明太子ひとつ買うのにタクシーを!? つい覗きたくなる素敵な"2人暮らし"

大家さんと僕
『大家さんと僕』
矢部 太郎
新潮社
1,100円(税込)
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 1階に大家さんが住み、借家人が2階のひと部屋を借りて住む。こうした賃貸物件は昭和の時代にはよくあったものの、今ではずいぶんと少なくなってしまったことと思います。近隣とのつきあいをあまり望むことのない都心部などでは特に。

 そんな現代において、大都会・東京でこの間借りスタイルの部屋に住むこととなった"僕"が、1階に住む大家さんと過ごす日々を描いたエッセイ漫画が『大家さんと僕』です。著者はお笑いコンビ「カラテカ」の矢部太郎さん。

 漫画は矢部さんが住んでいたマンションをテレビ番組のロケで使われ、引っ越しせざるを得なくなったところから始まります。不動産屋に紹介されたのは、新宿区のはずれにある木造二階建ての一軒家の2階部分。こうして矢部さんは、そこにひとりで暮らす一風変わった大家のおばあさんとひとつ屋根の下で暮らすこととなります。

 なんといっても、この大家のおばあさんのキャラクターがとても素敵。東京生まれ東京育ちで88歳だという彼女は上品な物腰で、挨拶は「ごきげんよう」。新宿の伊勢丹デパートまで明太子ひとつを買うためにタクシーで行くなど、たいへん優雅な方です。しかし年齢を重ねてきただけあり、その言葉には含蓄があり、けれどユーモアや茶目っ気を忘れない......。

 矢部さんは大家さんと暮らしはじめて8年になるそうですが、当初はその独特な距離感に戸惑ったことが本には描かれています。夜に帰宅して部屋の電気をつけるとその瞬間に「おかえりなさい」と携帯に電話がかかってきたり、雨が降った後には洗濯物がかってに部屋に取り込まれていたり......。けれど、毎月家賃を手渡しする際に彼女の部屋にあがってお茶を飲み、話をするうちにどんどんと親しくなっていきます。

 ふたりの心が通い合い、関係を深めていく様子をとても丁寧に、真摯なまなざしで描く矢部さん。漫画を描くのは初めてだそうですが、絵のタッチ、間のとり方、話の見せ方などその上手さはデビュー作とは思えないほど。そこにはこれまでお笑い芸人としてつちかったセンスや、絵本作家のお父さんから受け継いだ才能、そして何より矢部さんの謙虚な中にもキラリと光る観察眼が関係しているのかもしれません。

 心があたたまるほのぼのとするエピソードが多い中、ときには大笑いしてしまうようなくだりも。大家さんに庭の草むしりをお願いされ、その手伝いとして訪れたのはギャル男の後輩芸人・野口くん。野口くんはおばあさんと初対面にもかかわらず、「ちーす のちゃーんて呼んでください!」とチャラいあいさつをし、「サンクス! エックス!」とギャグをかまします。もう矢部さんはヒヤヒヤ。

 しかし、こののちゃんの仕事ぶりは実に丁寧。最後にはすっかり大家さんと打ち解け、野口くんの頭を叩いてツッコミを入れた矢部さんに大家さんは「なんだか今日の矢部さん 暴力的ね」「のちゃんさん、またいつでも来てね」と言うのです。偏見を持たず誰とでも別け隔てなく接する大家さんのおおらかな人柄、野口くんに大家さんを取られたように感じてちょっとしたライバル心を抱く矢部さんなど、それぞれの心情やキャラクターが手に取るようにわかり、笑ってしまうやらほのぼのさせられるやら......。

 血のつながった家族ではないし、恋人同士でもない、同年代の友人とも少し違う。それでも気が合い、話が合い、互いになくてはならない存在となった"大家さんと僕"。このふたりの関係はまさに奇跡。読んだ人は誰しも、このふたりの関係がずっと続いてほしいと思わざるをえないに違いありません。

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