徹底して受動的に話を聞く モモのすばらしい才能

大都市が栄えていた時代、芝居を愛する人々でにぎわっていた円形劇場は今や廃墟。この廃墟に住み着いた少女が物語の主人公であるモモです。モモは町の人たちの好意で円形劇場跡の部屋を住みやすく整えてもらい、食べ物を分けてもらいながら、そこで暮らし始めました。町のみんなはモモを援助しているのに、次第にモモは「みんなにとって、なくてはならない存在」になりました。いったいなぜでしょうか。京都大学教授、臨床心理学者の河合俊雄(かわい・としお)さんが解説します。

* * *

ひょっとすると、魔法がつかえたのでしょうか? どんななやみや苦労もふきはらえるような、ふしぎな呪文でも知っていたのでしょうか? 手相をうらなうとか、未来を予言するとかができたのでしょうか?
これもあたっていません。
小さなモモにできたこと、それはほかでもありません、あいての話を聞くことでした。なあんだ、そんなこと、とみなさんは言うでしょうね。話を聞くなんて、だれにだってできるじゃないかって。
でもそれはまちがいです。ほんとうに聞くことのできる人は、めったにいないものです。そしてこのてんでモモは、それこそほかにはれいのないすばらしい才能をもっていたのです。

(2章 めずらしい性質とめずらしくもないけんか)



魔法や予言は、たいていのまれびと(客人、来訪神)が持つ能力です。これらは、まれびと側に特殊な知識があるからできることでしょう。ところがモモは違って、彼女にできるのは相手の話を聞くことだけでした。つまり、モモがただ話を聞いてくれる、それがみんなにとってとても大きなことだったのです。お気づきの方もいるかと思いますが、これは心理療法家の仕事によく似ています。その類似性の意味については、あとでお話しすることにしましょう。
もう少し物語を読み進めます。モモに話を聞いてもらうと人々はどうなるのか。
モモに話を聞いてもらっていると、ばかな人にもきゅうにまともな考えがうかんできます。モモがそういう考えをひきだすようなことを言ったり質問したりした、というわけではないのです。ただじっとすわって、注意ぶかく聞いているだけです。

(同前)



モモを相手に話をしていると、自分の中に何らかの解決策が浮かんでくるというのですね。

どうしてよいかわからずに思いまよっていた人は、きゅうにじぶんの意志がはっきりしてきます。ひっこみじあんの人には、きゅうに目のまえがひらけ、勇気が出てきます。不幸な人、なやみのある人には、希望とあかるさがわいてきます。


(同前)



ここでモモは、徹底して受動的です。自分からは何もいわない。しかしまさにそのことによって、相手の中に自分自身の考えが生まれてくるのです。モモの話の聞き方における大きな特徴です。
受動に徹するモモのおかげで、人々の悩みはどんどん解決していきました。
たとえば、こう考えている人がいたとします。おれの人生は失敗で、なんの意味もない、おれはなん千万もの人間のなかのケチなひとりで、死んだところでこわれたつぼとおんなじだ、べつのつぼがすぐにおれの場所をふさぐだけさ、生きていようと死んでしまおうと、どうってちがいはありゃしない。この人がモモのところに出かけていって、その考えをうちあけたとします。するとしゃべっているうちに、ふしぎなことにじぶんがまちがっていたことがわかってくるのです。いや、おれはおれなんだ、世界じゅうの人間のなかで、おれという人間はひとりしかいない、だからおれはおれなりに、この世のなかでたいせつな者なんだ。こういうふうにモモは人の話が聞けたのです!

(同前)



■『NHK100分de名著 ミヒャエル・エンデ モモ』より

NHKテキストVIEW

ミヒャエル・エンデ『モモ』 2020年8月 (NHK100分de名著)
『ミヒャエル・エンデ『モモ』 2020年8月 (NHK100分de名著)』
河合 俊雄
NHK出版
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