久保利明九段の振り飛車の歴史

写真:河井邦彦
平成の将棋界はどのように動いてきたのか。平成の将棋界をどうやって戦ってきたのか。勝負の記憶は棋士の数だけ刻み込まれてきた。連載「平成の勝負師たち」、2020年2月号には久保利明(くぼ・としあき)九段が登場する。

* * *

筆者が小学4年生で出た将棋大会での出来事。組み合わせが発表されると、うわさの天才少年が筆者の前に座った。対局は天才少年の四間飛車に居飛車穴熊で対抗した。その結果を父親に「2手差で負けた」と笑いながら報告。その後しばらくの間、その将棋を何度も並べ直していたのだから、対戦できたことがうれしかったのだろう。
その天才少年は久保利明九段である。小学3年生でアマ五段と書かれていた新聞記事を読み、筆者は久保のことを知っていた。自分は2級ぐらいだったので、すごい強い子という憧れの存在。対戦した翌年、久保は奨励会に入ったので、将棋大会で会えなくなる。遠くに行ったんやなと子ども心に思った。
その5年後の平成3年、筆者は奨励会入会試験に6級で合格し、久保と再会することができた。当時の久保は二段だったが、その数か月後に三段に昇段した。同学年とはいえ、5年も先輩だし、実力差も手伝って、自分からは話しかけることはできなかった。
そんな久保とは淡路仁茂九段門下の同門。話し合うようになるまでにはもう少し時間がかかったが、今でも兄弟子、弟弟子の関係は続いている。

■久保振り飛車の歴史

プロ入りした久保は四間飛車を主軸にしていた。天敵・居飛車穴熊への攻略の研究が進み、四間飛車が大流行した時期と重なる。
「玉を4八に保留して、端で位を取って桂を跳ねていく指し方など、三段の時に指したことがあるよ」
当時から穴熊に組まれる前に戦いを仕掛ける発想はあった。その研究が進んで藤井システムにつながる。久保は藤井システム第1号局の1週間前に、居玉で攻撃する新構想を披露している。
「井上先生(慶太九段) との将棋。ボロ負けのやつね」
そう、負けてしまったためにあまり注目されなかったのだが、現場で見ていた人間として、振り飛車の新時代が来たと感じたあの興奮は忘れられない。
その後、藤井システムは一大ブームとなって何年にも渡って研究合戦となり、かなりの鉱脈(変化)が発掘された。久保も独自の工夫をいくつも見せ、藤井システムの進化に貢献した。だが、結局は穴熊の堅さに苦労することになり、四間飛車は振り飛車の主役の座から降りることになった。
久保にゴキゲン中飛車に転向するきっかけを聞くと「四間飛車で負けが込んだ時期に森雞二九段を相手に指してみて、面白そうだと感じたから」と当時を振り返った。「羽生世代の研究に勝てなかったな……」とため息交じりで話す姿を見ていると、当時は相当な思いがあったのだろうと想像する。
文:藤本裕行
※続きはテキストでお楽しみください。
※肩書はテキスト掲載当時のものです。
■『NHK将棋講座』2020年2月号より

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