大江文学の構造

1994年にノーベル文学賞を受賞した大江健三郎。作家で早稲田大学教授の小野正嗣(おの・まさつぐ)さんが大江の生い立ち、そして作品に共通する構造上の特徴を紹介します。

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大江健三郎は、1935年に愛媛県の四国山脈の中央部に近い「谷間の村」、愛媛県喜多郡大瀬村(現在の内子町〈うちこちょう〉大瀬)に生まれました。兄二人、姉二人がいて、弟と妹が一人ずついる七人きょうだいの五番目の子供です。生家は、紙幣の原料となる三椏(みつまた)の繊維を精製して内閣印刷局に納める仕事を家業としていました。9歳のときに祖母と父親を失います。この祖母のフデから健三郎少年は、明治維新の前後にこの地方で二度にわたって起こった一揆の昔話を聞かされます。その中心人物の名を取って、作家がのちに「オコフクの物語」と呼ぶこの一揆譚は、少年の心に深く刻まれることになります。
敗戦による学制改革によって、健三郎少年が通っていた大瀬国民学校は大瀬小学校となり、1947年に新制の大瀬中学校に入学します。この年の5月に、日本国憲法が施行され、少年は、民主主義の社会になるのだという時代の変化を喜びとともにたしかに感じ取ります。
中学卒業後、地元の高校に進学するものの、上級生から暴力をたびたび受け、高校二年生のときに松山市の松山東高校に転入します。そこで、彼の人生を決定づけることになる一冊の本に出会います。フランソワ・ラブレーの専門家・翻訳者として著名なフランス文学者、渡辺一夫の書いた『フランス ルネサンス断章』です。この本に深い感銘を受けた大江は渡辺に師事する決意を固め、東京大学に進学します。そして同大学文学部フランス文学科在籍中に発表した短篇「奇妙な仕事」が、東大の五月祭賞を受賞します。「東京大学新聞」に掲載されたこの作品はたちまち出版界の注目を集め、大江は請われるままに文芸誌に次々と作品を発表するようになります。作家・大江健三郎の誕生です。そして、まだ在学中の23歳のとき、「飼育」により芥川賞を受賞します。
その後の大江のめざましい活躍は説明するまでもないかもしれません。1967年、32歳のときに、四国の谷間で起きた一揆を題材とした長篇小説『万延元年のフットボール』で、谷崎潤一郎賞を受賞します(これは当時もいまも最年少の記録です)。この小説は、これ以降作家がその小説世界において、四国の森の谷間に伝承されてきた神話と歴史をより豊かに発展させていくことを考えれば、彼の長い作家人生の前半部の頂点をなす重要な作品だと言えます。
大江健三郎は、卒業論文の主題とするほど傾倒した、「社会参加(アンガージュマン)」で知られるフランスの作家・哲学者ジャン=ポール・サルトルのように「行動する知識人」でもありました。若いころから同時代の社会的・政治的な問題に深い関心を寄せ、積極的に関わり、発言を続けてきました。
広島と長崎に原爆を投下された唯一の被爆国である日本にとってとりわけ看過できない「核」の脅威の問題と、1972年に本土復帰を果たすまでアメリカの占領下にあった沖縄の問題は、作家にとって重要な主題でした。広島と沖縄で取材を重ねて書かれた『ヒロシマ・ノート』(1965年)と『沖縄ノート』(1970年)というすぐれたルポルタージュは、やはり大江の代表作だと言えるでしょう(そういえば、僕はフランス留学中に大江の『ヒロシマ・ノート』について語る知識人に何度か出会いました)。
そして、ある時期以降の大江健三郎のすべての作品群の中心に位置すると言える、もっとも重要な主題を忘れるわけにはいきません。それは頭部に障害を持って生まれた長男光(ひかり)さんとの共生という主題です。たとえば、長男誕生の翌年の1964年に発表された『個人的な体験』は、頭部に問題を抱えて生まれた赤ん坊のわが子の死を望む「鳥(バード)」という名前を持つ主人公の物語です。かりに「鳥」の言動には明らかに作家その人を思わせるところがないのだとしても、そこに自伝的な色調を、障害を抱えて生まれた子どもにどのように向き合えばよいのか(あるいは、そのような事実から逃げたい)という若い父親の偽りのない切実な心の葛藤や揺れを感じずに、この作品を読むことはできないでしょう。
これ以降、作家自身とその「家族」が登場人物として登場するという書き方が、現時点では最新作である『晩年様式集(イン・レイト・スタイル)』(2013年)に至るまで、大江文学を特徴づけることになります。ほとんどすべての長篇作品において、大江健三郎自身をモデルとする語り手が、「K」とか「長江古義人(ちょうこうこぎと)」と名づけられて登場し、作家の妻のゆかりさんや息子の光さん、そして愛媛に暮らす妹をモデルにした人物たちはそれぞれ、「オユーサン」(あるいは「千樫(ちかし)」)、「ヒカリさん」(あるいは「アカリさん」)、「アサさん」という名前で登場することになるでしょう。
同じことが、作品に登場する場所についても言えます。大江健三郎の小説を読むとは、人物たちとともにある特定の二つの場所のあいだを行き来することでもある、と読者は気づいているはずです。その二つの場所とは、大江健三郎自身が家族と暮らす東京の住宅地と、大江の生まれ故郷をモデルとする「四国の森の谷間」です。
三十代の前半から七十代の後半におよぶ長い歳月のあいだ、ほとんどすべての小説作品が、それぞれに忘れがたい、ときに死や暴力を伴う大きな出来事に揺さぶられながら、まったく同じ何人かの人物たちを軸にして、決まって二つの土地を舞台にして粘り強く書き継がれてきたという事実──しかもそのつど新しい驚きと喜びを読者に与えてきたという事実には、驚嘆を覚えずにはいられません。
とはいえ、この事実は大江健三郎が、みずからの作家としての根本的なあり方を決定づけたとする三つの重要な出来事・主題を考えれば、よりよく理解できます。
(1)敗戦による超国家主義からの解放感と結びついた四国の谷間での幼少期。
(2)ヒロシマの被爆者たちとの出会い。
(3)障害を持って生まれた長男光さんとの共生。
もうお気づきのように、(1)と(3)の二つの主題は、いわば両輪となって大江健三郎の長篇作品のほとんどを駆動させてきました。
もちろん、これら三つの主題の表出の仕方や重点の置き方は、作品によって変わってきます。そして多くの場合、作品ごとに新しい主題が付け加わることで、「いつもと同じ構造を持っていながら、まったく新しい」という手触りを読者にもたらす作品が生み出されていくのです。
いくつかの主題を共有し、同じ場所で同じ人物がたびたび登場する──となれば、個々の小説間につながりが生じても不思議ではありません。たとえば、ある作品が前の作品と連作になっているとか、以前の作品の内容が、次の作品に影響を与えるとか……。実は、自己引用とか自己批評も、大江文学に顕著な手法なのです。晩年になればなるほど、当然ながら言及できる自作の数も増えているので、この自己引用や自己批評の綾はより複雑になっていきます。作家の現実生活と小説という虚構が分かちがたく絡まりあうように、虚構同士もまた分かちがたく絡まりあうのです。
■『NHK100分de名著 大江健三郎 燃えあがる緑の木』より

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大江健三郎 『燃えあがる緑の木』 2019年9月 (NHK100分de名著)
『大江健三郎 『燃えあがる緑の木』 2019年9月 (NHK100分de名著)』
小野 正嗣
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