地位や肩書きは人としての価値を表すものではない

名君として知られる第16代ローマ皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌス。哲学者として生きる道を志しながらも、望まぬ皇帝の地位を与えられたアウレリウスは、帝国の舵取りを1人で担い始めた頃から、思索や自戒の言葉を書き留めていました。この私的な手記をまとめたものが、今も世界中で読み継がれる『自省録』です。哲学者の岸見一郎(きしみ・いちろう)さんが、『自省録』から浮かび上がるアウレリウスの人物像を読み解きます。

* * *

アウレリウスは、プラトンが理想とした哲人政治を具現した賢帝といわれます。アウレリウス自身も「哲学者が統治するか、統治者が哲学をするかなら国家は栄える」と語っていたと伝える歴史書もあります(『ヒストリア・アウグスタ』所収、ユリウス・カピトリヌス『哲学者マルクス・アントニヌスの生涯』)。
著書の中でプラトンの対話篇から何度も引用しているアウレリウスが、プラトンの国家論を知らなかったわけはありません。プラトンは政治に失望し、哲学に向かったというのではなく、むしろ、政治と哲学をどのように一本化できるかを考えました。
そして、国家の正義も個人の正義もすべて、真の意味での哲学からこそ見て取ることができると考えるようになり、政治的権力と哲学的精神が一体化しなければ、国家にも人類にも不幸の止むことはないという哲人王の思想に結実していきます。
プラトンの国家を望むな。わずかでも前進すれば十分だと考えよ。そして、その成果を僅かなものと考えよ。

(九・二九)



哲人政治を遠い目標とし、「成果を急ぐな」と自分を戒めているのか、とても無理だと考えて「足もとの一歩に専心せよ」と説いているのか。この一文からはわかりませんが、そもそも彼の中に〝哲人〟になることを望む気持ちはあっても、〝政治家〟になることを目指していたわけではなかったでしょう。皇帝として宮廷で生きることを、どれほど憂慮していたかがわかるのが次の文です。
早朝に自分に向かっていえ。私は今日もお節介で恩知らずの傲慢な欺瞞的な嫉み深い非社交的な人間に出会うだろう。

(二・一)



彼らは互いに軽蔑し合いながら互いにへつらい合う。そして、相手に優越しようと欲しながら互いに譲り合う。

(一一・一四)



そんな人々の中で持ち上げられ、自分を見失ってはいけないと、彼は自分に繰り返し言い聞かせています。
皇帝化させられてしまわないように、染められないように注意せよ。それは現に起こることだから。
(六・三〇)
皇位にあっても、皇帝化されてはいけない。皇衣の紫に染まり、追従(ついしょう)に溺れて、自分と地位とを同一視するようなことがないようにと諫(いさ)めているのは、ともすると人間は──彼自身も含めて──勘違いしがちだということを自覚していたからでしょう。昇進し、肩書きが付くと自分が偉くなったような気がするのか、急に居丈高になる人もいます。逆に肩書きを失うとがっくり肩を落とす人もいます。地位・肩書きは、人としての価値を表すものではないことを、アウレリウスの言葉は端的に教えてくれます。
※続きはテキストをご覧ください。
※文中で引用する『自省録』の言葉は岸見一郎さんによる訳です。
■『NHK100分de名著 マルクス・アウレリウス 自省録』より

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マルクス・アウレリウス『自省録』 2019年4月 (100分 de 名著)
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