李世民が名君であるために実践していた三つのこと

中国は歴史が書き残される国です。古来、政権が変わると、現王朝が前王朝の「正史」、すなわち正式な歴史というものを編纂してきました。中国では、司馬遷の『史記』から『明史(みんし)』までの二十四史が歴代の正史とされています。このように正史が書き継がれる国では、君主が悪いことをすれば確実に記録されます。兄を殺害して帝位を奪った皇帝が、その後まったく良い政治をしなかったとしたら、前者の事実だけが歴史に残るでしょう。唐の太宗・李世民としてはそれだけは避けたい。これが正史を残さない国であったら、太宗とて楽をしようと思ったことでしょう。
後世に悪口を書かれないために、太宗は自らの言動を絶えず律していました。そして君主としての判断を誤らないよう、三つのことを実践していました。立命館アジア太平洋大学学長の出口治明(でぐち・はるあき)さんが『貞観政要』の当該箇所を読み解きます。

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貞観十六年に、太宗が諫議大夫の褚遂良に語って言われた、「公は天子の言行を記録する官を兼ねている。このごろ我が行う事の善悪を記しているかどうか」と。遂良が〔お答えして〕言った、「史官の記録は、君主の挙動を必ず書きしるします。善事はいうまでもなく必ず書し、過失もまた書いて隠すことがありません」と。太宗が〔重ねて〕言われた、「今、我は勤めて三つの事を実行している。それは、史官が我の悪を書かないことを望むからである。一には前代の〔帝王の〕失敗の事を手本として戒めとする。二には善人を進め用いて、共に良い政治を完成しようと思う。三には多くの小人どもを退けて、讒言(ざんげん)を聞き納れないことである。我はこの三事をよく守って、最後まで変えまいと思う」と。

 (巻第六 杜讒佞第二十三 第八章)



ここで太宗は、自身が実践している三つの行いを挙げ、これを最後まで変えることなく続けると述べています。
一つ目は、歴史に学ぶこと、とくに過去の皇帝の失敗に学ぶことです。これは今でも通じることですが、過去のケースを見るときには失敗のほうが参考になります。うまくいった事例というものは、たいていみんなが話を盛っていますから、あまり役に立ちません。自分の経験の場合でも、成功した体験よりも、失敗して痛い目に遭ったときのほうが、人間は多くを学ぶのではないでしょうか。
二つ目は、優秀な人たちを登用して一緒に仕事をすること。つまり、臣下を用いるときには、好き嫌いではなく能力を重視することです。
三つ目は、取るに足らない噂や忠告を聞かないということです。臣下の中には、「ご注進、ご注進」と寄ってくるゴマすりがいて、「あの人は陰であなたの悪口を言っていましたよ」などと告げ口をしてくる。そんなことをいちいち聞いていては、君主は不安になるだけです。ですから、二つ目と三つ目は対になっていて、告げ口や陰口は聞くだけ無駄、良い政治をするには善人を側に置いて閣議を設け、みんなで一緒に議論することが大切だ、と太宗は言っているのです。
この点については『三国志』に有名なエピソードがありますね。魏(ぎ)の曹操(そうそう)は、官渡(かんと)の戦いで華北最大の敵であった袁紹(えんしょう)を破ります。そのとき、曹操の部下が袁紹側に内通していたであろう、袁紹宛の手紙がたくさん出てきました。おそらく、「お金をくれたら曹操を裏切ってもいい」などといったことが書いてある。配下の裏切り者を知る絶好の機会です。ところが曹操は、それらの手紙は読まずに、臣下の前ですべて焼き捨てました。
このエピソードは一般には、裏切りをなかったことにしてくれた曹操に部下たちは改めて忠誠を誓った、逆に曹操はそうすることで部下を掌握した、と解釈されています。
しかし僕は、その解釈だけでは足りないと考えています。というのは、曹操も本当は手紙を読みたかったに違いないからです。部下たちは自分のことを何と書いていたのか、気になって当たり前です。しかし、もし自分がそれを読んでしまったら、疑心暗鬼が生じることを曹操はわかっていました。だから、手紙を読まずに焼くことによって、自分の心を諫めたのです。そちらのファクターのほうが大きいと僕は思います。
曹操の行動は、まさに太宗の三つ目の心がけに通じることでしょう。讒言(ざんげん)を耳に入れないことで、曹操は自分の心の平安を保ったわけです。これもリーダーの大切な心がけだと思います。
■『NHK100分de名著  呉兢 貞観政要』より

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