人々を救済する薬師如来

見ることはできないが、中尊の薬師如来の足の裏には千輻輪文(せんぷくりんもん/車輪の形)や双魚文などの文様が線刻されているという。細部にこだわった繊細なつくりから、天武天皇や持統天皇の思い入れの強さが伝わってくる。撮影:岡田ナツ子(Studio Mug)
病気平癒などにご利益(りやく)がある仏として、広く信仰されている薬師如来(やくしにょらい)。1尊でもまつられますが、チームを組む場合、そのお供は、太陽をイメージする日光菩薩(にっこうぼさつ)と月を表現した月光菩薩(がっこうぼさつ)です。両方の光が人々を平等に照らすようにと願い、薬師如来とともに、私たちを見守ってくれています。駒澤大学教授の村松哲文(むらまつ・てつふみ)さんが、薬師如来の由来と、薬師寺の薬師三尊像について解説します。

* * *


■薬師三尊像

国宝 銅造
薬師如来坐像(像高約254.7cm )
白鳳時代

日光菩薩立像(像高約317.3cm )
月光菩薩立像(像高約315.3cm )

薬師寺の金堂に安置されている薬師三尊像。 『日本書紀』によると、持統天皇 年(697)、7月29日に開眼供養が行われたとされています。中尊(ちゅうそん)の薬師如来は、造立時は鍍金(ときん)が施されて金色に輝いていましたが、現在は一部をのぞいて漆黒の姿に。脇侍(わきじ)は、向かって右に日光菩薩、左に月光菩薩が安置されています。どちらも、首、腰、脚を曲げた流れるような姿勢(トリバンガという)が美しい。特に、腰のくびれに注目。花をイメージした宝冠や胸元の瓔珞(ようらく/アクセサリー)には、もとはガラスがはめてあったと考えられています。金堂の建物は、享禄元年(1528)の兵火により焼失したが、三尊像は当初の造形を残している。また、薬師寺の中尊は、元から薬壺(やっこ)を持っていないが、現在、新型コロナウイルス感染症の終息を願って、特別に薬壺が置かれています。

■「十二の大願(だいがん)」を成就し、人々を救済する薬師如来

薬師如来は、正式には薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)といいます。はるか東にある、仏や菩薩が住む清らかな瑠璃光浄土の教主です。東の方向は、太陽が昇るところ、つまり私たちが生きている世界を意味します。逆に、阿弥陀如来(あみだにょらい)は、西にある極楽浄土に住み、亡くなったときに迎えに来てくれる仏様です。
如来になる前の薬師如来は、菩薩として修行を重ねていました。そのとき、自分が悟りを開いたら、すべての人を苦しみや迷いから救いたいと願い、「十二の大願」という誓いを立て、見事に成就したのです。その内容は、『薬師瑠璃光如来本願功徳経』というお経に説かれています。
誓願の意味は諸説あり、ここで紹介するのは一例です。十二の誓いのなかで、薬師如来の特徴が最もよく表れているのは、第6と第7といえるでしょう。「医王」という別名を持つ薬師如来ならではの内容で、そのために平安時代以降につくられた薬師如来像の多くは、左手に薬壺を持っています。現在も、病気平癒を願う大勢の人々に信仰され、親しまれています。
薬師寺は、奈良に都ができる30年も前に、天武天皇が病に苦しむ皇后(後の持統天皇)のために建てようとしたお寺です。『日本書紀』の天武天皇9年11月の条に、「癸未(みずのとひつじ)に、皇后(きさき)、体不予(みやまひし)たまふ。則(すなわ)ち皇后の為(ため)に誓願(ちか)ひて、初めて薬師寺を興たつ。仍(よ)りて一百僧(ももたりのほふし)を度(いで)せしむ。是(これ)に由(よ)りて、安平(たいら)ぎたまふこと得(え)たり」とあります。「12日に皇后がご病気になられた。そこで、皇后のために、薬師寺の建立に着手した。100人の僧を得度させたところ、幸いにも皇后の病気は快方に向かった」というもので、薬師如来のご利益を得て、皇后は病を克服したということがわかります。
天武天皇が薬師寺の建立を発願(ほつがん)したのは、天武天皇9年(680)のことでした。
■『NHK趣味どきっ!アイドルと旅する仏像の世界』より

NHKテキストVIEW

アイドルと旅する仏像の世界 (NHK趣味どきっ!)
『アイドルと旅する仏像の世界 (NHK趣味どきっ!)』
村松 哲文,和田 彩花
NHK出版
1,430円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
>> HMV&BOOKS

« 前のページ | 次のページ »

BOOK STANDプレミアム