東日本大震災を伝えた新聞「河北新報」、記者たちは怒り、苦しみ、感動していた

河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙
『河北新報のいちばん長い日 震災下の地元紙』
河北新報社
文藝春秋
1,440円(税込)
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 まもなく、発生から1年となる東日本大震災。2011年3月11日のあの時、本社のサーバーが倒れ、多くの販売店員が津波の犠牲になり、支局は流出するなど、地域ブロック紙である「河北新報」も大きな被害を受けていました。

 通信網や販売網、ライフラインも失った同紙でしたが、それでも「被災者に寄り添う」の言葉を胸に、新聞作りに没頭。そんな河北新報の全記録をまとめたのが、書籍『河北新報のいちばん長い日』です。そこには、現場記者の葛藤や編集方針をめぐる対立、新聞を届けられない無念の気持ちなど、困難だった新聞作りの現場が記されています。

 なかでも震災1か月後に行なったアンケートでは、記者の率直な意見が集まったといいます。このアンケートでは、この未曾有の大災害のなかで、記者がどう考えて、どう動いたのかを知る貴重な資料となりました。

 「避難所を取材するうち、気力が薄れていくような空虚感を抱きました。私も会社という避難所暮らしのため、苦しさの一端が分かります。初日より、取材を重ねた後の日々の方が、つらさや痛みが募りました。(略)震災後は、ふとしたはずみで涙が出ることがたびたびあり、感情の制御がうまくできないと思う場面もありました。(略)心のどこかにぽっかり穴があいたような、力がうまく入らない感じも時々しています。少しずつ回復していくしかないと思います」

  取材は、震災当日よりも日にちを追うごとにつらさや痛みが募る。目を背けたくなるほどの惨状に、同じような声は多かったようです。

 「四月末、仙台市の中心部で読者という方から『(現在は中面に入っている)テレビ欄を元に戻してほしい。震災のニュースばかりでもう飽きた』と言われました。被災地と言われる仙台でさえ、復旧の進んだ中心部では、本当の津波被災地にいる方々との温度差がこれだけ生まれているということに愕然としました。温度差を埋めたいと思いますが、読者への押しつけになってしまう恐れもあるのかと思い、迷います」

 当時、「立場による温度差」は非常に難しい問題だったようです。それは編集局で記事を受け紙面をつくっているデスク以上の幹部と、現場で被災者と接している記者との間でも生まれた温度差でした。意図的に明るい話題や復興に向けた話題を徐々に展開させようとする編集局の下、まだまだ被害が現在進行形の現場で、記者はどのように被災者と向き合えばいいのか、頭を悩ませたのです。

 「『新聞が世の中の人々に必要とされている』と、入社以来、最も強く感じた。避難所へ新聞を持って行くと、こぞって新聞を受け取りに来た。避難所で、小さい女の子が新聞を一生懸命読んでいた」

 新聞が必要とされていると強く感じ、新聞というメディアで働くことの意味を再発見したという声もありました。

 「東日本大震災」報道で11年度の新聞協会賞を受賞した河北新報。限られた環境の中で、現場に足を運び、被災者の言葉に耳を傾けることで紡ぎ出された記事は、被災者でなくとも、突き刺さるものがあったのではないでしょうか。その反面、記事を担当した記者たちは怒り、苦しみ、感動していたという事実があります。記者たちの息づかいが聞こえてきそうなリアルな言葉に触れ、3.11を今一度考えてみるのも良いかもしれません。

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