中国人仏師が生み出した個性際立つ仏像たち

大雄寶殿の広々とした空間に、思い思いのポーズでまつられている十八羅漢像。1体ずつ、じっくり観察したい。撮影:岡田ナツ子(Studio Mug)
京都・宇治にある萬福寺は、江戸時代初期、中国からやって来た黄檗宗(おうばくしゅう)の開祖・隠元(いんげん)によって開かれました。仏教の儀式作法や建築など、随所に中国様式が取り入れられています。仏像も中国人仏師による独特の味わいが魅力。そんな個性あふれる禅宗のお寺で、異国情緒を満喫しましょう。駒澤大学教授の村松哲文(むらまつ・てつふみ)さんが、中国人仏師、范道生(はん・どうせい)の仏像を紹介します。

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萬福寺は隠元(1592 〜1673 ) によって、寛文元年(1661)に開かれました。伽藍(がらん)は少しずつ整備されましたが、仏像の像容に関して中国風にこだわりを持っていた隠元は、長崎に渡来していた若手中国人仏師に白羽の矢を立てました。これが、萬福寺の多くの仏像を手がけた范道生(1635〜70)で、そのとき若干26歳でした。
范道生は福建省泉州(ふっけんしょうせんしゅう)出身の仏師で、万治3年(1660)に渡来し、長崎では唐寺(とうでら)の福済寺(ふくさいじ)と興福寺(こうふくじ)の仏像や道教神像をつくっていました。隠元から招かれた范道生は、萬福寺に1年ほど滞在し、仏像づくりに励みました。
仕事が一段落すると、父親(仏師)に会うためにいったん日本を離れましたが、萬福寺の仕事を再開するために寛文10年(1670)に再来日を試みます。ところが、日本は鎖国の真っ只中。滞留は認められずにもめている最中、病を得て、わずか36歳で亡くなってしまいます。
日本での活動期間は6年ほどでしたが、彼の遺した仏像は同時代の京仏師に影響を与え、日本の黄檗宗の存在を広く示すことにも貢献しました。萬福寺では、およそ27体の仏像が范道生作とされますが、彼の指導のもと、多くの中国人や日本人仏師が協力してつくりあげたと考えられています。
弥勒菩薩(布袋)坐像
范道生作 木造 像高約110.3cm  江戸時代

中国の寺院では、布袋は弥勒菩薩の化身とされ、萬福寺でも弥勒菩薩としてまつられています。日本での布袋は、七福神の仲間として有名ですが、中国唐王朝滅亡後の王朝・後梁(こうりょう)に実在した禅僧で、本名は契此(かいし)といいます。太鼓腹を露出し、口を開けて大笑いの布袋は、日用品を入れた大きな袋を担いで町中を歩き、吉凶や天候を占ったといいます。寛文3年(1663)に隠元に依頼され、范道生が製作しました。
■『NHK趣味どきっ!アイドルと旅する仏像の世界』より

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