生きがいとは何か

1957年、精神科医の神谷美恵子は社会から隔離された国立ハンセン病療養所で精神医学的調査を行い、同じ条件下にいても生きる意味を見失って悩んでいる人と、生きる喜びにあふれている人を目にしました。その違いは何か、人間の生きる意味はどこにあるのか——そうした問いに対し、患者の生きる姿や、古今東西の書物や、みずからの思索を通じて、さまざまな角度から考察し、『生きがいについて』を書き上げたのです。批評家・随筆家の若松英輔(わかまつ・えいすけ)さんが、「生きがい」という言葉について解説します。

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「生きがい」という言葉は、今日ではすでに、なじみ深いものになっています。言葉としてはけっして新しいものではないのですが、この一語は、神谷美恵子が『生きがいについて』を刊行後、特異な思想的な意味を持つようになりました。生きる張り合いを意味するだけでなく、生きる意味そのもの、生の根源にふれようとする営みを指すようになったのです。
『生きがいについて』の刊行は、1966(昭和41)年です。すでに半世紀を経て読まれ続けており、新しい古典、「新古典」と呼ぶにふさわしいものになっています。この本は、次の一節から始まります。
平穏無事なくらしにめぐまれている者にとっては思い浮かべることさえむつかしいかも知れないが、世のなかには、毎朝目がさめるとその目ざめるということがおそろしくてたまらないひとがあちこちにいる。ああ今日もまた一日を生きて行かなければならないのだという考えに打ちのめされ、起き出す力も出て来ないひとたちである。耐えがたい苦しみや悲しみ、身の切られるような孤独とさびしさ、はてしもない虚無と倦怠。そうしたもののなかで、どうして生きて行かなければならないのだろうか、なんのために、と彼らはいくたびも自問せずにいられない。
生きがいを失った人々は「あちこちにいる」けれど、見えない存在である、と神谷は書いています。ここでいう「見えない」には、二重の意味があります。私たちの目に入らないという意味、そして、目には入っても、その人々が「生きがい」を失っている現実が理解されづらい、という意味です。
いろいろな環境で疎外された人々のことを、「サバルタン」と言います。差別の問題もそうですし、たとえば、日本では働きながら大きな病を患っている人たちもサバルタンになってしまっているのが現状です。「生きがい」とは何かを考えていくことは、「生きがい」を失った人の実状を考えること、世の中で人知れず苦しんでいるサバルタンと出会っていくことにほかなりません。
「生きがい」を失っている人々は、先の一節にあったように「苦しみ」、「悲しみ」、「孤独」、「さびしさ」、「虚無」、「倦怠」といった多様な感情にのみ込まれます。これらの感情に個別に対応することも可能ですが、神谷は、苦しみや悲しみを別々のものではなく、一つの大きなものと捉えていました。
悲しみをどう癒すかを考えるのではなく、悲しみはどこから来るのかを神谷は考えます。どのように苦しんでいるかを考えるだけでなく、苦しまなくてはならないその根本の理由を探ろうとするのです。そこに神谷が見出したのが「生きがい」でした。それは人間のなかにある、人生、あるいは、いのちへの情愛といってもよいかもしれません。
■『NHK100分de名著 神谷美恵子 生きがいについて』より

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神谷美恵子『生きがいについて』 2018年5月 (100分 de 名著)
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