平安時代の終末思想、「末法」の恐怖とは

平安の人々が危機感を募らせた末法(まっぽう)が永承7年(1052)に到来。死後への不安から、天皇や貴族も仏教に帰依し、極楽往生を願った。その翌年に建立されたのが、平等院鳳凰堂だった。この末法思想について、日本美術を主な領域とするライター、エディターの橋本麻里 (はしもと・まり)さんに聞いた。

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桓武(かんむ)天皇が平らかに安らかにという願いを込めて平安京を造営してから、平氏が滅亡し、源頼朝(みなもとのよりとも)が守護・地頭を設置する(1185年)までの約400年。「泰平」の江戸時代ですら250年なのだから、後付けの時代区分とはいえ、天皇をいただく貴族たちの時代は長い分だけ、複雑な軌跡を描いた。そしてその道筋は必ずしも「平安」ではなかったのである。
東北での大地震や津波、富士山の噴火、京都を襲った群発地震、天然痘など疫病の流行、そして干ばつや飢饉(ききん)、戦乱。逃れられない現世の災厄、そして死後への不安から、天皇から貴族までが深く仏教に帰依し、救いを願った、まさに「不安の時代」なのだ。
この時代を席巻したある種の「終末思想」が、末法の到来だった。20世紀末に「ノストラダムスの予言」が信憑性をもってささやかれたように、釈迦(しゃか)の死から1000年を正法(しょうぼう)、続く1000年を像法(ぞうほう)と呼び、以後は仏の教えのみあって修行する者も悟りを得る者もいない、暗黒時代=末法に至るとする「末法思想」が広まっていた。天災ばかりでなく、奈良では興福寺の僧兵が東大寺を襲い、京都では延暦寺と園城寺の争いが熾烈(しれつ)を極め──と、人々を導くはずの寺僧の横暴は、仏法の衰えをまざまざと感じさせたはずだ。
この苦しみ多い六道輪廻(りくどうりんね)の世界を離れ、阿弥陀如来(あみだにょらい)のおわす浄土へ生まれ変わることができるようにという願いに応えたのが、阿弥陀の浄土を観想(かんそう/視覚的に思い描くこと)することで往生できるとする、浄土教だった。浄土の教えを説く経典自体は、6世紀の仏教伝来とともに日本へ伝わっているが、平安時代中期に比叡山横川(ひえいざんよかわ)の僧・源信(げんしん)が『往生要集(おうじょうようしゅう)』、いわば極楽浄土のガイドブックを著したことから、浄土教が大きな隆盛を見せるのである。
■『NHK趣味どきっ! 国宝に会いに行く 橋本麻里と旅する日本美術ガイド アンコール放送』より

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