「老い」とは何か
シモーヌ・ド・ボーヴォワール(1908~86)は、ジャン=ポール・サルトルと並び、戦後フランスにおいて実存主義の思想を掲げて活動した作家・哲学者です。代表作『第二の性』(1949年)は、1960年代のウーマン・リブ以降のいわゆる第二波フェミニズム(第一波は19世紀末からの婦人参政権運動)の先駆けとなった著作で、世界の女性たちに大きな影響を与えました。「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」という有名な一節は、現在のジェンダー研究の最先端、すなわち、性差は運命でも単に生物学的なものでもなく、社会的に構築されるものである、という視点を先取りしていました。
そして60歳を超え、今度は老いてゆく当事者として書いたのが『老い』です。社会学者で、東京大学名誉教授の上野千鶴子(うえの・ちづこ)さんが、この大作の概要を紹介してくれました。
* * *
『老い』は邦訳で二段組の上下巻、総ページ数は700超という大著です。全体は二部構成で、第一部(第一章~第四章)では、老いというものが客体としてどう捉えられてきたかが記述され、第二部(第五章~第八章)では、老いが主体によってどのように経験されてきたかが語られます。ボーヴォワールは、当時の老年学の最先端の研究成果を取り込みつつ、生物学、民族学、人類学、社会学、経済学、哲学、文学、心理学など、実に幅広い分野の書物やデータを渉猟(しょうりょう)しています。これだけの資料をどうやって集めたのか、本人に聞いてみたいくらいです。
この本でボーヴォワールは、老いを多角的に考察しています。なかでもいちばんの読みどころは、歴史も社会も個人もが、老いをいかにネガティブに扱ってきたかを、事例やデータをもとに示しながら、それがいかに不当なことであるかをこれでもかと書いているところです。
ボーヴォワールがこの本を発表した1970年、フランスの高齢化率は世界トップレベルでした。と言っても数字としては12パーセントで、25パーセントを超える今の日本と比べればはるかに低いものです。また、歴史的には福祉国家が登場し始めた頃で、フランスを含め世界的にも、社会保障制度はまだまだ脆弱(ぜいじゃく)でした。そうした時期にボーヴォワールは、人間にとって老いは核心的な課題だといち早く指摘した。彼女は序文でこう宣言しています。
しかし、ごまかすのはやめよう。われわれの人生の意味は、われわれを待ち受けている未来のなかで決定されるのだ。われわれがいかなる者となるかを知らないならば、われわれは自分が何者であるかを知らないのだ。この年老いた男、あの年老いた女、彼らのなかにわれわれを認めよう。もしわれわれの人間としての境涯をその全体において引き受けることを欲するならば、そうしなくてはならない。そうすればただちに、われわれは老齢の不幸を無関心に是認しなくなるであろう。それがわれわれにもかかわりのあることだと感じるであろう、事実、それはわれわれにかかわりのあることなのだ。老齢者たちの不幸は、われわれがそのなかで生きている搾取の体制(システム)を白日のもとにさらす。
第五章の冒頭で、ボーヴォワールはゲーテの言葉を引いています。「老齢(おい)はわれわれを不意に捉える」。それまで普通に暮らしてきたのに、ある日突然、自分が老いたことに気づく。あるいは気づかされる。そして愕然とする。まさか、自分が? ボーヴォワールは、「老いをわが身に引き受けることが、とくに困難なのは、われわれがつねに老いを自分とは関係のない異質のものとみなしてきたから」だと言い、しかしいくら自分がそうみなしたくても、「老いは、当人自身よりも周囲の人びとに、より明瞭にあらわれる」と指摘します。
例えば、ボーヴォワールは50歳のとき、こんなアメリカ人女子学生の発言を知って、愕然としたと言います。「じゃ、ボーヴォワールって、もう老女(ばばあ)なのね!」。また、あるときサルトルの友人が、共通の知人の母親のことを「年取った婦人」と名指ししたことに不意を突かれたと述べます。自分は彼女のことを「年取った婦人」と考えたことはなかったが、「他人の眼(まな)ざしが彼女を別の者に変身させた」と言うのです。そしてこう続けています。
それがわれわれと同じ年齢の人の場合、驚きはいっそう苦痛をともなう。われわれはみな次のような経験をもっている、──誰かに出会い、ほとんど見分けがつかないのだが、相手も面くらった様子でこちらを見ている。われわれは心のなかで思う、彼はなんて変わったんだろう! 私もなんて変わったんだろう、と思われているにちがいない! と。
これはわかりやすい経験の例ですね。久しぶりの同窓会で「なに? このじいさんばあさんたち、この人とわたしは同い年なの?」と驚くという、あれです。ボーヴォワールは、「われわれがいぜんとして自分自身であるという心のなかの確信と、われわれの変身という客観的に確実な事柄とのあいだには越えがたい矛盾が存在する」と言い、それを「われわれはいわば知的言語道断(スキャンダル)とでもいうべきものにつまずく」と表現しています。老いはたいてい「他者の経験」としてやってくる。その他者とは、自分よりも先に自分の老いを認識する「周囲の人びと」であり、それを受け入れられない自分にとっての「内なる他者」なのです。
■『NHK100分de名著 ボーヴォワール 老い』より
そして60歳を超え、今度は老いてゆく当事者として書いたのが『老い』です。社会学者で、東京大学名誉教授の上野千鶴子(うえの・ちづこ)さんが、この大作の概要を紹介してくれました。
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『老い』は邦訳で二段組の上下巻、総ページ数は700超という大著です。全体は二部構成で、第一部(第一章~第四章)では、老いというものが客体としてどう捉えられてきたかが記述され、第二部(第五章~第八章)では、老いが主体によってどのように経験されてきたかが語られます。ボーヴォワールは、当時の老年学の最先端の研究成果を取り込みつつ、生物学、民族学、人類学、社会学、経済学、哲学、文学、心理学など、実に幅広い分野の書物やデータを渉猟(しょうりょう)しています。これだけの資料をどうやって集めたのか、本人に聞いてみたいくらいです。
この本でボーヴォワールは、老いを多角的に考察しています。なかでもいちばんの読みどころは、歴史も社会も個人もが、老いをいかにネガティブに扱ってきたかを、事例やデータをもとに示しながら、それがいかに不当なことであるかをこれでもかと書いているところです。
ボーヴォワールがこの本を発表した1970年、フランスの高齢化率は世界トップレベルでした。と言っても数字としては12パーセントで、25パーセントを超える今の日本と比べればはるかに低いものです。また、歴史的には福祉国家が登場し始めた頃で、フランスを含め世界的にも、社会保障制度はまだまだ脆弱(ぜいじゃく)でした。そうした時期にボーヴォワールは、人間にとって老いは核心的な課題だといち早く指摘した。彼女は序文でこう宣言しています。
しかし、ごまかすのはやめよう。われわれの人生の意味は、われわれを待ち受けている未来のなかで決定されるのだ。われわれがいかなる者となるかを知らないならば、われわれは自分が何者であるかを知らないのだ。この年老いた男、あの年老いた女、彼らのなかにわれわれを認めよう。もしわれわれの人間としての境涯をその全体において引き受けることを欲するならば、そうしなくてはならない。そうすればただちに、われわれは老齢の不幸を無関心に是認しなくなるであろう。それがわれわれにもかかわりのあることだと感じるであろう、事実、それはわれわれにかかわりのあることなのだ。老齢者たちの不幸は、われわれがそのなかで生きている搾取の体制(システム)を白日のもとにさらす。
第五章の冒頭で、ボーヴォワールはゲーテの言葉を引いています。「老齢(おい)はわれわれを不意に捉える」。それまで普通に暮らしてきたのに、ある日突然、自分が老いたことに気づく。あるいは気づかされる。そして愕然とする。まさか、自分が? ボーヴォワールは、「老いをわが身に引き受けることが、とくに困難なのは、われわれがつねに老いを自分とは関係のない異質のものとみなしてきたから」だと言い、しかしいくら自分がそうみなしたくても、「老いは、当人自身よりも周囲の人びとに、より明瞭にあらわれる」と指摘します。
例えば、ボーヴォワールは50歳のとき、こんなアメリカ人女子学生の発言を知って、愕然としたと言います。「じゃ、ボーヴォワールって、もう老女(ばばあ)なのね!」。また、あるときサルトルの友人が、共通の知人の母親のことを「年取った婦人」と名指ししたことに不意を突かれたと述べます。自分は彼女のことを「年取った婦人」と考えたことはなかったが、「他人の眼(まな)ざしが彼女を別の者に変身させた」と言うのです。そしてこう続けています。
それがわれわれと同じ年齢の人の場合、驚きはいっそう苦痛をともなう。われわれはみな次のような経験をもっている、──誰かに出会い、ほとんど見分けがつかないのだが、相手も面くらった様子でこちらを見ている。われわれは心のなかで思う、彼はなんて変わったんだろう! 私もなんて変わったんだろう、と思われているにちがいない! と。
これはわかりやすい経験の例ですね。久しぶりの同窓会で「なに? このじいさんばあさんたち、この人とわたしは同い年なの?」と驚くという、あれです。ボーヴォワールは、「われわれがいぜんとして自分自身であるという心のなかの確信と、われわれの変身という客観的に確実な事柄とのあいだには越えがたい矛盾が存在する」と言い、それを「われわれはいわば知的言語道断(スキャンダル)とでもいうべきものにつまずく」と表現しています。老いはたいてい「他者の経験」としてやってくる。その他者とは、自分よりも先に自分の老いを認識する「周囲の人びと」であり、それを受け入れられない自分にとっての「内なる他者」なのです。
■『NHK100分de名著 ボーヴォワール 老い』より
- 『ボーヴォワール『老い』 2021年7月 (NHK100分de名著)』
- 上野 千鶴子
- NHK出版
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