真っ白な詩篇が雪のように舞った先の ハン・ガン『すべての、白いものたちの』
- 『すべての、白いものたちの』
- ハン・ガン,斎藤真理子
- 河出書房新社
- 2,200円(税込)
- >> Amazon.co.jp
- >> HonyaClub.com
- >> HMV&BOOKS
ニュースやSNSを見ているとどうして近くの隣国を貶めるような、差別的な発言をする人がこんなにもいるのだろうと首をかしげることが多々ある。例えば嫌韓とプロフィールに書いている人のヘッダーや画像には、一定の共通項が感じられる。
「私」というものに自信や誇りが持てなくなった時に、自分を託すものや根本として支えてくれるものが国家や民族になってしまうのは、揺らがないと思っていたものがどんどん崩れ落ちてしまった結果だろう。そういう人の多くは、かつて日本が経済大国だったという過去の栄光に囚われたままで、この現実を見れていないのだ、とも思う。
もし、国家が消滅したりしたらどうするのだろう? 自分たちが移民にならないなんてどうして思えるのだろう。
自分ではない他者についての想像力がなければ、自分と他者の尊厳を守ることなんかできないはずなのに、そんな当たり前のことがなんだか抜け落ちてしまっている。
と思う反面、グローバリズムとインターネットが生まれた時に当たり前にあった若い世代は、近いアジアの国、韓国や中国や台湾などに国境という境界線がないようにフラットにその国々のカルチャーを受容し交流して、楽しんでいる姿も見受けられる。ゼロ年代には、どこか海外のカルチャーを閉ざすような内籠りのようにガラパゴス化していた部分があったのがまるで嘘みたいに思える。
近年では、華文(中国語)ミステリーである陳浩基著『13・67』が本読みの間でも評価が高く、大きな話題になった。また、日本語で読める韓国小説のレーベルも「新しい韓国の文学」や「韓国文学のオクリモノ」といったものも出てきて、同じアジアの文学作品が読みやすい環境が少しずつ整いだしている。
今回は「新しい韓国の文学」シリーズの第一作目になった『菜食主義者』の著者ハン・ガンの新たな代表作と言われる、『すべての、白いものたちの』(斎藤真理子訳)について。ちなみにハン・ガンは『菜食主義者』で2016年には世界でも権威のある文学賞の一つであるブッカー賞を受賞している。
ハン・ガンの最新刊『すべての、白いものたちの』はタイトルにもあるように「白」から連想されるものたち、チョゴリ、白菜、産着、骨などといったワードと共に掌編のような文章が連なっていくものになっている。それぞれが1、2ページほどの文量で構成されている。また、紙も何十ページか毎に違う色合いになっていて、時折挿入される写真も、装丁の写真のようになにも言わないのにとても雄弁である。
人間が生まれて死んでいくまでに感じていく、経験していく、伝わっていく、「白さ」をまるで詩のような文章で構成している。
生まれたての子供に着せる産着、亡くなった時に着せる壽衣の白さ。
自分よりも前に生まれて死んでいった者への想い、異国の地で見上げた空から降ってくる雪、その「白さ」に包まれた生者の日々について綴られている。
詩篇のように綴られた言葉たちが、まるで紙片のようになって雪と同化して大地に降り注ぐように、ゆっくりと舞いながら落ちてくる速度、その確かさがこの作品にはある。
手のひらに落ちた雪がすぐに溶けて透明な水滴になってしまうような速さで、この小説に書かれた言葉たちも読み手の中に入ってくる。
あるいは、ふうっと息を吐けばひらひらと舞うかのような、ふわふわの真っ白な綿菓子が水にあっという間に溶けるように、一気に読み終えてしまう。しかし、溶けて形の変わった「白さ」だけは読み手の中にとどまり続ける。そして、その「白さ」には人肌のような体温があり、同時に無機質な冷たさもある。
そう、私たちの一生にある「白さ」をもっと身近に感じられる小説になっている。
『すべての、白いものたちの』は韓国小説を読みたいという人だけではなく、今世界に蔓延している窮屈さや、無限に増殖し考えることを放棄させようとする情報量の前で、気持ちを砕かれているような人に届いてほしい。
私たちのいつも側にある「白さ」がもっと世界を豊かなものへ、そして自分ではない誰かにもっと寄り添えるような優しさを与えてくれるはずだから。
きっとこの小説に書かれた言葉たちがそっと背中を押してくれる。
文/碇本学(Twitter : @mamaview)