アウレリウスの言葉から受け取る「諦めない勇気」

第16代ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスが『自省録』の中で綴った言葉は、時空を超えて現代に生きる人々の心に響きます。哲学者の岸見一郎(きしみ・いちろう)さんはその理由の一つについて、「等身大の自分を重ねて読むことができるところにあるように思う」と語っています。

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若くして次期皇帝の指名を受け、哲学者になる道を断たれたマルクス・アウレリウス。しかも、帝国の舵取りには幾多の困難が待ち受けていました。辺境民族の侵入、家臣の裏切り。共同統治帝のルキウス・ウェルスは不甲斐なく、妻や子どもたちに先立たれるという不幸にも見舞われています。日々の激務をまっとうする上で、それは不安材料になっていたのではないかと想像します。
帝位に就くという、望まざる運命。我が身に降りかかる苦難の数々──。普通なら「自分には無理」「なぜ私が」と煩悶するところでしょう。
お前自身には成し遂げ難いことがあるとしても、それが人間に不可能なことだと考えてはならない。むしろ、人間にとって可能でふさわしいことであれば、お前にも成し遂げることができると考えよ。

 (六・一九)



これは誰でも成し遂げることができるというような意味ではなく、避けることができないこと、例えば、親を亡くすとか、病気や老いに直面した時、そのことは耐え難い苦しいことであっても、自分だけが初めて経験することではなく、先人が乗り越えてきたことであるならばお前にもできないことはないといっているのです。
これは無邪気な楽観論ではありません。困難に思えることでも、たとえそれが実際に困難なことであったとしても、それを経験するのは自分が初めてというわけではないのだから、勇気をもって歩を進めよ、と叱咤しているのです。
もちろん、このような人生の一大事でなくても、入学試験や国家試験などを目前に控え、不安と緊張で押しつぶされそうになっている学生たちに、私は試験は確かに難しいけれども、多くの人が関門を突破してきたのだから、自分だけが無理と思って挑戦する前から逃げなくてもいいという話をすることがあります。精神一到何事か成らざらんといってみても、試験ですから落ちる時は落ちます。しかし、たとえそのようなことになったとしても、その苦しみから多くの人が立ち直ったということを知っていれば、絶望しなくてもすみます。
失敗した時のことを考え、結果を出すことを恐れて、取り組む前からさまざまな理由を持ち出して挑戦しないよりは、挑戦せよ。その結果を受け、また必要があれば再挑戦せよ。アウレリウスの言葉からこのような意味を読み取ることもできるでしょう。
※続きはテキストをご覧ください。
※文中で引用する『自省録』の言葉は岸見一郎さんによる訳です。
■『NHK100分de名著 マルクス・アウレリウス 自省録』より

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