『水道橋博士のメルマ旬報』傑作選 吉川圭三「Tプロデューサーも知りたい真面目な真面目な長寿番組の知られざる 秘密~『世界まる見え!テレビ特捜部』編」

芸人・水道橋博士が編集長を務める、たぶん日本最大のカルチャーマガジン『水道橋博士のメルマ旬報』。岡村靖幸、酒井若菜、サンボマスター山口隆他・・・49人の豪華連載陣が集うという、定期刊行物としてはムチャクチャなスケールで話題をよんでいます。
これまで過去の傑作選企画として、バックナンバーより選りすぐった神回を限定無料公開してまいりましたが、今回は、かつて日本テレビの敏腕プロデューサーとして名をはせ、現在ドワンゴ・エグゼクティブ・プロデューサーとして活躍中の吉川圭三氏の原稿をお届けさせていただきます。
編集長・水道橋博士の「この出色の原稿を、是非、大勢の人に読んでほしい!」という思いからの無料公開、ご一読くださいませ。 (水道橋博士のメルマ旬報 編集/原カントくん)


以下、『水道橋博士のメルマ旬報』Vo87 (2016年6月10日発行)より一部加筆修正のうえ、抜粋〜


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「第9回・Tプロデューサーも知りたい真面目な真面目な長寿番組の知られざる 秘密~『世界まる見え!テレビ特捜部』編」

今回からいつもの破天荒な人物たちの「メディア伝説」を三回ほど休む。
読者の皆さんも今まで「刺激物だらけ」で、さぞやお疲れではないだろうか?
という訳で今回は閑話休題。ただ「門外不出」とも言うべき「長寿番組」の秘密を語ろう。
これはまるでテレビ番組というモノの「天国の歴史」でも「地獄の歴史」でもある。

実は長寿番組を私が語るきっかけはある人物によるものである。弊社の先輩・Tプロデューサーこと土屋敏男が最近私と会うたびごとに「吉川の始めた番組、今でも長く続いてるよな~」と羨ましそうに呟いてくるからである。しかし土屋さんに説明しようとしても一言では到底、無理な話である。確かに、「世界まる見え!テレビ特捜部」(1990年開始)は放送1000回を超え、「1億人の大質問!笑ってコラえて」は1996年開始だから20年を迎える。途中で終了したが「恋のから騒ぎ」は17年間の長きに渡り続き、姉妹番組「踊る!さんま御殿」は1997年からだから現在まで19年間。話題の「笑点」なども長寿番組だが、ゴールデンタイム(『恋から』は土曜11時台)の放送ではない。ゴールデンという過酷な火星の表面のような強烈な砂塵あり突然の地割れありの厳しい環境の中で、いずれの各番組も老境に達しボロボロになるどころか新番組に囲まれてもピンピンしている。山あり谷ありで、もちろん開始当初から歴代担当スタッフたちの努力の賜物だが、最初の企画者・プロデューサー・演出家として、私はこう少々偉そうに語るのである。

「実を言うと長く続くことは最初に番組の形を作った時からほぼ予測していた・・・。」

読者には『驕り』の様に聞こえるかもしれない。ただ、これは「戦術と戦略と意志の問題」である。この「秘密」を語ることで「テレビ番組というもののある本質」と一断面を語る事になるだろう。これまであまり書いたことのない3つの番組の「創生の秘密」と「長寿の秘訣」を完全に剽窃なく語っていくことにしよう。
もちろん、「番組というモノはただ長く続けば良いと言うものでもない」と言う議論があるのは承知の上での話である。

<「世界まる見え!テレビ特捜部」>の場合

34年くらい前「まる見え」が始まるすいぶん前、日曜の夜10時半から個人的に楽しみにしていたある番組があった。弊社報道局が制作する「万国見聞録」という番組(タイトルは未確認)があった。業界視聴率も高く、そのころ珍しく30分番組で3か国取材した番組で内容は軟派・硬派の話題ありで「フランスの香水の生まれる町」から「シリアの地雷だらけの村」まで・・・コンパクトに「世界を知るヒント」が盛り込まれている。「どうにかこれをヒントに番組が出来ないか?」と考えていた私だが1時間番組を作るとして毎回「5カ国」にロケすることが番組のバリエーションを醸し出すためにはどうしても必要だと思っていた。しかし予算的にそれは絶対に不可能な状況だった。
まだ、超小型・高性能ビデオカメラ・小型コンピューターによる編集機能が誕生する前夜であった。

その後、世界のテレビ番組に「潜在的価値」があると感じさせてくれた二つのエピソードがある。弊社の「万国見聞録」に接した数年後、私は番組のスタッフとマレーシアのリゾートに出かけた。正月休みの1月とは言え日差しは強烈で、ある日私は「熱射病」にかかってしまったのである。氷枕とガンガンにエアコンを利かせた部屋で横になっているしかない。午後3時過ぎ、テレビをボーッと見ていた。刑事「コロンボ」を放送中だった。おなじみのエピソード、しかも英語で現地字幕で私はすっかり見いってしまった。すると40分位経った時だった頃だったろうか、「コロンボ」が完全遮断され突然「コーラン」の声とともに「イスラム教」の寺院の画像に画面が変わる。驚いた。そうここマレーシアの人口の半分以上はイスラム教徒だったのだ。お祈りの時間とあらばドラマも遮断する。・・・「世界のテレビは底知れない。」と思い知った瞬間だった。
またある日、日曜の午後、私が家にいると、TBSが小堺一機さん司会であるパイロット(試作)番組を放送していた。題して「世界の『笑える番組』を見てみよう!」・・・確かそんな題名だった。欧米のお笑い・コント・バラエティ番組を輸入し編集し、ゲストがコメントを言う。しかし、編集技術と素材の質と選定が今一歩だった。やはり、日本人はアダルトビデオからお食事まで基本的には「和モノ」が好きで「洋モノ」が苦手な日本人には刺さりにくいのか・・・とも思った。翌日の同番組の視聴率も今一歩でレギュラー番組にはならなかった。

だが、これを、当時の私は千載一隅のチャンスとみなした。人が手放した場所に「宝の山」が埋蔵されているのはよくあることなのだ。
「毎日膨大な数、世界で作り出され放送されている『世界中の番組』を使えばいい。ロケをするより合理的だし、打ちあわせも台本も会議もかからない。ジャンルは、硬派のドキュメンタリー、コント、動物もの、ホームビデオ、料理番組、秘境紀行番組、報道番組、イリュージョン、音楽番組、天気予報・・・国籍もジャンルも問わない。このジャンルをこだわらないという事が一番大事だ。色んなものが入っている『松花堂弁当』が好きな日本人には『厚切りステーキ一枚』より適した形態だ。」と考えた。

今、偉そうに現在2016年であればこういう表現を使うとわかりやすくなるであろう。
「世界中からネット空間に毎日アップされる有象無象の動画を集めに集め編集する。自らロケは一切しない。この新しい1時間番組をプラットフォームと考えると『世界の映像の多種多様な上澄み』を豪華にこのプラットフォームに並べて行く。笑い、感動、衝撃、謎解き、驚異・・・硬軟なんでもアリのテレビの番組。いわばYou Tubeの総集編。こんなに濡れ手で泡の番組は無い。ただしYou Tubeと違うのは番組・作品のストーリーを大事にした所と『どこの国のどのテレビ局が作ったか?』は放送局・素材のアイデンティティを示す事になるであろうから、表示しよう。したがって、この番組のコンセプトは『テレビを見れば世界がわかる』にしよう。」と決めた。
ベルリンの壁が崩壊し、天安門事件が起こり世界が変化しつつあった、「日本人の海外の見たことがない映像を見たい欲求」は頂点に達しつつあった。私はすぐに企画書を書いた、スペシャル番組が制作され、当時編成にいたTプロデューサーがレギュラー番組にしてくれた。

しかし、始めてみて驚いた。確かに世界中には我々の想像を絶する番組が本当に山ほどあった。中国・ロシア・北朝鮮・メキシコ・中東・ブラジル。米国や英国がやはり高品質で「まる見え」のメインディッシュであったが、これら欧米以外の番組は、「世界まる見え」に絶妙な味付け・スパイス的役割・バリエーションを与えてくれた。入手経路も複雑怪奇で他局の番組が簡単にマネが出来ない。(つまり競争相手がいない状態が続いた)しかし、我が映像買い付け責任者「世界映像マフィア・柴田紀久氏」(故人。本人はこの呼称を笑いながら『マフィアじゃありませんよ。』と否定していた)の交渉は難航を極め「日本での放映権・編集権」で条件が折り合わない傑作番組も山ほどあった。だから、開始当初、我々も番組流通網が確立されるまでは泣く泣く「ありあわせの貧弱な材料」で番組を作らなければならない事もあった。つまり「その日、港に上がった材料でどう最上の料理を作る。」しかない日々も初期にはあった訳である。ただ他局はこの「一見すると制作が簡単そうだが、実際に作ると死ぬほど面倒な番組」をマネしようなどとは微塵も思わなかったのがラッキーだった。私も含めスタッフが実際にその番組を作っていた中国、韓国、南米、欧米、中東等の放送局に直接買い付けに行き。カタログにも載っていない作品の情報も手に入れていた。・・・我々は完全な独走状態だった。

番組が軌道に乗って浮上したときこんな事を考えた。「入口」と「出口」の関係である。「世界中のテレビ局が番組を作り続けて、それを入れる『入口』がある。そして放送という『出口』がある。だから世界が番組や映像を作り続ける限り、油断しなければこの番組は続く。」と確信した。ちょっと難しい話をすれば大学の理工学部時代に習った熱力学の「散逸構造状態が保たれている状態」とも言える。
ある物体(鉄球など)を熱する。過熱を止めても鉄球はしばらく熱を放っている。そしてそれはいずれ冷めて行く、これは自然の法則だ。しかしこの物体にさら熱を加えれば物体は熱いままでいられる。これが「散逸構造」だが、番組も「汲んで尽きせぬ映像の泉」があれば放送で映像を消費・放出しても常に番組自体は新鮮なコンテンツでいられる。つまり健康な細胞のように環境と水と養分を与えられれば「自己組織化された存在」が存続し、ある程度永続してその生命を保つことが出来る。

ただし、私はこの状態とクオリティを保つために留意すべき二つの点があると思うのだ。

一つは何度も言うが「ジャンルを絞らない。素材の傾向を限定しない。」ことである。つまり『喜怒哀楽』を全部ぶち込むことにある。「中国の雑技団」の放映のすぐ後に見ている人の気持ちが途切れない様にして、ちゃんと解説を加えハードな話題、例えば「9・11ワールドトレードセンター崩壊の新事実」をつなげるということを躊躇しないことである。いずれも「世界の実相を捉える映像」とみなす訳である。「世界の笑える番組特集」「世界のカワイイ動物映像特集」「世界の料理番組特集」「世界の衝撃映像特集」と毎回ジャンルを絞ったほうが良いという編成部員や放送作家やスタッフの助言にもし従っていたら番組は間違いなく素材不足と番組の単調化で疲弊しあっという間に崩壊していたであろう。

ただ、何でもありのこんな離れ業が出来たのは司会のビートたけしと所ジョージと初期司会の楠田枝里子に依るところが誠に大きい。「思いっきり笑える中国のカンフー老人」の後に出てくるハードな「死の武器商人の裏側」に対応できるのは当時あの三人以外考えられなかったからである。あの強力接着剤3人組があらゆる題材を見事に料理してくれたのである。

もう一つ、世界の番組を「編集してナレーションを入れ日本の視聴者に理解していただけるように加工する。」のは簡単そうに見えるが意外と繊細でデリケートな技と計算が必要である。正直、番組に向いているスタッフも向いていないスタッフもいた。情が移り離れ難いスタッフもいたが、新番組の離陸・立ち上げは相当なエネルギーと強引な力技が必要である。情の入り込む余地などほとんどないのである。情実を加えた瞬間にこの飛行物体は軌道を外れ墜落してしまうのである。・・・イケていないディレクターはアシスタントプロデューサーへの配置転換を含め、他に番組を斡旋したり、「クビきり」もかなり行った。
新番組の場合、一体どのお偉方が入れたのか「どうせ一生懸命やっても、すぐ終わるんでしょ。」等とみなされて手を抜くスタッフが必ず何人か現れる。こういう輩が番組を腐らせる。私は彼らに「明日から来なくていい。」と二人きりになった時に通告した。こうしてスタッフの力量の精度を高めると共に、ある種の危機感も醸成した。安定飛行にはいるまでの間だが、こうした事がどうしても必要だった。誰か上層部のコネで入って来たスタッフも注意深く撤去した。「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」様な場面もあった。何年も続く可能性のあるテレビヴァラエティはそうしないと内部から腐ってゆく。1本限りの映画や1クールのドラマと違い、一瞬の余裕もない、先が見えない状態が続く闘いだからだ。生き残ったスタッフによると「あのころの吉川さんには何か鬼気迫るものがあった。」と今でも言われることがある。私は当たり前のことをやったと思うのだが。

その他、「世界まる見え」には「他局の類似番組の登場」「You Tube番組の氾濫」(同じ局内にもこの手の番組があった)「他局との素材の取り合い」等
・・・<外部環境の変化>があったがその都度、かなり必死に火消しをして来た。他局からの引き合いが来た場合、素材の供給元からの供給ルートをある方法で遮断するなど、ここには書けない搦め手(からめて)も使ってあの手この手で排除して来た。「You Tube」は過去最大の脅威だったが、しばし対策を練り、我々は「最強のYou Tube映像確保チーム」を作り「世界まる見え」に反映した。我々には山ほどできた類似番組をあらゆる手で潰し強硬に「世界まる見え」を続けたいという「意志」があった。裏番組の「志村けんのだいじょうぶだあ」「水戸黄門」「ダウンタウンのHey!Hey!Hey!」といった強敵もデーター戦争で巧妙に戦ってきた。

そして、今後、健康な「細胞」(番組)がそうであるように、外部から適切な栄養が与えられ、そんなに苛烈な環境変化(裏番組の変化など)がなければ、「世界まる見え」は末永く生息して行くであろう。
もう一つ、条件があるとすれば、スタッフには「常に新しモノ好きでいてほしい」「異質なモノを受け入れる余裕を持ってほしい」という事である。我々の住むこの世界情勢は刻々と変化を続け、生みだされる映像も日々変化する、その中で番組はしっかり時代と呼吸していけるか?そこに全てがかかっているように思う。「設計」した私はそう思うのである。

欧米映像中心だった「世界のテレビ」は日々変化している。いまは、中国・インド・イスラエルが熱い。「世界まる見え」はそこも乗っていけばいいのだ。・・・そして30年後。VR(バーチャルリアリティ)の世界が来たとき。スタッフは必要があれば「VR版・世界まる見え」を作る勇気があるかどうか?マジでそういう問題でもあるのである。これは少し大げさな例えかもしれないが。続けるの言うのはそういう「尋常でない意思」を持てるか?と言うことなのである。(了)

著者プロフィール/吉川圭三
ドワンゴ・会長室・エグゼクティブ・プロデューサー。
1957年東京下町生まれ。早稲田大学理工学部卒業。高校時代から内外映画鑑賞・自主映画制作に没入。映画制作者を目指すが父がたまたまパーティで会った故・大島渚監督に『これからは絶対テレビがいい』と諭され1982年日本テレビ入社。お笑い番組・歌番組・クイズ番組・海外取材番組・ドキュメンタリー番組等・・・ワイドショーとドラマ以外の全ての分野を担当。10年近く鳴かず飛ばず。「世界まる見え!テレビ特捜部」を企画・制作。その後、「恋のから騒ぎ」「笑ってコラえて」「特命リサーチ200X」「踊るさんま御殿」を企画・制作総指揮。編成部企画部長。編成局局次長、制作局局長代理を経て、2014年9月1日、(株)ドワンゴに完全出向。ニコニコドキュメンタリー責任者。近書にスタジオジブリの小冊子「熱風」に1年半連載したものを大幅加筆した「ヒット番組に必要なことはすべて映画に学んだ」(文藝春秋刊)がある。

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