30歳の主人公、17歳の教師に出会う
本を読むこと、本を所有することが禁じられた近未来世界。本を持っていることが当局に知られると、「ファイアマン」が駆けつけ、本を家ごと焼却してしまう。そんな世界で誇りをもって忠実に職務に励む一人のファイアマン、モンターグが、本を燃やす仕事とそれを必要とする社会のあり方に疑問を抱くようになり、しまいには社会を捨て、本を守り伝える人間として生きていくことを決意する——レイ・ブラッドベリの『華氏451度』は、モンターグの成長物語であり、作中には彼を導く“教師”が登場します。最初の教師として現れるのは17歳の少女、クラリスでした。名古屋大学大学院情報学研究科教授の戸田山和久(とだやま・かずひさ)さんが、モンターグとクラリスが出会う場面を読み解きます。
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前回も述べたように、この小説はモンターグの成長物語でもあり、私は今回、その枠組みに沿ってみなさんとこの作品を読み進めていこうと思っているのですが、心が白紙状態の男が成長するには教師が必要でしょう。フェーバーは実際に元教師だった人物ですが、モンターグはフェーバー以外にも何人かの「教師」と出会い、彼らとの出会いを通じて「体制順応主義者の地獄」から脱出していきます。最初の先生は、クラリス・マクレランという17歳の少女です。
ある晩秋の月夜、仕事帰りのモンターグは家の近くで初めてクラリスに出会います。彼女は近ごろ隣家に引っ越してきた少女。世界に対する好奇心に満ちあふれ、モンターグのことを「生きいきとかがやく黒い目」で見つめています。モンターグは、初対面のあいさつで「やあ」と言っただけなのに、自分が何かすばらしいことを言ったかのような錯覚にとらわれます。クラリスは自分のことを「歳は17で、頭がイカれてるの」と自己紹介するのですが、ここはむしろ「17だから」と読んでみるとおもしろいでしょう。つまり、大人でも子どもでもないため世の中にうまく適合しない。ティーンエイジャーとはそういう存在ですよね。そんな存在をまず主人公に出会わせていることが重要です。また執筆当時の1950年代は、10代は消費者として位置付けられていない存在でした。アメリカでティーンエイジャー向けの消費文化が生まれるのは60~70年代です。このことも、のちに非常に重要になってきます。
実際、クラリスはとても変わっています。ほかの人がしないことをし、することをしない。クラリスがするのは次のようなことです。
・歩き回る(特に深夜に)
・意味のある会話をしたがる
・家族で話をする
・考えることに時間を使う、考えることで時間を潰す
・自然が好き
・他人に関心がある
・問いと自立した思考をもっている
当たり前のことばかりで変わったところなんてないじゃないか、と思うかもしれません。しかし、こうした行為こそモンターグたちの社会では狂気とみなされるのです。実際、クラリスの伯父は用もなく歩き回っていたというだけの理由で逮捕されたことがあります。
クラリスは、初対面のモンターグを質問攻めにします。問いをもつこと自体この社会では珍しいことなのですが、クラリスが発する問いにはある重要な特徴があります。
一つは、すぐには答えられない問いであるということ。ゆっくり考えないと答えられないことだったり、そもそもモンターグが答えを知らないことだったりします。たとえばファイアマンの起源。かつてファイアマンの仕事は火を消すことだったと聞いたが本当かと聞かれ、そのことを知らないモンターグはきちんと答えられません。
もう一つは、経験の記憶についての問いであること。「朝の草むらを見たら露がいっぱいたまっていたの」とか、「お月さまのなかに人が見える」とクラリスは言うのですが、モンターグは朝露も月も久しく見ていないため、そう言われても何と答えていいかわからない。毎日、夜に帰宅しているのに、そういえば月を見ていなかったとあらためて気づくわけです。クラリスは逆に、自然をよく観察し、簡単には答えられない問いについて絶えず考える人です。おもしろいことに、この小説ではクラリスが本を読む人であるとはどこにも明言されていません。しかし彼女は確実に、文学的想像力の象徴としてこの物語に登場しています。
■『NHK100分de名著 レイ・ブラッドベリ 華氏451度』より
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前回も述べたように、この小説はモンターグの成長物語でもあり、私は今回、その枠組みに沿ってみなさんとこの作品を読み進めていこうと思っているのですが、心が白紙状態の男が成長するには教師が必要でしょう。フェーバーは実際に元教師だった人物ですが、モンターグはフェーバー以外にも何人かの「教師」と出会い、彼らとの出会いを通じて「体制順応主義者の地獄」から脱出していきます。最初の先生は、クラリス・マクレランという17歳の少女です。
ある晩秋の月夜、仕事帰りのモンターグは家の近くで初めてクラリスに出会います。彼女は近ごろ隣家に引っ越してきた少女。世界に対する好奇心に満ちあふれ、モンターグのことを「生きいきとかがやく黒い目」で見つめています。モンターグは、初対面のあいさつで「やあ」と言っただけなのに、自分が何かすばらしいことを言ったかのような錯覚にとらわれます。クラリスは自分のことを「歳は17で、頭がイカれてるの」と自己紹介するのですが、ここはむしろ「17だから」と読んでみるとおもしろいでしょう。つまり、大人でも子どもでもないため世の中にうまく適合しない。ティーンエイジャーとはそういう存在ですよね。そんな存在をまず主人公に出会わせていることが重要です。また執筆当時の1950年代は、10代は消費者として位置付けられていない存在でした。アメリカでティーンエイジャー向けの消費文化が生まれるのは60~70年代です。このことも、のちに非常に重要になってきます。
実際、クラリスはとても変わっています。ほかの人がしないことをし、することをしない。クラリスがするのは次のようなことです。
・歩き回る(特に深夜に)
・意味のある会話をしたがる
・家族で話をする
・考えることに時間を使う、考えることで時間を潰す
・自然が好き
・他人に関心がある
・問いと自立した思考をもっている
当たり前のことばかりで変わったところなんてないじゃないか、と思うかもしれません。しかし、こうした行為こそモンターグたちの社会では狂気とみなされるのです。実際、クラリスの伯父は用もなく歩き回っていたというだけの理由で逮捕されたことがあります。
クラリスは、初対面のモンターグを質問攻めにします。問いをもつこと自体この社会では珍しいことなのですが、クラリスが発する問いにはある重要な特徴があります。
一つは、すぐには答えられない問いであるということ。ゆっくり考えないと答えられないことだったり、そもそもモンターグが答えを知らないことだったりします。たとえばファイアマンの起源。かつてファイアマンの仕事は火を消すことだったと聞いたが本当かと聞かれ、そのことを知らないモンターグはきちんと答えられません。
もう一つは、経験の記憶についての問いであること。「朝の草むらを見たら露がいっぱいたまっていたの」とか、「お月さまのなかに人が見える」とクラリスは言うのですが、モンターグは朝露も月も久しく見ていないため、そう言われても何と答えていいかわからない。毎日、夜に帰宅しているのに、そういえば月を見ていなかったとあらためて気づくわけです。クラリスは逆に、自然をよく観察し、簡単には答えられない問いについて絶えず考える人です。おもしろいことに、この小説ではクラリスが本を読む人であるとはどこにも明言されていません。しかし彼女は確実に、文学的想像力の象徴としてこの物語に登場しています。
■『NHK100分de名著 レイ・ブラッドベリ 華氏451度』より
- 『NHK 100分 de 名著 レイ・ブラッドベリ『華氏451度』 2021年6月 (NHK100分de名著)』
- 戸田山 和久
- NHK出版
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