本との心中を選んだおばあさんがモンターグに教えたこと
最初の教師クラリスが突如姿を消し、次にモンターグの前に現れるのは、ファイアマンとして出動した先のボロ家に住む老婆でした。彼女は逃げようともせず、次のセリフを口にします。
「《男らしくふるまいましょう、リドリー主教。きょうこの日、神のみ恵みによってこの英国に聖なるロウソクを灯すのです。二度と火の消えることのないロウソクを》」
このセリフは、1555年、英国国教会の主教ヒュー・ラティマーが、カトリックである女王メアリー一世に弾圧され火あぶりの刑に処せられるとき、一緒に処刑されたニコラス・リドリー主教に語ったとされる言葉です。それを引用して口にしたということは、おばあさんは自分の信仰を守るため、自分が信仰する本とともに燃えて死ぬ覚悟であることを示しています。モンターグはおばあさんを連れ出そうと彼女に懇願までするのですが、彼女は「行って」と言い自らマッチをすり、本と共に焼け死ぬ運命を選びます。第二の教師であるおばあさんはモンターグに何を教えたのでしょうか。名古屋大学大学院情報学研究科教授の戸田山和久(とだやま・かずひさ)さんが読み解きます。
* * *
クラリスに取って代わる第二の先生はおばあさんです。彼女は何を教えてくれたのか。モンターグは、本とともに焼け死ぬ人がいるという信じがたい事実に直面しました。なぜ一緒に燃えてしまうほど本が好きなのか。本にはいったい何があるのか。モンターグはそれを知りたくなります。そのきっかけとなったのがこのおばあさんでした。人を探求に促すことは、教師の大切な役割です。クラリスは、自らの人生を反省的にとらえること、自分は本当に幸せかと問うことをモンターグに教えました。おばあさんは、その問いの答えが本の中にあるかもしれない、と身をもって教えてくれたわけです。
二人の教師は、語ることではなく示すことによってモンターグを目覚めさせている、この点が共通しています。もう一つの共通点は、ろうそくとの結びつきです。前回見たように、月に照らされたクラリスの顔はろうそくの光にたとえられていました。そしておばあさんは、ラティマー主教の言葉を引用し、「二度と火の消えることのないロウソク」を灯しましょうと言っている。
ろうそくの火について考えてみましょう。一つひとつのろうそくの火はかよわいものです。フッと吹けばすぐに消えてしまう。クラリスもおばあさんもかよわい。二人は時代と社会に消されてしまいます。しかし、それでもろうそくの火が「二度と消えることがない」のは、一本のろうそくが消える前に、その火がほかのろうそくに移され、リレーされていくからです。
昔から、思想やアイディアはしばしばろうそくの火にたとえられてきました。アメリカ建国の父の一人トマス・ジェファーソンは、知的所有権について、ある書簡のなかで次のような趣旨のことを語っています。アイディアは個人の頭脳の中におさまっているうちは個人のものだが、いったん口外すれば万人のものとなり、だからと言ってアイディアの量が減るわけではない、それはあたかもわたしが持っているろうそくの火を他人のろうそくに移すのに、わたしの火がなくならないのと同じことである──。
おばあさんの家にあった本をモンターグが盗む。これは、彼女が灯したろうそくの火がモンターグに受け継がれたことを意味します。単に本という物体が一冊、焼却を免れて彼の手に渡ったという話ではない。モンターグが彼女から受け継いだのは、「問い」です。この中には何が書かれているのか、なぜ本はそんなに大事なのか──。そしてその「問い」こそがわれわれを洞窟の外に導くのです。洞窟の暗闇から外の世界に出るためには、足許を照らす灯り、つまりろうそくが必要でしょう。
■『NHK100分de名著 レイ・ブラッドベリ 華氏451度』より
「《男らしくふるまいましょう、リドリー主教。きょうこの日、神のみ恵みによってこの英国に聖なるロウソクを灯すのです。二度と火の消えることのないロウソクを》」
このセリフは、1555年、英国国教会の主教ヒュー・ラティマーが、カトリックである女王メアリー一世に弾圧され火あぶりの刑に処せられるとき、一緒に処刑されたニコラス・リドリー主教に語ったとされる言葉です。それを引用して口にしたということは、おばあさんは自分の信仰を守るため、自分が信仰する本とともに燃えて死ぬ覚悟であることを示しています。モンターグはおばあさんを連れ出そうと彼女に懇願までするのですが、彼女は「行って」と言い自らマッチをすり、本と共に焼け死ぬ運命を選びます。第二の教師であるおばあさんはモンターグに何を教えたのでしょうか。名古屋大学大学院情報学研究科教授の戸田山和久(とだやま・かずひさ)さんが読み解きます。
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クラリスに取って代わる第二の先生はおばあさんです。彼女は何を教えてくれたのか。モンターグは、本とともに焼け死ぬ人がいるという信じがたい事実に直面しました。なぜ一緒に燃えてしまうほど本が好きなのか。本にはいったい何があるのか。モンターグはそれを知りたくなります。そのきっかけとなったのがこのおばあさんでした。人を探求に促すことは、教師の大切な役割です。クラリスは、自らの人生を反省的にとらえること、自分は本当に幸せかと問うことをモンターグに教えました。おばあさんは、その問いの答えが本の中にあるかもしれない、と身をもって教えてくれたわけです。
二人の教師は、語ることではなく示すことによってモンターグを目覚めさせている、この点が共通しています。もう一つの共通点は、ろうそくとの結びつきです。前回見たように、月に照らされたクラリスの顔はろうそくの光にたとえられていました。そしておばあさんは、ラティマー主教の言葉を引用し、「二度と火の消えることのないロウソク」を灯しましょうと言っている。
ろうそくの火について考えてみましょう。一つひとつのろうそくの火はかよわいものです。フッと吹けばすぐに消えてしまう。クラリスもおばあさんもかよわい。二人は時代と社会に消されてしまいます。しかし、それでもろうそくの火が「二度と消えることがない」のは、一本のろうそくが消える前に、その火がほかのろうそくに移され、リレーされていくからです。
昔から、思想やアイディアはしばしばろうそくの火にたとえられてきました。アメリカ建国の父の一人トマス・ジェファーソンは、知的所有権について、ある書簡のなかで次のような趣旨のことを語っています。アイディアは個人の頭脳の中におさまっているうちは個人のものだが、いったん口外すれば万人のものとなり、だからと言ってアイディアの量が減るわけではない、それはあたかもわたしが持っているろうそくの火を他人のろうそくに移すのに、わたしの火がなくならないのと同じことである──。
おばあさんの家にあった本をモンターグが盗む。これは、彼女が灯したろうそくの火がモンターグに受け継がれたことを意味します。単に本という物体が一冊、焼却を免れて彼の手に渡ったという話ではない。モンターグが彼女から受け継いだのは、「問い」です。この中には何が書かれているのか、なぜ本はそんなに大事なのか──。そしてその「問い」こそがわれわれを洞窟の外に導くのです。洞窟の暗闇から外の世界に出るためには、足許を照らす灯り、つまりろうそくが必要でしょう。
■『NHK100分de名著 レイ・ブラッドベリ 華氏451度』より
- 『NHK 100分 de 名著 レイ・ブラッドベリ『華氏451度』 2021年6月 (NHK100分de名著)』
- 戸田山 和久
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