戦後SFとは何だったのか——小松左京を通じて

2019年7月の『100分de名著』は、「小松左京スペシャル」と題し、日本SFの巨匠、小松左京の作品を、評論家の宮崎哲弥さんと読み解いていきます。まず「SF」とは何か、というところから始めましょう。

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小松左京という名前を聞いて、多くの人々の脳裡に浮かぶのはまず『日本沈没』『復活の日』ではないでしょうか。日本と世界とが未曾有の災厄に見舞われ、滅亡の淵に追い遣られてしまう二つの物語は衝撃性、規模の巨大さ、リアリティで読者を圧倒しました。
前者は上下巻合わせて460万部にも及ぶ大ベストセラーとなり、三度映像化され、少なくともタイトルを知らない者はいないというほど広く知れわたったのです。
未知のウイルスのパンデミックによる人類と多くの脊椎動物の死滅を描いた『復活の日』は、似たアイディアに基づくバイオ・パニックものの古典、マイケル・クライトンの『アンドロメダ病原体』に5年先んじる1964年に出版されました。しかしクライトンの小説は、強い緊張感を孕(はら)みながらサスペンスフルに展開していく傑作ではあるものの、作品の規模、文明論的な深度などからみて『復活の日』を超える作品ではありませんでした。
『復活の日』は小松作品としてはごく初期のものであり、同年発表の『日本アパッチ族』とともに、小松SFの豊饒な世界がここに始まる、といっても過言ではありません。
日本SFの流れに多少なりとも詳しい人であれば、小松が星新一や筒井康隆と並んで「SF御三家」と呼ばれ、戦後のSF界の基礎を築き、その可能性を大きく押し広げる偉業を成し遂げた人物であることをご存じでしょう。
『日本沈没』については番組第2回で詳しく考察しますが、その構想のスケールの大きさ、道具立てのリアルさ、そして物語の背景にある問題意識の深さは、発刊から45年以上を経た今日でも少しも古色を帯びていません。
『日本沈没』は戦後SF最大のベストセラーになりました。高度経済成長に陰りがみえはじめた時代状況に後押しされたという要素も無視できませんが、何といってもこれが単なる「近未来小説」とは違って、SFの強みが遺憾なく発揮された作品であったがために、多くの読者を得たといえるでしょう。
そもそもSFとは何でしょうか。この問いに対しては、単純に「サイエンス・フィクション、即(すなわ)ち空想科学小説」などという通り1遍の訳語を示すだけではすまない「定義し難(がた)さ」について語らねばなりません。
仮にSFのSが「サイエンス」の略だとしても、この「サイエンス」とは一意に自然科学を指すのでしょうか。世の通念ではそうかもしれません。しかし多くのSFの書き手、熱心な読み手はこの「定義」におそらく満足しないでしょう。そこで「サイエンス」を「合理的に体系化された諸学」、即ち近代以降の自然科学、社会科学、人文(科)学の総体を示すと解釈し、SFとはその総体を主題とする小説である、と看做(みな)すならば、かなり満足水準に近づくかもしれません。
けれどもまだ十全には遠い。それではまだ、SFの根源的な批判性や自在性を表し尽くせていないように思えるからです。あえていえばSFは、その組織化され、テリトリー化された学知の根拠、「合理性」や「体系性」に批判的です。あるいはそれらを支える「近代性」や「知性それ自体」をも批判的に捉え、相対化できるのです。今日のSFが「トランスサイエンス」の領野、つまり「サイエンス」が未だ答えを出せない問題域に入っているといわれるのはこうした理由からです。
あるいはまた、「サイエンス」を体系化された諸学と捉え、SFはそれらを横断しながら進んでいく「物語」であるとしても、その対象に人文(科)学が含まれていることから、SFは哲学や宗教、もっといえば人間の実存の問題(「私は『在(あ)る』のか」「私は何故(なにゆえ)にここにこうして在るのか」「私を在らしめているのは何か」「私達は何を求め、いずかたに行くのか」等)をも問うことができるといえます。抽象的にも、具象的にも。いやむしろ、その抽象と具体を架橋する「物語」として提示できる。第1回では、その例証として『地には平和を』を挙げ、小松が自身の戦時や敗戦直後の生々しい体験を、物語を通じて、いかに普遍的、抽象的な問題に変換してみせたかを確かめます。
さらには他の「サイエンス」、例えば科学技術や経済構造と個の実存問題との関連や無関連を「物語」の形式で描き出すことができる。この類稀(たぐいまれ)な自在性こそがSFの真骨頂といえます。
小松左京はSFの自由さに当初から気付いていました。1963年に書かれた、宣言的文書『拝啓イワン・エフレーモフ様─『社会主義的SF論』に対する反論─』には当時としては非常に先鋭的なSF観が盛り込まれています。ソビエト連邦の作家による硬直的な社会主義的SF観に対する論駁(ろんばく)のかたちを取りながら、これは、その後のSFの進程(しんてい)を予見するものです。と同時にこの論考にはその後の、つまり64年に本格的に開幕する小松左京のSFの設計思想(デザイン・フィロソフィー)が惜しげなく明かされており、その作品世界の格好の見取り図となっているのです。この実作家の手になる非常に重要な評論文は折に触れて紹介していきます。
宇宙の構造と人間型知性のあり様(よう)、そして個の存在の意味を繋(つな)ぐ「物語」としてのSF。これは小松SFのメインストリームである、いわば「宇宙構造探究系」の作品に共通する根源的なテーマです(この系列にある作品『ゴルディアスの結び目』『虚無回廊』については第3回、第4回で紹介します)。
※続きはテキストでお楽しみください。
■『NHK100分de名著 小松左京スペシャル』より

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小松左京スペシャル 2019年7月 (NHK100分de名著)
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