「善」の定義

西田幾多郎は著書『善の研究』で「善」をどのように定義しているのでしょうか。批評家、東京工業大学教授の若松英輔(わかまつ・えいすけ)さんが読み解きます。

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近代では、「個」が尊重され、「私」が「私」の人生を「私流」に生きることがよしとされました。それ以前は、さまざまなところで「個」が束縛され、大きな不自由を強制されていたのです。国、宗教、共同体などが「個」であろうとすることを阻害していました。
「個」の自由、これは社会的な出来事としては、大変重要な、文字通り革命的な出来事でした。しかし、「個」で生きることに慣れた私たちは、他者とのつながりを忘れがちになっていることも否めません。
社会生活における「個」と、他者と共にある「個」は両立し得ます。この二つの「個」が共に開花することが、西田がいう「善」なのです。
現代人は「善」とは何かを考えるとき、ほとんど同時に誰かの役に立つことを思い浮かべるのではないでしょうか。あるいは、「善悪」という言葉を用いて、「悪」との対比のなかで考える場合もあるかもしれません。
しかし、西田は少し別な道を行きます。先の一節にあったようにまず、彼にとって「善」とは「大なる自己」の開花であり、それに基づいて「行為」することなのです。
西田が考える「善」を読み解くときに、幾つかの鍵となる言葉があります。
①「自己の発展」あるいは「自己の発展完成」
②「行為」と「意識」
③「利己」と「人類」
まずは、①「自己の発展」あるいは「自己の発展完成」から見ていきます。西田は「最上の善」とは、個々の人間のなかに眠っているものが、世に出現し、「円満なる発達を遂(と)げる」ことだといいます。
かく考えて見れば意志の発展完成は直(ただち)に自己の発展完成となるので、善とは自己の発展完成 self-realization であるということができる。即ち我々の精神が種々の能力を発展し円満なる発達を遂げるのが最上の善である

(第三編 善 第九章 善(活動説))



ここで西田は“self-realization”という英語を書き添えています。これは今日、「自己実現」と訳されている言葉です。現代では、自分の願望をかなえることを意味するように用いられることが多いのですが、もともとの意味はまったく異なります。それは西田が書いているように自己が「円満なる発達を遂げる」ことです。
ここでの「円満」は「完全」と同義だと考えてよいと思います。「種々の能力」には、速く走る、絵をうまく描くなどの身体的機能も含まれますが、何よりも大切なのは、これまで見てきたように「知と愛」、内なる叡智と自他を超えた愛の顕現です。
人が、真の意味で「自分」であること以上の「善」はない。ここには徹底的な平等があり、非差別的な哲学があります。
■『NHK100分de名著 西田幾多郎 善の研究』より

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西田幾多郎 『善の研究』 2019年10月 (NHK100分de名著)
『西田幾多郎 『善の研究』 2019年10月 (NHK100分de名著)』
若松 英輔
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