身体の感覚を歌に詠む

「かばん」会員の東 直子(ひがし・なおこ)さんは、短歌作品に実感を与えるには五感を取り入れると効果的だとアドバイスします。例を挙げて解説していただきました。

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短歌作品に実感を与えるために、身体の感覚である五感(視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚)を取り入れると効果的です。身体そのものを詠むと、自ずとそれらの感覚に敏感になります。さらに感覚を研ぎ澄ませることによって、独自の発見を得ることもあると思います。
からだじゅうが人魚姫のようだと弟は食卓に言う昼起き抜けに

花山周子(はなやま・しゅうこ)『風とマルス』


この「弟」は、昼まで寝ていてやっと起き上がったのでしょう。長く眠ったあとのぼうっとした感覚を、独創的に表現しています。「人魚姫」は童話の世界の人なので、実際には誰もその感覚を知っているはずはないのですが、海の中で暮らしていたのに魔法で人間になり陸地に上がったことの負荷を想像して、このようにつぶやいたのでしょう。夢うつつの意識で自分の身体を支え、重力を感じながら一歩一歩踏み出しているような図が浮かびます。よろよろ動いている様子はユーモラスですが、「人魚姫」の悲運の物語と重ね合わせると、はかなさや切なさもじわじわと伝わります。初句の「からだじゅうが」というひらがな表記は、寝起きのおぼつかない身体感覚によく似合っています。
舌先は感情だから取り出してそれからしまう赤い舌先

山崎聡子(やまざき・さとこ)『手のひらの花火』


私たちは毎日、いろいろな会話を交わしています。口をついて出る言葉は、舌を巧みに使って発声されます。感情的になっている時は、頭で深く考える余裕もなく、舌が勝手に動いて言葉を発してしまうかのようです。心の中に秘めているはずだった本音のようなものを、つい言葉にしてしまうこともあります。その怖さを「舌先は感情だから」と表現しているのでしょう。そしてその舌を「取り出してそれからしまう」行為は、照れかくしや、「あっかんべー」のような拒否反応としてなされます。「赤い舌先」は熱い感情の象徴のようです。この言葉を最後に置くことによって、読後に「赤い舌先」が、残像のように記憶に刻まれます。
■『NHK短歌』2018年10月号より

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