもしくじるような気がする。なーに あと一回は大丈夫だ。る組移籍ってのがあるからよ。」)

渡辺:うちらのとこ???え、島流し?(場内笑)

博士:でも一応「る組」のセンターは、竹内先生だから......(笑)

渡辺:長いこといてはる人ね。ほんで、結核で死なはってね。

柳田:あだ名が「牢名主」で(笑)

博士:だから、竹内先生が大谷くんを受け入れるかどうか。

竹内:でも、もともと大谷は、嵐ファンやから、ボクと前もちょっとブログとかでやり取りしてるんですよ。

渡辺:ええ感じですか?

竹内:ええ感じ。そのときはね。

渡辺:悪い子とか、ええ子とか、そういうのはあれですよ?

柳田:それはでも、ええ竹内さんにしか見せてへんから。

竹内:そうそう。向こうも、ええ大谷しか見せてないからね。

博士:でも、大谷問題もボクから「排除」とか「無視」とかにはしないですよ。やっぱりこういうガチの感情を表に出たからには最終的には、笑い飛ばせるようにしないとね。彼だって、そこくらいはわかっていると思うから。でも縦社会とか上下関係でも、もともと会社っていうかラインが違うからね。平行線で終わるかもしれないし、ま、そんときは向こうがフェードアウトでもいいしね。

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(話を切り替えて)そう言えば、今日、客席に(『メルマ旬報』執筆者の)スージー鈴木さんとか来てるんじゃないの?

竹内:細田(マサシ)さんも来てるみたいですよ。


◆ここで、客席にいたスージー鈴木、細田マサシが壇上に登場!

博士:このふたりも『メルマ旬報』の執筆者です。スージー鈴木さんは、いま「1984年の歌謡曲」っていう連載をしていただいてるんだけど。スージーさんは、まさに、大谷くんが発見した人、見いだされた隠れた才能になってるわけですよね。

竹内:あ、そうなんや?

鈴木:いま、客席でいたたまれない思いで。(笑)

博士:スージーさんは大谷くんが見つけたってことになってるけど、そんなのより、ずっと昔からブログを読んでいるから。普通に。ボクも昔から「ああ、こんなブログがあるんだ、どこかで連載してもらいたい」と思ってた人だからね。いま、客席でいたたまれないだろうなと思うよ。「ボス大谷が見つけた新人」みたいな感じになってるから。春日さんの大谷批判っていうのも、春日さんを大谷くんがプロデュースしてるみたいな感じになって、「君を第二の武井壮にしてやる」って。そういうことからおかしくなってるんですよ......でもスージー鈴木さんって、俺ももともと文章は知っていても、素性は知らないじゃないですか。それで新しく連載してもらうことになって、(編集の)原カントくんに、「どういう風に連絡つければいいのか分からないんだけど」って言ったら、「いや、実はボクの上司です」って。(笑)

鈴木:同じ系列会社の。上司というか間接的なんですけど、ボクはわりとその会社で偉いんで。原さんとは仕事もしたことあったんで、話が来たときに、「それは是非やらせてほしい!」と。

博士:スージーさんが勤めてる、某大手広告会社......。

渡辺:あ、あそこにいてはるんですか。へえー!!

柳田:出た、漫才師、会社の肩書きに弱いから。(笑)

渡辺:いや違うねん。この(一同の)並び、ほんま、風俗の待合室みたいやから。(場内笑)

博士:「メルマ旬報」を作ってるのは、たとえば「本の雑誌」とかさ、ああいう雑居ビルのなかにある編集部を思い浮かべてるじゃないですか、全員が。そうやってコツコツと、家内制工業のように。

柳田:ボクなんか「とと姉ちゃん」を思い浮かべてますよ。

博士:ところが原くんが仕事している現場に行ったら、赤坂のピカピカの巨大なオフィスで、「ファイト・クラブ」のラストシーンの、あの超高層ビルの中の場面あるじゃないですか。あれですよ。

竹内:いやびっくりしますよね。まえ相沢さんと対談で伺いましたけど、いやもうキレイなねえ。

相沢:赤坂の超一等地で。

博士:越前屋俵太さんを獲得するときに俺と撮った写真があるじゃないですか。あれが仕事場ですよ。お昼なんて、洒落たバルがあって......。

渡辺:バル? ああ、コーヒーとか飲んだりするところや。カプチーノとか。抹茶フラペチーノとか......(笑)

博士:普通に、ただ食事するところだけで、ここ(=アワーズルーム)の30倍はありますよね? それで、ちょっとした資料室のある階もあって。

渡辺:いや、ボクなんて、どこで原稿書いてるか知ってます? 今日言いますけど。道頓堀ZAZAってあるんですよ。サイゼリア、今はつぶれたけど、あの奥行ったらトイレありますねん。そのトイレの便座に座ってずっと書いてるんですよ。

角田:ほんまですか? ZAZAってあの地下の?

渡辺:そう! 一番落ち着くの。劇場からも近いし。あそこでボク、2時間とかで書くんですよ。でもそんなん、よろしいなあ。

博士:スージーさんだって、文だけ読んでたら、なんかすごい、引きこもりのオタクの、歌謡曲と野球だけを見てるオッサンに思えるかもしれないけど、まったく違いますよね。

鈴木:逆に原くんっていう後輩に、ボクが頼み込んで「メルマ旬報」やらせてくれって言ったんで。ボクは自慢じゃないですけど、原稿一回も締め切り破ったことないです。

博士:ハイハイ。スージーさんは早い。皆さん、忘れているけど、締め切りっていうのは配信の一週間前ですよ。

角田:本当はね。

竹内:(楽しそうに)当日ちゃいまっせ!

渡辺:遅いの、ボク?

角田:いやボクも遅いんですよ......。

相沢:竹内さんでしょう、いちばん遅いの。

柳田:竹内さんや!

渡辺:先生も当日?

竹内:そうなんですよ。だから一生懸命書いてるとどうしてもね......。

博士:当日、原稿を入れる人で、一番すごいのが書評家の杉江松恋さん。「芸人本書く派列伝」っていう連載をやってる人。あの人はね、1時間、2時間前に、まだ間に合いますか?って言ってきて。そこから書き始めるタイミングまでこっちは分かるじゃない?「間に合うわけないじゃん」って思うじゃないですか。そこからあれ、だから一気に書き上げて瞬時に推敲してる原稿なんですよ。だから本当に、書評家とか職業的な人って「すごい!」ってやっぱり思うね。あれで理路整然としてるし、様々な引用もあるわけじゃないですか。「プロだなあ!」ってやっぱり思いますね。西寺郷太くんなんかも熱いよ!どんなに忙しくても徹夜してでも、必ず書くから。

渡辺:見習わなあかんわ。

柳田:反省会みたいになってるやん。(笑)

博士:その点、『メルマ旬報』のメンバーで数少ない職業的なプロ作家である竹内先生の遅いこと!(場内笑)

竹内:いやボクね、追い詰められたら早いんですよ。だから、ラジオの構成やってるときは早かったんですよ。

博士:そうそう、それこそ「ラジオ・パラダイス」っていう番組の中で、プロレスのコーナーがあって。大喜利から何から事前に全部作ってきてるんだけど、竹内さんはその大喜利の司会出演もあるからね。でも、何故か、その間のプロレスのコーナーは毎回、何も書いてないんですよ。で、本番中ですよ? 本番中に竹内さんが我々の横で、ダーっと台本を書くんですよ。あのコーナーは浅草キッドが生原稿を読んでたから、それを、書き上げたそばから、ただ読むだけですよ。

角田:それを、はよやったらええって話ちゃうんですか?

竹内:いやそれが出来ないんですよ! 追い込まれてないから。

柳田:博報堂ケトルに閉じ込めたらいいんですよ。

角田:もしくはZAZAか。

竹内:久本雅美っておるでしょ? ワハハ本舗の。あいつとやってたときも、久本が読む原稿ネタがあるんですよ。それもその場で書いてましたからね。

博士:そう、だから、ほぼ喋るスピードで書いてるんですよ。でも、その手書きの文章を俺は読まなきゃいけないから。まずその字体に馴れなきゃっていうか。いやでもそれはすごいなあって思いましたよね。......(話を変えて仕切りなおして)で、こっちに座っている細田マサシくんっていうのは、みんな知らないと思いますけど、いま、『メルマ旬報』で本格的なノンフィクションをやってるんですよ。「格闘技を創った男~プロモーター野口修評伝」っていうのを。

渡辺:あれ、面白いですよねえ。......どっち勝つの、最後?(場内笑)

博士:彼自身は、角田さんのもともと知り合いなんだけど、ボクはまったく知らなくて、相棒が、いま水曜日だけど前に土曜日のMXテレビで宇多丸さんとやっているときに、俺は相棒のことをよく分かってるじゃん? 「篠塚の車庫飛ばし」とか、野球のスキャンダルを掘り返すのが好きなのも知ってるけど、「黒い霧ベスト
ナイン」なんていうのをパネルで展開するほどのレベル、それはありえないんですよ。誰か背後に作家というより史家がいるんですよ、そういうのを常日頃、調べてデータとして持って、ちゃんと書く人が。角田さんのツイッターにも、「この土曜日には誰か入っている、それはたぶん、細田くんしかいないだだろう」って書いてたよね。

角田:そうなんです。ボク、もらいましたもんね、番組で使ったフリップ。阪神の不祥事をまとめたやつ。初対面のときに。(笑)

博士:それはでも、「誰かいるんだな」って分かってて、それで番組内の担当の移動があって、ボクの曜日に彼が来たんですよ。そのときに自己紹介をして、「ボクはサムライTVの立ち上げの司会だったんです」と言うんです。この話が分かる人は少ないと思うけど、サムライTVの立ち上げの時の彼がキャスターなんですよ。で、当時、俺も相棒も、そのチャンネルでレギュラー番組を持ってたんだけど、彼のことが、ものすごく気に食わなかったんですよ。

細田:(苦笑)

博士:それは、あまりにも彼が若すぎたし、それで業界全体を仕切るキャスター役をやってたから。でも、そこからすっかり記憶は飛んでいて、そしたら、「ボク昔、ある人の弟子をやってたんですよ......。」と。また謎めかしたことを言うんですよ。それが、結局、上岡龍太郎の弟子だったと。

細田:自分から名乗りましたかね? ケツ割っているんで、あんまり自分からは言わんと思うんですけど......。

博士:自分から言わなきゃ、俺が知っているわけ無いじゃん。顔合わせの時に、酔っ払って、そういうこと謎めかして言ってきたんだよ。

細田:まあ、それはそれとして、渡辺さんと初めてお目にかかるということで。竹内さんとも、堺筋線で実はお会いしたことがあるんですけど。

渡辺:堺筋線......あ、筋は通してる。(場内爆笑)

角田:もう!先言わな、ナギータ!

柳田:ああ! 惜しいなあ! さんまさんやったら説教やな。

細田:あの、さっき誠さんの話出たじゃないですか。で、キッドさんと、シンプレさんじゃないですか。うちの師匠、師匠っていうか、ボク半年ぐらいしか弟子じゃないから、そんなに師弟関係じゃないんですけど、師匠が東京に行くときに時間空くんで、二丁目劇場に行こう思って、行ったときに出てたのが、たまたま浅草キッドやったんですよ。それで、ボクらの前の席に誠さんとシンプレさんが3人で見に来てたんですよ。

渡辺:あー! 見に行きましたわ!

角田:それはキッドさんが出るっていうことで?

渡辺:そうそう、行った行った。二丁目劇場。

細田:その後ろで見てたんです。そのときの浅草キッドのネタも覚えてる! なんか、掘られてどうのこうの、とかいうヤツ。掘られてどうのこうの~、って。

角田:なんかイヤミやな。

渡辺:いやごと入ってるよ。

細田:いやいやいや、それが、めっちゃおもろかったんですよ!

柳田:え、どんなネタやったん?

細田:掘られてどうのこうの~、言うて。

柳田:バカにしてるやん!

細田:いやいやいや、バカになんかしてないですって!

博士:それ俺と相棒がコンビである前にホモ関係だっていうネタだよね。「ボクらよくファンから出来てるとか言われるんですけど......」「そんなことないですよ。それは誤解です。僕らは単なる肉体関係ですから!」ってネタね。(笑)そもそも当時は、赤江くん(玉袋)は、バカで両刀というギミックがあったからね。

細田:そうですそうです。「バラすな!」って博士がツッコむんです、常に。それをシンプレさんと誠さんが前におって、ほんと真後ろでボクが見てたんです。

博士:相当、あの舞台はウケてるよね?

細田:いやもう、ドッカンドッカンウケてましたね。

柳田:それ、前にも一度揉めたことがあんねんけど、うめだ花月違うか?(場内笑)

細田:違うよ!

角田:本人が言うてるんですから。

博士:うめだ花月で10日間入ったことがあって、柳田くんはそれで見てるんだけど、二丁目劇場にも出てくれって、それで同時に......。

柳田:いや、同時じゃないんですよ!

渡辺:確実に二丁目。ホモの話してるから二丁目!(場内笑) いや、でもほんまに二丁目。見に行ったもん。

細田:これね、歴史家としては妥協できへんのは、そのときうめだ花月はないんですよ。うめだ花月シアターが出来るのは92年なんですよ。「テレビのつぼ」でぜんじろう兄さんが司会したのが、92年の10月からだと思うんですよね。そんときに、うめだ花月シアターが立ち上がるんですよ。

博士:え? うめだ花月の前に、二丁目に出てるってこと?

細田:いや、古いほうのうめだ花月やと思います。その古いほうの、うめだ花月のときにはボクまだ大阪にはいないのでまだ見てないんですよ。うめだ花月って潰れてるじゃないですか。

柳田:何回も潰れてるよ。

相沢:昔のうめだ花月に出たときは、スベったんですよね?

博士:スベった。大スベリして。

柳田:あの紳助さんの扇風機事件のときですよね?

博士:そうそうそう。扇風機っていうかエアコンね。楽屋で紳助さんから「吉本も東京から偉いよー冷えるエアコンこうたなーって、客席、寒い寒い!」って言われて。そのときに、サザエさんとか卒業だとか、誰にでもウケる営業ネタを10日間でそこで作ったの。

細田:でもその二丁目劇場のときはものすごくウケてましたね。

博士:それは、若い人のところでやれば圧倒的にウケるっていう記憶はあるから、そのときに、二丁目劇場も行ったと思うんだよね。何回かね。

(註・「水道橋博士年表」によれば浅草キッドが旧うめだ花月の舞台に上がったのは1989年の11月、10日間契約。うめだ花月では惨敗するが、同じ時期に若手主体の二丁目劇場にも上がり、ぶっちぎりでウケを取る。このとき「サイキック青年団」に初出演。その後、細田マサシ氏調べにより、細田と渡辺が浅草キッドの舞台を観たのはその翌々年、91年の1月であることが判明。)

角田:細田さん、そういう歴史的な現場に立ち会ってることが多くて。リングスとK-1をつないだのも......。

細田:あーっ! そうそうそう。いや今日、竹内先生いらっしゃるんで、あれなんですけど、田中正悟さんっていう、前田日明さんの師匠がいて。

博士:そうだ。彼はあの田中正悟のところでも働いてるんですよ。若い人はわからないと思うけど、前田日明の最初の空手のお師匠さんです。今はもう仲違いして、表舞台から消えているけど。

角田:その田中正悟が経営する中華料理店の「西遊記」でバイトしてたんですよ。

竹内:あ、そうなんや!

細田:それでボクが西遊記のバイトをやめてから、田中先生と竹内先生が仲良くなって、怪獣の本とか出すようになるんです。それで田中正悟さんの「西遊記」って店がこのすぐ近く、四ツ橋にあって。当時、出前のバイトしてたんですよ。そこでバイト終わって大国町まで歩いてたんです。だって大阪の地下鉄って高いから、少しでもお金を浮かそうと思って。そしたら大阪球場のところで佐竹雅昭と偶然会うたんです。で「うおー!」って思って。「佐竹さんですよね、握手してください」って。1990年ぐらいの話ですよ。

相沢:K-1がまだ始まってない、正道会館の時代。

柳田:うちのメンバーは、全員、年代言わな駄目なんですかね。

細田:まあまあまあ、でもK-1なんて全然始まってなくて、1990年、ちょうどドン・中矢・ニールセンと初めて試合した直後くらいなんですよ。(註・佐竹雅昭対ドン・中矢・ニールセン戦は1990年6月30日。のち93年にも再戦) で、「うわー!佐竹やー!」ってなって、「君どこかで練習してんのか?」って聞かれて、「実は田中正悟って人のところにおるんです。たまに稽古つけてもろてるんです」って言ったら、「ほんまかー、そんなところおったらあかんで、うちの正道会館来い!」って。「分かりました、いつか行きます!」って言ってその日は別れたんですよ。そしたらね、一週間後、おんなじところで会うたんですよ! で、「うわー!」言うて、佐竹雅昭も「うわー!」言うてるんですよ。「いやこれ何かの縁やで」って言いながらも、当時携帯もないから、「ほんまに道場来い。縁やで!」と。でもそれを西遊記の先輩に言ったら、「行ったらあかん」って言われたんですよ。「先生を裏切る気か!」と。

角田:その人も田中正悟さんの弟子やから。

細田:そうそう。そしたら、ある日、田中先生から、「細田、いまバイト入ってるやろ、ちょっと事務所に来い」って呼び出されて。「うわ怖い、怒られるやつや」、って思いながらも行ったんですよ。そしたら先生が、「お前、正道会館の誰かに会うたやろ?」って言うんですよ。で、「は、はい......」って。そしたら先生が、「やっぱりお前か!」と。「何ですか?」って聞いたら、当時「フルコンタクト空手」っていう雑誌があってですね、「石井館長の対談コーナーっていう連載があんねん。それで俺をな、ゲストに指名してきよったんや。ほんで、なんで俺なんやって聞いたら、おたくのお弟子さんと、うちの選手が会うたらしいんですよって言うとんねん。誰や誰やと思ってたらやっぱりお前やったんか」って言うんですね。それがきっかけで石井和義と田中正悟が出会うわけですよ。で、そこからリングスと正道会館の業務提携が始まったんです。だからボクが、おらんかったら、そこからスタートする「K-1」も、その影響でスタートする「PRIDE」もないんですよ!

(場内大拍手)

細田:ありがとうございました。

竹内:そのあと俺の緑橋のマンションに、田中正悟が佐竹を連れてきよったわけですよ。佐竹とボクがそれで知り合いになって、京橋でよく会うてて、飯を食うってことで俺のマンションで飯を食うてたんですよ。ようビール飲んで、飯食うて。そしたら「明日試合や」って言うんです。東京の代々木で。「お前、こんなとこで飯食うてて大丈夫なんか、いや大丈夫です」って、その試合っていうのがウィリー・ウィリアムスとの試合なんですよ。(註・佐竹雅昭対ウィリー・ウィリアムス戦は1991年6月4日、代々木第2体育館。佐竹の判定勝ち) あの前日に、うちに来てて。だからもう節制もなんもないよね。

角田:でもさっき言うてた「フルコンタクト空手」の話、あるじゃないですか竹内先生。山田(英司)編集長との。

竹内:うん。だから山田さんとちょっと揉めて。ボクが「週刊SPA!」で前田日明にインタビューをしたんですよ。「なにわ通信」って連載で。それを読んだ山田編集長が、これはあかんと文句つけてきて。これは全部ウソや、あんなもん全部八百長やと。ボクは前田日明から、八百長じゃないと聞いてるから。

角田:前田対ニールセンのことでしたっけ?

竹内:いや違う、ジェラルド・ゴルドー。(註・前田日明対ジェラルド・ゴルドー戦は1988年8月13日。第2次UWF時代。前田がゴルドーの右ハイキックをキャッチし、裏アキレス腱固めで勝利) それで文句つけられて、それでじゃあ、ボクが話しますよと言ったら、山田編集長が、いやこれを書いた竹内っていうのと、ボクシングの試合をさせろと。(場内笑) ボクシングで決着つけようと。「いやそれは、おれ無理やで」って言うたら、向こうは、「分かった」と。「じゃあ1ラウンドはボクシング、2ラウンドはトーク」で、って。(場内爆笑)

角田:究極の異種格闘技戦!(笑)

博士:その話ってでも、水面下じゃなく、全然知ってますよ。有名ですよね。でも、すっかり忘れてた。いま思い出した。その話、懐かしいですよ!!

竹内:でしょ? それでボクは新宿の、マイシティの上のところの喫茶店があって、そこへ行ったんですよ。そしたら編集長がグラブ持ってて。(場内笑) やるつもりや。「それはやめてください」と。それで話を聞いて「SPA!」に載せたら、それはボクが意図的に編集して載せてるからということで、喋ったそのままを起こしたやつを「フルコンタクト空手」に全文掲載したのよ。

博士:いや竹内先生あれですね、「変態の流儀」終わったら、自らの外伝みたいな、今まで実際に遭遇した印象的だった事件とかを書き残してほしいですね。

角田:あとはテリー・ファンクと会社やってた話もありますもんね。

竹内:京橋でね。(場内笑)その頃よく、京橋でテリー・ファンクと飯食うてましたわ。(場内笑) ほんで飯食うてたら、おばはんが寄って来て、「プロレスラーですよねえ?」って言われたから「そうですよ!テリー・ファンクですよ!」って言うたら、「いやいや、あんたが!」って。(場内笑)

柳田:竹内さん、昔ええ体してましたもんね。

角田:いや、とは言えテリーですよ!? テリーが横にいるのに、「いやあんたが!」って!(笑)

柳田:テキサスブロンコやないわ。京橋ブロンコや。

竹内:中島らもさんにも初めて会うたときも、「竹内さん、プロレスラーですよねえ?」って言われてね。わけがわからん。

博士:ウソのようなホントの話、まあ俺たち、サイキッカーは先生の「キメ打ち」って呼んでたけど、そのキメ打ち外伝みたいな連載やってほしいですねえ。

角田:歴史的な話で言うと、あのアンドレ(・ザ・ジャイアント)と(スタン・)ハンセンの......。先生が映画館でバイトされてたときに......。

竹内:そうそう。梅田グランドというところで「血のバレンタイン」って映画やってたときに、ジャイアントとハンセンが歴史的な、田園コロシアムでやったその前日に、梅田グランドの「血のバレンタイン」二人で見に来てたんですよ。(場内笑) 二人で肩組んで来てたんや。

博士:面白い!いやいや、本当面白いよ。「変態の流儀」終わったらそれやりましょうよ。

柳田:「変態の流儀」、はよ終わらへんかな。(笑) こっちのほうがおもろいやん。

竹内:でも、「変態の流儀」は、ボクも博士が言われた最低1万票というのを目標にしとるわけよ。1万票を達成したいわけ!

博士:まあでもハッキリ言っておきますけど、「変態の流儀」のせいで、読者はむしろ減ってますからね。(場内笑)

角田:細田さんは、もう一つ歴史的な。いま一番の売れっ子芸人が存在するのはこの世に存在するのは細田さんがいたからって......。

細田:誰でしたっけ?

角田:有吉さんですよ。

細田:あーっ! いやこれ拡散されると、なんかウソつきみたいな......。

角田:でもホンマでしょう?

博士:ちなみに言うと(角田弁護士は)有吉くんの弟弟子でもあるから。

角田:ボクは弁護士になる前に、元々オール巨人師匠の弟子なんで。その有吉さんが芸能界に入るきっかけっていうのも、細田さんが。

細田:まあ、これはあくまで間接的にって話ですけど......ボクですね。いや、ボクですね、いうのも偉そうやけど。K-1はボクですよ。これは間違いない。有吉さんのやつは、「EXテレビ」っていう、ボクが半年間だけ弟子だった上岡さんと紳助師匠の番組で。読売テレビって、らせん階段があって、2階がサロンみたいになってる、あそこで本番終わったらみんなで色んな話をするんですよ。紳助師匠とかは、すごく真面目に、「第二次世界大戦がどうのこうのとか」いう話もされるんです。で、あるとき「次の企画どうする」っていうのを白岩プロデューサーが音頭取りはって。

博士:白岩久弥さんね。後に吉本入りして松本人志映画の総指揮になる人。当時、読売のチーフプロデューサー。関西のテリー伊藤的なひと。

細田:久弥さんが。それこそ倉本(美津留)さんとか色んな方もいらっしゃって。

博士:(客席に)ちなみにこの辺りの話を詳しく知りたい人は、「すべての『笑い』はドキュメンタリーである」という倉本美津留さんの評伝、著者は木村元彦さんの本が出てるけど。それを読んでね。それで?

細田:それで「どうする、次どんな企画がええやろ」って作家さんとかがわーっと意見出し合って、そこに師匠と、紳助師匠もいらしたんですよ。それで「うーん、なんかイマイチやなー」とか言うてるんです。でもうちら弟子っ子は、はよ帰りたかったんですよ。深夜1時じゃないですか。もう眠いなあとか思いながら。そしたら師匠がそれを察したのか分からへんけど、「細田、おまえなんかええアイデアないんか」って振ってきたんですよね。うわ、まずい、俺に振られたで、って。みんながわっと見るじゃないですか。で、そのころ、弟子っこ同士で飲んでたかなんかしたときに、「文珍師匠とかの弟子になるやつって、どんなやつやろなあ?」って話をし合ってたんですよ。「どんなやつが弟子になりよんのかなあ? アホやなあ」、とかって。いやアホじゃないんですよ? 文珍師匠はすごい方です(笑)。

柳田:まあでもほんまのこと言うたらアホやわな。

細田:それで、「ノックは無用!」(関西テレビ)に阪神師匠がゲストに出られたときに、阪神師匠も、めっちゃ厳しいんですよね。サロンの中に弟子は入って行かれへんのですよ。遠くのほうから阪神師匠の一挙手一投足を見て、わって行ったりするから、「阪神巨人怖いな」って。その印象があったから、とっさに「巨人師匠の弟子オーディションって面白くないですか?」って言うたんですよ。

博士:ほぉーっ! それは面白い!

細田:それは弟子ならではの意見なんですね。そしたら今でもはっきり覚えてるのが、それまで紳助師匠なんて話もしたことないですよ。そしたら「(手を叩いて)おもろいなそれ!」って言ってくれたんですよ。

博士:それはすごいなあ。それがなかったら、今、天下を取っている有吉くんがお笑いの歴史に現れてないんだから。

細田:そうですそうです。そしたら白岩さんとか倉本さんとかも、「おもろいな、おもろいな」ってなって。でもたぶん倉本さんの中では俺がやったになってるでしょうよ。さっきの話にもあった記憶の書き換えじゃないですけど。「そんなん知らんで、そんな弟子なんておらへんでそんなやつ」、ってたぶん言われると思うから、この話もあまり言わないんですけど、でもあれはボク言いましたね。間違いなく。だからそこって、記憶の書き換えがどっちが勝つかって問題じゃないですか。

博士:それはだから、勝ち負けじゃなくて、発言力の強い人が残るからね。

細田:そうそう、だからそれはしょうがないですよね。

博士:倉本美津留さんだって、別に手柄にしたいわけでもないしね。それはより細かい話ってことだよね。で、そのMXテレビのスタッフの移動から、俺は細田くんと一緒に仕事をするようになるんだけど、この時期のMXテレビがいろいろキャストが業界的な行政が入り込んでいて、ややこしくなって、だから、てっきり、「この人はスパイなんだ」と思ってて。だから、俺からも楽屋でもあんまり喋らないし、オープンにしないんですよ俺も。

細田:でも、ボクの本は買ってくれたりしてたんですけどね。

博士:それは俺はそういう人だから。俺の曜日の作家に付くってなって、しかも、彼が能力的に史家ってことはわかるじゃない。それで著書はあるのかって検索したら、あると、それで取り寄せて読むような、それは体質的にそういう人だから。でも読んだら、すごいノンフィクション書けてるじゃん。「坂本龍馬はいなかった」っていう本だけど。それで改めて能力を見直して接してるけど、しかし半分はスパイだって意識もあるから。だからお互いに近寄らないようにする関係ではあったんだけど、「あれだけ書けるんだったら何かほかに書いてるものないの?」って。「メルマ旬報」でやりたいんだろうなとは思ったのね、もともと角田弁護士も知り合いだし。それで、曜日担当をやめるって時に「ちょっと読んでもらえますか?」って持ってきた原稿が「何故、チンコは良くてマンコはダメなのか」っていう、タイトルのノンフィクションなの。

柳田:ノンフィクションなんや。

博士:これがギャクじゃなくて完全なノンフィクションなの。松本明子のマンコ事件、その場にいた人たち、ひとりひとりに、いちいち証言を当たっていくの。

柳田:アホな「ゆきゆきて神軍」みたいな。(笑)

博士:そうそう。それを読んで、俺は面白いと思う、って。てっきり「メルマ旬報」の連載でもそれをやると思ってたのね。そうしたらまったく違うやつをやりたいって言って、それが野口修伝っていう。野口修さんっていうのは、キックボクシングを日本に持ち込み、かつ1973年のレコード大賞を獲った五木ひろしの事務所の社長でもある。ちょっと芸能史の中では、まず、ありえない経歴の人なんですよ。それをやりたいって言うんだけど、ボクも名前は知っているけど詳しくはわからないから。それで「野口修」でネットを検索しても、これがまったく引っかからない。だから、「それはやるのはいいけど、無理だろう、ここから広げていくのは」って内心思ってたんだけど、始まって、いま何回目だっけ?

細田:次が6回目ですね。

博士:5回目のタイトルが「若槻礼次郎暗殺未遂事件」。どんだけ壮大な話なんだよ!(場内笑) いやもう本当にすごくて、それを、さっきの新潮の金さんって人に相談して、ノンフィクション部門の編集者を紹介してもらって、原稿を渡して、とにかく書籍化する出口を探してるんですってなったら「こちらでも興味はあります」って話し合いまでやってもらって。で、名刺交換して、とにかく「彼に連絡してあげてください」って裏ではやるわけですよ。向こうだってプロですよ。新潮社にノンフィクションチームあるから、「大山倍達正伝」とか「つかこうへい正伝」とか、「木村政彦は何故力道山を殺さなかったのか」とか、ああいう何年も期間をかけて裏取りしながらやる編集者のチームがあるんですよ。しかも、その担当の本人が編集者でありながら、自分でも色んな賞の候補になっている岡田さんって社員さんなんだけど、後は「任せた!」と。で、いざ、その人が連絡を取ったときに、その人も当然のごとく、細田くんに、「いま書かれている原稿はどの程度書かれてるんですか?」って聞いたのね。そしたら、なんと答えたと思う? 「0・1パーセントです!」って答えたって言うの。......それには、流石にお前なあ、と。

柳田:筋通ってへんと。(場内笑)

博士:そう。あれで0・1パーセントって言われたときに、「よし、貰った、その企画ゴーだ!」って言うやつがどこにいるんだよ!?(笑)

角田:でも、そこはエムカクさんと一緒ですよね。

細田:ウソつけないんですよ。そしたら向こうからまた連絡来たんです。「0・1でもいいんでやりましょう!」って。

博士:それがほぼ一昨日ぐらいの話ですよ。どうなるか分からないけど、企画はゴーしてるから。だってこんなメルマガで書いてるような原稿が、新潮社で、壮大なノンフィクションで出来るなんて夢のような話ですよ。それはめちゃめちゃ朗報ですよ、俺にとっても編集長冥利に尽きる嬉しいことなの。俺は出口を探してるわけ、編集長業務として。でも一番正しい方法は、要は俺が出版社をやるのが一番早いんですよ。だってフリーの編集者も何人もメンバーに入ってるわけじゃないですか。皆、超一流ですよ。それで出版社を立ち上げたら......そしたら、俺は見城徹になれるわけですよ。

一同:あ~。

竹内:なってくださいよ。

角田:(竹内を指して)百田! 百田!

竹内:(無言で礼、場内拍手) では、そろそろ時間も12時になったんで、しめないといけないんですよ。じゃあこの辺でしめますけども、最後にね、細田さん見たとき、ちょっとケニー・オメガみたいな感じに見えて。(場内笑)

角田:また戻ってきた!

博士:先生、そこは発音が違うんじゃないですか?

竹内:ケニー・オ「メ」ガ!  えー、ということで皆さん長い間、ありがとうございました!
(おわり)

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