日常を少しだけ超えた特別感 「弁当」を詠む

『塔」選者の栗木京子(くりき・きょうこ)さんが講師を務める講座「短歌de胸キュン」。今年度のテーマは「飲食の風景」です。9月号では、「弁当」を詠んだ歌を紹介します。

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弁当、と聞くといつも心が浮き立ちます。家から持参した場合でも、外出先で購入した場合でも、弁当を開けるときにはどこか期待感のようなものが伴っているからでしょうか。日常を少しだけ超えた特別な感じがうれしいのです。
講演に岡山に行きて日がへりす昼も駅弁夜も駅弁

小池 光(こいけ・ひかる)『梨の花』



旅の醍醐味(だいごみ)は駅弁を食べること。ご当地限定、といった品があると心が動きます。埼玉県在住の作者は、東京駅に出てから新幹線で岡山に行ったのでしょう。東京─岡山間は、のぞみ号で三時間余り。日帰りの講演は、かなりの重労働です。せめて岡山で夕食をゆっくりとれればよかったのですが、時間の関係で帰路も車中で弁当を、ということになったようです。それでも、作者の気分は少し弾んでいる印象を受けます。夜の駅弁は岡山ならではの味わいを選んだからではないでしょうか。
大正時代に流行した「コロッケの唄」に「今日もコロッケ明日もコロッケ」という歌詞が出てきますが、この歌の下句「昼も駅弁夜も駅弁」は「コロッケの唄」を思い出させます。リズミカルにつぶやきながら駅弁を開く作者の姿が想像できて、お疲れ様でした、と声をかけたくなります。
ふたの裏すつくすつくとしろたへのごはんつぶ立つ歌舞伎弁当

坂井修一(さかい・しゅういち)『古酒騒乱』



歌舞伎座へ市川海老蔵(いちかわ・えびぞう)の芝居を観に行った折の歌です。幕の内弁当は芝居の幕間に食べたことからその名が付いた、とも言われています。歌舞伎の公演は長時間にわたるため合間に休憩があり、そのときに座席や休憩所などで弁当を食べるのも観劇の楽しみのひとつです。蓋に付いたご飯粒が「すつくすつく」と立っているように見えたのは、海老蔵の芝居の勢いが作者の中に生き生きと残っていればこそ。荒事(勇猛な武人や超人的な鬼神などを荒々しく演出した様式)を得意とする成田屋(なりたや)ならではの感覚です。白い色を表す「しろたへ」ですが、「しろたへの」は衣や袖や雪などに掛かる枕詞でもあり、歌舞伎座で食べる弁当に優雅なニュアンスを添えています。
■『NHK短歌』2020年9月号より

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