息、生きること

「未来」選者の大辻 隆弘(おおつじ・たかひろ)さんの講座「私が出会った現代短歌」。2019年5月号の題は「息」です。
※大辻 隆弘さんの「辻」の字は、正しくは1点しんにょうです。

* * *

今月の題は「息」です。すこし難しかったかもしれません。
吐息、ため息、寝息、鼻息……。息にはさまざまな種類があります。それらはみな人間の身体と深く結び付いています。したがって「息」という言葉が入ると、たとえば次の歌のように、どこか生々しくなまめかしい雰囲気を伴うことになります。
 
ゆうぐれはあなたの息が水に彫るちいさな耳がたちまちきえる

加藤治郎『ハレアカラ』


あなた、というのは作者の恋人なのでしょう。向かい合って座っている恋人がストローでコップの水にフーッと息を吹きかける。すると、その表面が息によって小さくくぼむ。そのくぼみが耳のように見えた。そんな情景が思い浮かびます。
その耳は、石に彫琢されているかのように確かな形で作者の脳裏に焼き付く。「彫る」という動詞によってそんな硬質な映像が立ちあがります。が、それも束の間、その耳は、息がやむとすぐに消えてしまうのです。まるで恋人同士の危うい、刹那的な関係を象徴するかのように。
息を吸ったり吐いたりするのは動物だけです。したがって次の歌のように、「息」という言葉が無生物に使われると、その無生物はまるで生物であるかのような様相を呈します。
とほどほに息づくごとき星みえてうるほふ夜の窓をとざしぬ

佐藤佐太郎『立房』


昭和21年秋の歌です。秋の夜空に、ちりばめられたような星が輝く。星たちはまるで息をしているかのように、かすかな明滅を繰り返している。この歌の上の句「息づくごとき」という比喩はそのような状態を表しているのでしょう。本来、星は無生物であり、その光は無機質なものです。が、この歌では、そんな命無きものが遠く息づいている。そこが実に新鮮です。
そればかりではありません。佐太郎は下の句でも、夜の窓ガラスに「うるほふ」という動詞を使っています。しっとりとした肉感的な雰囲気がそこに立ちあがります。一日の終わりに星や窓ガラスに温もりを感じる。安息や充溢感を感じながら、佐太郎は窓を閉ざし眠りに就くのです。
■『NHK短歌』2019年5月号より

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