SF作家・小松左京を育んだ子ども時代の体験

SF界で「ブルドーザー」にも喩(たと)えられた小松左京の旺盛な知力が、いかにしてSFという表現のかたちに出会ったのか。まずは彼の少年時代を追ってみましょう。案内人は、評論家の宮崎哲弥(みやざき・てつや)さんです。

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小松左京は、1931(昭和6)年1月、大阪市西区の京町堀(西船場)に生まれています。本名は小松実。 五男一女の二男でした。
父親は千葉県館山の網元の家に生まれましたが、明治薬学専門学校(現明治薬科大学)に学ぶうち、東京人形町で漢方薬を商う老舗の娘と知り合います。小松左京の母親です。婚約して父が一足先に大阪に行った直後の1923(大正12)年9月1日、まだ東京にいた母は関東大震災に遭います。
小松は子供の頃、母からその被災の体験談を聞かされて育ったそうで、彼の天変地異のイメージの起源はここにあるのかもしれません。また千葉の網元だった父の実家も大震災で大きな被害を受けたといいます。小松は「『日本沈没』を書いたり、地震や地球物理学に関心を持つのは、こうした少年期の体験とも無関係ではないように思う」(『SF魂』)と述懐しています。
父親は大阪で電気機械の商売に転じ、のちに阪神間で町工場を営み、家もそちらに引っ越しました。典型的な戦前の都市近郊の中流家庭の像が目に浮かびます。
生まれた年が満州事変、小学校に上がった年に日中戦争、その5年生で「大東亜戦争」が始まり、中学3年生のときに敗戦を迎える。彼の少年期は日本近代における最大の激動期でした。
しかし小松は、自分が生長した時分は軍国主義一色に塗り潰された暗黒時代に思えるかもしれないが、「むしろ大衆文化が花盛りの時期で、映画、演劇、寄席、ラジオ、雑誌……といったメディアを通じて、芸能、音楽から小説、漫画までさまざまな文化に触れていた」(『SF魂』)と振り返っています。
NHK大阪放送局の「子ども放送局」でDJ役をやらされたり、ラジオドラマにも出演。こうした体験は、長じてからの放送メディアでの活躍の起程(きてい)となっているかもしれません。
また、4つ年上の兄が買ってもらっていた『少年倶楽部』『子供の科学』を、小松も3、4歳の頃から一緒に読んでいたそうです。これらの雑誌で海野十三(うんの・じゅうざ)や山中峯太郎、江戸川乱歩の科学小説や探偵小説、さらには田河水泡の『のらくろ』などのマンガに出会いました。
やがて、太平洋戦争が開戦し、入学先の兵庫県立神戸一中では、空襲と軍事教練に明け暮れる日々を過ごします。学徒動員では潜水艦工場で働いています。この時分に注目すべきことは、小松が戦時体制への反感、延(ひ)いては戦争そのものへの懐疑を募らせていったことです。『やぶれかぶれ青春記』(1969年)でこの時期のことを述べる小松の語り口には、軍事教練の教官や担任の教官による
理不尽な暴力、罵倒に対する怒りが露出しています。
もう一つの注目すべきエピソードは、中学2年生の時、図書委員を務め、図書館に揃っていた新潮社の『世界文学全集』を繙(ひもと)いたことでしょう。なかんずく影響を及ぼし、後に「私の文学観を決めた」とまでいわしめたのが、全集第1巻に収められていたダンテ・アリギエーリの長編叙事詩『神曲』でした。ローマの詩人、ウェルギリウスによって導かれ、地獄、煉獄を経巡り、べアトリーチェの案内で天界に昇り、やがて至高天(エンピレオ)に達し、神を直観するという物語は、小松の宇宙構造探究系SFのストーリー展開のモデルとして影響を及ぼします。
そして終戦。当時、小松は14歳。「青春はまだくすぶり、焦げた臭(にお)いを放つ焼け跡から始まった」との感懐を『小松左京自伝』(以下『自伝』)に記しています。けれども勤労動員で工場に行く必要はないし空襲はないが、学校もない。食べ物も金もないが、教師に殴られることはない。「心身に染みついていた恐怖感が薄紙をはぐようにゆっくり消えていった」。だが「解放感も喜びもすぐにはわいてこず、気だるい虚脱感だけが残った」(『自伝』)。
この「気だるさ」「虚脱感」は、どこまでも続く焼け跡の上に雲一つない青空が広がっているようなイメージに象徴されます。この感覚はやがてアプレゲール(戦後派)特有のニヒリズムに通じていきます。ここは、同じく敗戦直後の混乱の最中(さなか)に多感な少年期を過ごし、焼け跡や闇市を体験した『火垂るの墓』の野坂昭如(あきゆき)と共通しています。しかし、苛酷な体験を野坂のように小説にそのまま反映させ、生かしていくのか、小松のように経験から得たものを抽象化し、普遍化して表出するかで、作品の性質が異なっていきます。
■『NHK100分de名著 小松左京スペシャル』より

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