俳句の「切れ」 あるとないとでどう違う?

「香雨(こうう)」主宰、「毎日俳壇」選者の片山由美子(かたやま・ゆみこ)さんが講座を務める講座「見直し『俳句の常識』」。9月号では「切れ」の有無で俳句の印象がどう変わるのか教えてくださいました。

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俳句の基本は五・七・五の定型と季語ですが、そのつぎに重要なのは「切れ」ということになっています。”切れがなければ俳句ではない”と断言する人もいます。
「切れ」というとまず、「や」「かな」「けり」などの切字(きれじ)を用いた句を思い浮かべることでしょう。
古池や蛙(かわず)飛(とび)こむ水のをと

芭蕉(ばしょう)



草の葉を落(おつ)るより飛(と)ぶ蛍哉(ほたるかな)



道のべの木槿(むくげ)は馬にくはれけり



三句とも、これぞ俳句という形に収まっています。切字がなければ切れないわけではありませんが、俳句になぜ「切れ」が必要かというと、上五(かみご) ・中七(なかしち)・下五(しもご)のどこかで切れていない句は散文の断片のようになりがちだからです。
たとえばつぎのような例がそれに当たります。
【1】水を注げば水中花すぐ開き
【2】とりあへず金魚を硝子壜(ガラスびん)に入れ
【1】の作者は、水を注ぐと同時に開いた水中花に驚いたことを言いたかったのだと思いますが、それが伝わらないのです。たとえばこれをつぎのようにしてみましょう。
水中花水をそそげばすぐ開き
ことばは全く変えずに語順を入れ替えただけですが、調子がだいぶ変わったことに気づくと思います。「水中花」を上五に置くと、「古池や」と同じように上五で切れるのが分かると思います。元のかたちは初めから終わりまでずらずら述べているのに対し、上五で切ると、一句にメリハリが生まれて俳句らしい調子になるのです。
【2】は、急に飼うことになった金魚をまずは壜に入れておき、金魚鉢を用意するというところでしょうか。様子は分かるのですが、とりとめのない表現になっています。まさに散文の一部という印象を受けます。これを俳句らしくするには、こんな言い方が考えられます。
とりあへず壜に入れたる金魚かな
下五に「かな」を用いて句末で切ると、きっちりまとまった句になります。
■『NHK俳句』2021年9月号より

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