政治家の老い──新しい時代の理解に失敗
ボーヴォワールは比較老年学の記述の中で、職業による老いの違いについて分析しています。身体的な能力が問われる職業(スポーツ選手、舞踊家、歌手、俳優、芸人、演奏家など)や知的労働者(数学者、科学者、作家、音楽家、画家、政治家など)に至るまで、実にさまざまなジャンルの人物を取り上げ、文献や証言に基づき、彼らの老いを叙述しています。社会学者で、東京大学名誉教授の上野千鶴子(うえの・ちづこ)さんが、その中から政治家に関する記述を読み解きます。
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政治家は、知識人や芸術家と違い、抽象や想像ではなく「現実のなかに根をおろしてい」ます。政治家は時代とより密接な関係にあり、そのため政治家の老いは、自らの健康に裏切られることに加え、激動の時代に裏切られたり、自らが掲げた理想に裏切られたりします。
老人にとって時代の流れに自らを適応させることは一般的に困難であり、たいていの老人は新しい知識や規範を採用することを欲していないと述べています。「一人の老教授は、彼が毎年くりかえす厳(いかめ)しい講義や、その結果彼が得た称号や名誉などと自分を混同する。改革は彼を苛立たせる」。
老いた政治家もそれと同じで、「彼は彼の青年期とはあまりにも異なる新時代を理解することに、しばしば失敗する」と言い、その代表としてボーヴォワールが検討した政治家の一人がチャーチルです。
チャーチルは戦争を遂行するために選ばれた、なぜなら、彼は戦争を予言し、そのための準備をすべきであると主張していたからである、しかし英国がふたたび平和のなかで生きねばならなくなったとき、彼は国民の信頼をかち得るだけの必要な努力をしなかった。もっとも彼にはそれはなしえないことだった、というのは彼は時代とともに進まず、新しい課題についてよく判らなかったからである。しかし彼の老年期をとくに暗くしたのは取りかえしのつかない生理的衰頽であった。
第二次世界大戦中の数年間、「一人で三人分の仕事を果たした」というチャーチルは、戦争終結前に病に倒れ、そこから少しずつ時代に適合できなくなっていきました。選挙に敗れても「自分を『失業した人間』と感じるのに耐えられず、鬱病にとりつかれた」チャーチル。彼はその後も政界に返り咲いては病のため執務に支障を来たし、それでも権力を手放さないということをくりかえします。
ガンディーは、そんなチャーチルと異なり、身体的な老いに自らが追い詰められることはありませんでした。彼はイギリス領だったインドの解放を目指し、各地を回って非暴力を説き、ヒンズー教徒とイスラム教徒の融和に尽力しました。そのために長期の断食も敢行しました。
第二次大戦後、イギリスはついにインドからの撤退に同意しますが、ガンディーが目指した形でのインドの独立は果たされませんでした。イスラム教徒の多い地域がそれを拒んだからです。そこからイスラム教徒とヒンズー教徒のあいだで恐ろしい殺戮(さつりく)が繰り広げられ、結局1947年、両者はパキスタンとインドという二つの国に分割されて独立を果たします。ガンディーは絶望しました。
非暴力の思想に固執していたガンディーは、ヒンズー、イスラム宗教両協同体のなかにどのような暴力がはぐくまれていたかを見抜くことができなかった。彼は現実よりも原則を、そして目的よりも手段を重視したのだった、そしてその結果は、彼の生涯の事業に反したのである。人間にとって、自分の行動(しごと)がまさに成就するときに、それが根底から歪められるのを見ることほど悲劇的な境涯は少ないであろう。
ガンディーは、イスラム教徒に歩み寄ろうとする彼を裏切り者とみなしたヒンズー教徒に銃撃され、78歳で非業(ひごう)の死を遂げました。「政治家は歴史をつくるために、そして歴史によって抹殺されるためにつくられている」とボーヴォワールが書くように、国に勝利や独立をもたらした政治家も、それが達成されるやいなや、その状況にそぐわない人間、あるいは不要な人間になってしまう。大変皮肉なことです。
■『NHK100分de名著 ボーヴォワール 老い』より
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政治家は、知識人や芸術家と違い、抽象や想像ではなく「現実のなかに根をおろしてい」ます。政治家は時代とより密接な関係にあり、そのため政治家の老いは、自らの健康に裏切られることに加え、激動の時代に裏切られたり、自らが掲げた理想に裏切られたりします。
老人にとって時代の流れに自らを適応させることは一般的に困難であり、たいていの老人は新しい知識や規範を採用することを欲していないと述べています。「一人の老教授は、彼が毎年くりかえす厳(いかめ)しい講義や、その結果彼が得た称号や名誉などと自分を混同する。改革は彼を苛立たせる」。
老いた政治家もそれと同じで、「彼は彼の青年期とはあまりにも異なる新時代を理解することに、しばしば失敗する」と言い、その代表としてボーヴォワールが検討した政治家の一人がチャーチルです。
チャーチルは戦争を遂行するために選ばれた、なぜなら、彼は戦争を予言し、そのための準備をすべきであると主張していたからである、しかし英国がふたたび平和のなかで生きねばならなくなったとき、彼は国民の信頼をかち得るだけの必要な努力をしなかった。もっとも彼にはそれはなしえないことだった、というのは彼は時代とともに進まず、新しい課題についてよく判らなかったからである。しかし彼の老年期をとくに暗くしたのは取りかえしのつかない生理的衰頽であった。
第二次世界大戦中の数年間、「一人で三人分の仕事を果たした」というチャーチルは、戦争終結前に病に倒れ、そこから少しずつ時代に適合できなくなっていきました。選挙に敗れても「自分を『失業した人間』と感じるのに耐えられず、鬱病にとりつかれた」チャーチル。彼はその後も政界に返り咲いては病のため執務に支障を来たし、それでも権力を手放さないということをくりかえします。
ガンディーは、そんなチャーチルと異なり、身体的な老いに自らが追い詰められることはありませんでした。彼はイギリス領だったインドの解放を目指し、各地を回って非暴力を説き、ヒンズー教徒とイスラム教徒の融和に尽力しました。そのために長期の断食も敢行しました。
第二次大戦後、イギリスはついにインドからの撤退に同意しますが、ガンディーが目指した形でのインドの独立は果たされませんでした。イスラム教徒の多い地域がそれを拒んだからです。そこからイスラム教徒とヒンズー教徒のあいだで恐ろしい殺戮(さつりく)が繰り広げられ、結局1947年、両者はパキスタンとインドという二つの国に分割されて独立を果たします。ガンディーは絶望しました。
非暴力の思想に固執していたガンディーは、ヒンズー、イスラム宗教両協同体のなかにどのような暴力がはぐくまれていたかを見抜くことができなかった。彼は現実よりも原則を、そして目的よりも手段を重視したのだった、そしてその結果は、彼の生涯の事業に反したのである。人間にとって、自分の行動(しごと)がまさに成就するときに、それが根底から歪められるのを見ることほど悲劇的な境涯は少ないであろう。
ガンディーは、イスラム教徒に歩み寄ろうとする彼を裏切り者とみなしたヒンズー教徒に銃撃され、78歳で非業(ひごう)の死を遂げました。「政治家は歴史をつくるために、そして歴史によって抹殺されるためにつくられている」とボーヴォワールが書くように、国に勝利や独立をもたらした政治家も、それが達成されるやいなや、その状況にそぐわない人間、あるいは不要な人間になってしまう。大変皮肉なことです。
■『NHK100分de名著 ボーヴォワール 老い』より
- 『ボーヴォワール『老い』 2021年7月 (NHK100分de名著)』
- 上野 千鶴子
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