思想として『法華経』を読む
仏教思想研究家の植木雅俊(うえき・まさとし)さんは、お経は現代語に訳し、もっと広く知られるべきだとの考えから、『法華経』のサンスクリット原典を8年かけて和訳し、『梵漢和対照・現代語訳 法華経』(上下巻、2008年、岩波書店)を上梓しました。
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以前、明治学院大学で日本文化論の授業を担当していた先生が急病で倒れ、ピンチヒッターを頼まれたことがありました。主に留学生向けの授業だったため、『法華経』と『維摩経(ゆいまきょう)』の一部を英訳して朗読し、解説するという授業を行ったのですが、英訳したことで経典に書かれている内容を理解したのでしょう。授業が終わって日本人の学生が近づいてきて言うのです。「仏教っておもしろいんですね」と。「何だと思っていたの?」と聞くと、「葬式のおまじないかと思っていました」。「違います。仏教の経典は文学であり、詩であり、思想だから、おもしろいですよ」と私が言うと、その学生は感心していました。
その時私は、仏教に関しては日本人はかわいそうな国民だな、と思ったのです。インドではお経の内容はみんな理解できました。釈尊はマガダ語で教えを説きましたが、弟子たちがサンスクリットに訳して広めた方がよいかと問うと、釈尊は「その必要はない。その地域で語られているめいめいの言葉で語りなさい」と言っていたからです。中国ではそれが漢訳されました。中国語になったわけですから、たとえ字が読めなくても読んで聞かせてもらえばみんな理解できたことでしょう。ところが日本では、お経は漢訳の音読みという形で広まりました。ですからほとんどの人にとって意味は分からない。六世紀の仏教伝来以来、私たちはその内容を知らずに千五百年ほどを過ごしてきたわけで、これは本当にもったいないことです。お経は現代語訳してもっとみんなに知られるべきだ。私はそう考えました。
『法華経』は「諸経(しょきょう)の王」と言われます。これは、『法華経』が「皆成仏道(かいじょうぶつどう)」(皆〈みな〉、仏道を成〈じょう〉ず)、つまりあらゆる人の成仏を説いていたからです。誰をも差別しないその平等な人間観は、インド、ならびにアジア諸国で古くから評価されてきました。
日本でも仏教伝来以来、『法華経』は重視されてきました。飛鳥時代、奈良時代を見ても、聖徳太子は『法華経』の注釈書『法華経義疏(ぎしょ)』(615年)を著し、741年に創建された国分尼寺(こくぶにじ)では『法華経』が講じられました。尼寺ですから、女人成仏が説かれた経典として注目されたのでしょう。鎌倉時代に入っても、道元が『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の中で最も多く引用している経典は『法華経』ですし、日蓮は、『法華経』独自の菩薩である「地涌(じゆ)の菩薩」「常不軽(じょうふきょう)菩薩」をわが身に引き当て、「法華経の行者」として『法華経』を熱心に読みました。
『法華経』はまた、文学や芸術にも影響を与えています。『源氏物語』には、八巻から成る『法華経』を朝夕一巻ずつ四日間でレクチャーする「法華八講」の法要が光源氏や藤壺、紫の上などの主催で行なわれる場面が出てきます。『法華経』の教えを分かりやすく説いた説話集や、『法華経』の考え方を根拠にした歌論、俳論も多く書かれていますし、近代では宮沢賢治が『法華経』に傾倒していたことはよく知られています。美術の分野でも、長谷川等伯(とうはく)、狩野永徳(かのう・えいとく)などの狩野派の絵師たち、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)、俵屋宗達(たわらやそうたつ)、尾形光琳(おがた・こうりん)など、安土桃山時代から江戸時代の錚々(そうそう)たる芸術家たちが法華宗を信仰していました。
『法華経』には、一見すると非常に大げさな、現代人の感覚ではなかなかつかみがたい巨大なスケールの話が次から次へと出てきます。しかし、その一つひとつにはすべて意味があります。私は『法華経』をサンスクリット原典から翻訳する中で、その巧みな場面設定に込められた意味、サンスクリット独特の掛詞(かけことば)で表現された意味の多重性、そして、そこに貫かれた平等思想を改めて発見することができました。今回は、そうした表現が持つ意味を解説しながら、あらゆる人が成仏できると説いた『法華経』の思想を読み解いていくことにしましょう。
■『NHK100分de名著 法華経』より
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以前、明治学院大学で日本文化論の授業を担当していた先生が急病で倒れ、ピンチヒッターを頼まれたことがありました。主に留学生向けの授業だったため、『法華経』と『維摩経(ゆいまきょう)』の一部を英訳して朗読し、解説するという授業を行ったのですが、英訳したことで経典に書かれている内容を理解したのでしょう。授業が終わって日本人の学生が近づいてきて言うのです。「仏教っておもしろいんですね」と。「何だと思っていたの?」と聞くと、「葬式のおまじないかと思っていました」。「違います。仏教の経典は文学であり、詩であり、思想だから、おもしろいですよ」と私が言うと、その学生は感心していました。
その時私は、仏教に関しては日本人はかわいそうな国民だな、と思ったのです。インドではお経の内容はみんな理解できました。釈尊はマガダ語で教えを説きましたが、弟子たちがサンスクリットに訳して広めた方がよいかと問うと、釈尊は「その必要はない。その地域で語られているめいめいの言葉で語りなさい」と言っていたからです。中国ではそれが漢訳されました。中国語になったわけですから、たとえ字が読めなくても読んで聞かせてもらえばみんな理解できたことでしょう。ところが日本では、お経は漢訳の音読みという形で広まりました。ですからほとんどの人にとって意味は分からない。六世紀の仏教伝来以来、私たちはその内容を知らずに千五百年ほどを過ごしてきたわけで、これは本当にもったいないことです。お経は現代語訳してもっとみんなに知られるべきだ。私はそう考えました。
『法華経』は「諸経(しょきょう)の王」と言われます。これは、『法華経』が「皆成仏道(かいじょうぶつどう)」(皆〈みな〉、仏道を成〈じょう〉ず)、つまりあらゆる人の成仏を説いていたからです。誰をも差別しないその平等な人間観は、インド、ならびにアジア諸国で古くから評価されてきました。
日本でも仏教伝来以来、『法華経』は重視されてきました。飛鳥時代、奈良時代を見ても、聖徳太子は『法華経』の注釈書『法華経義疏(ぎしょ)』(615年)を著し、741年に創建された国分尼寺(こくぶにじ)では『法華経』が講じられました。尼寺ですから、女人成仏が説かれた経典として注目されたのでしょう。鎌倉時代に入っても、道元が『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の中で最も多く引用している経典は『法華経』ですし、日蓮は、『法華経』独自の菩薩である「地涌(じゆ)の菩薩」「常不軽(じょうふきょう)菩薩」をわが身に引き当て、「法華経の行者」として『法華経』を熱心に読みました。
『法華経』はまた、文学や芸術にも影響を与えています。『源氏物語』には、八巻から成る『法華経』を朝夕一巻ずつ四日間でレクチャーする「法華八講」の法要が光源氏や藤壺、紫の上などの主催で行なわれる場面が出てきます。『法華経』の教えを分かりやすく説いた説話集や、『法華経』の考え方を根拠にした歌論、俳論も多く書かれていますし、近代では宮沢賢治が『法華経』に傾倒していたことはよく知られています。美術の分野でも、長谷川等伯(とうはく)、狩野永徳(かのう・えいとく)などの狩野派の絵師たち、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)、俵屋宗達(たわらやそうたつ)、尾形光琳(おがた・こうりん)など、安土桃山時代から江戸時代の錚々(そうそう)たる芸術家たちが法華宗を信仰していました。
『法華経』には、一見すると非常に大げさな、現代人の感覚ではなかなかつかみがたい巨大なスケールの話が次から次へと出てきます。しかし、その一つひとつにはすべて意味があります。私は『法華経』をサンスクリット原典から翻訳する中で、その巧みな場面設定に込められた意味、サンスクリット独特の掛詞(かけことば)で表現された意味の多重性、そして、そこに貫かれた平等思想を改めて発見することができました。今回は、そうした表現が持つ意味を解説しながら、あらゆる人が成仏できると説いた『法華経』の思想を読み解いていくことにしましょう。
■『NHK100分de名著 法華経』より
- 『法華経 2018年4月 (100分 de 名著)』
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