広瀬章人八段の修業時代

撮影:河井邦彦
プロ棋士の強さの秘密を知りたい。どんな方法で強くなったのか。どうしてその方法を選んだのか。そして、なにを目指してどこまで強くなろうとしているのか──連載「わが道をゆく〜強くなるためのメソッド〜」第4回に登場するのは、広瀬章人(ひろせ・あきひと)八段です。
文/高野悟志

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かつて「振り穴王子」と呼ばれ、振り飛車穴熊を主軸に王位のタイトルを獲得した広瀬。今は居飛車党本格派のトップ棋士として活躍している。

■兄に勝ちたい一心で

「将棋を覚えたのは5歳ぐらい。2歳上の兄と一緒に覚え、すぐ夢中になりました。勉強は主に実戦で、他には通っていた教室の宿題をやっていたくらいです。基本的には兄の方が強かったので、勝ちたい一心でした」
小学3年で埼玉県から北海道へ転居。北海道の棋界は、桜井亮治さんと新井田基信さん(故人)が指導者として有名で、その教えを受けて棋力を伸ばした。
「北海道時代も基本的には実戦。道場では何十局と指す日もあった。実戦以外だと、大会では新井田さんの対局の隣に座り、棋譜を書いていました。NHK杯も棋譜を書きながら見ていました。これは親に言われてやっていたことで、集中力をつけさせようとしたみたいです」
詰将棋への取り組みも平凡なものだったが、将棋世界や将棋講座など雑誌の問題は欠かさず解いていた。奨励会入会は小学6年の秋。その後、中学入学のタイミングで一家は埼玉に戻った。
「奨励会受験は1回だけのチャンスという約束でした。6年生の4月からは研修会に入り、一人で東京に通っていました。これは奨励会試験に向けて、東京に慣れるためでした」

■アマチュアの血が

埼玉に戻ってから、勉強の場は東京の蒲田将棋クラブになった。ここで広瀬将棋の骨格が作られた。
「自宅から1時間くらいで行けたので、通うようになりました。奨励会に入ると、普通は奨励会仲間と研究会をやったり、プロの先生に教わったりする人が多いと思うんですけど、基本的には蒲田でずっと指していました。藤森哲也五段や門倉啓太五段らもよく来てましたね。中学時代は、学校が終わると毎日のように蒲田へ行き、帰宅が深夜になって親に怒られることもありました。蒲田では実戦が多くそれまでより、さらに実戦だけになりましたね。アマチュアの方々ともたくさん指しました。最初は全国的強豪の青柳敏郎さん。青柳さんに勝つのが目標で、最初は歯が立たなかったです。しばらくして青柳さんはあまり来なくなったので、結局ほとんど勝った記憶がないまま、指す機会がなくなっちゃいました」
振り飛車穴熊を指すようになったのも、この時期だった。まずアマチュアと実戦を積んだことの影響があり、他には奨励会での香落ち戦にも要因があった。左香がないハンディをカバーするため、上手は振り飛車を指さなくてはならない。
「北海道時代は居飛車党でしたが、奨励会では香落ちが必要になってくるので、いつのまにか振り飛車穴熊を指すようになっていました。山内一馬さん(アマ強豪)の影響が強かったですね。自分は、アマチュアの将棋の血が流れているようなところがありまして。それが振り飛車穴熊につながったのかもしれません」
ここで詰将棋について触れる。解く速さには定評があり、解答選手権でも安定した成績を収めている。今も昔も寸暇を惜しんで取り組んでいるようだ。
「中学時代、蒲田将棋クラブへの往復の時間は、ずっと詰将棋を解いていました。長編作より、比較的短い20手以内くらいの問題を多く解いていました」
昨年には第1子が誕生。生活環境は変わり、勉強時間も減ったという。
「それでも状況に応じた勉強法を工夫しながらやっています。詰将棋を解く量は増えましたね。子どもの面倒を見ながらできるので」
※続きはテキストでお楽しみください。
※肩書はテキスト掲載当時のものです。
■『NHK将棋講座』2021年7月号より

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