否定の表現が生み出す効果

否定の表現は冷たい拒絶を感じさせる時もあれば、感情をより豊かに表現することもあります。「塔」選者の栗木京子(くりき・きょうこ)さんが、石川啄木の一首を引いて解説します。

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否定の表現というのは不思議です。「できない」「そうじゃないでしょ」などと言われると冷たい拒絶を感じてしまうのですが、同じ否定でも「忘れない」「涙をとめられなかった」などと言われると「覚えている」「涙がずっと流れていた」と言われるよりも重みが伝わってきます。肯定の言い方は単調になりがちな面がありますが、否定を用いることで特別な感じが強調されるからかもしれません。
しらべの上でも「〇〇ない」「〇〇ず」「〇〇ぬ」といった否定の表現の語尾は、どちらかと言えば硬いひびきをもつのですが、この硬さが逆に語感を引き締めてくっきりとした印象を与えることがあります。
たはむれに母(はは)を背負(せお)ひて/そのあまり軽(かろ)きに泣(な)きて/三歩(さんぽ)あゆまず

石川啄木(いしかわ・たくぼく)『一握の砂』


明治四十一年六月、二十二歳のときの歌です。前年の五月に郷里の岩手県から北海道の函館(はこだて)に渡った啄木は、やがて母や妻子を呼び寄せます。尋常小学校の代用教員を務めるかたわら、新聞社の遊軍記者にもなりますが、八月の函館大火によって勤務先の小学校も新聞社も焼失。職を失ってしまいます。その後、札幌(さっぽろ)や小樽(おたる)などの新聞社に勤めますが長続きせず、翌年四月には単身で上京することになりました。小説家として身を立てたかった啄木ですが、出版社などに売り込みをするものの、ことごとく失敗。失意の中から、小説に代わって短歌が次々に湧き上がってきました。掲出歌もそのうちの一首です。
実際には、このとき啄木は東京にいて母はまだ函館で暮らしていたわけですから、同居していたときの記憶に基づいた歌なのかもしれません。冗談半分に母を背負ってみたら、あまりに軽いので驚いたのです。母に苦労をかけているのだなあ、という悔いが心を締め付(つ)けたことでしょう。結句「三歩あゆまず」に、涙があふれて歩けなかった様子が臨場感をもって描かれています。「あゆまず」の否定のあとに、しみじみと広がってくる悲しみが感じられます。
■『NHK短歌』2018年11月号より

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