「それまで一線で踏ん張っていられるか」 羽生善治九段の言葉の真意

撮影:河井邦彦
平成の将棋界はどのように動いてきたのか。平成の将棋界をどうやって戦ってきたのか。勝負の記憶は棋士の数だけ刻み込まれてきた。2019年4月からの新連載「平成の勝負師たち」。第1回は、平成元年に竜王位に就いた羽生善治九段。

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■羽生九段

平成の終わりに、羽生善治がタイトルを全て失った。
元年に19歳で竜王の頂に駆け上がったのが初タイトル。翌年11月に谷川浩司の挑戦を退けることができずに無冠になったが、3年3月に棋王の座に就き、以来平成30年まで27年間という長きに渡って常に複数のタイトルを手にしていた希代の棋士の身に起きた大きな出来事だ。しかも、最終局までもつれ込んだ竜王の防衛に成功していれば、タイトル獲得通算100期という空前であり絶後かもしれない大きな区切りにたどり着いていたところだっただけに、その落差はあまりにも大きかった。
この取材が行われたのは竜王戦最終局の5日後。前日に「羽生九段」の肩書となることが日本将棋連盟から発表され、「九段」としたためた色紙の揮毫(きごう)もすでに経験したという。羽生善治の棋士としてのルーツとも言える八王子将棋クラブが41年の歴史に幕を下ろした日とも時期が重なり、羽生は予告せずに思い出の地を訪れて少年少女たちの指導対局を買って出て、八木下征男席主に謝意を表した。九段の色紙はこのときに書いたものだろう。
そんな微妙なタイミングでのインタビューだけに、口が極端に重くなることがあったとしてもしかたがないと勝手に構えていたわけだが、それは文字どおりの杞憂(きゆう)。気持ちを見事なほどに前向きに切り換えた羽生が、柔らかい表情で目の前に現れ、「お久しぶりです」と会釈をしてくれた。
「佐藤康光会長から前竜王と九段の2つを提示され、私は九段を選びました。少し前から、無冠になったときは九段を名乗るつもりで決めていたんです。初めて竜王戦に挑戦したときが六段でしたから、七段、八段とした揮毫は存在しませんし、九段羽生善治と書いたときは、ちょっと新鮮な気持ちにもなりました」と、少年時代と少しも変わらないキラキラした瞳。絶対王者から挑戦者にモードが替わったのが伝わる。

■言葉の真意

藤井聡太の最年少四段昇段にコメントを求められた折、「将来、檜(ひのき)舞台で対戦できることを楽しみにしております」と述べたことに対して、「それは実現すると思いますか」と藤井の地元、中日新聞の記者が羽生にたたみかけたときの返事がファンの間に波紋を呼んだ。羽生は「藤井さんがどうこうよりも、自分がそれまで一線で踏ん張っていられるかということのほうが重要です」と語ったからだ。この発言当時の羽生は、王位、王座、棋聖の三冠を保持していたわけで、藤井の急激な台頭とあまりにも対照的に見える弱気なコメントと受け取られたからだ。その点を改めて質(ただ)すと、クスッと笑みを返したあと、こちらの胸のつかえがストンと落ちる答えをくれた。
※後半はテキストに掲載しています。
■『NHK将棋講座』2019年4月号より

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