井山裕太との対局で繰り出した一か八かの一手

撮影:小松士郎
「自分の中では大きな一勝でした」と今回の一局を振り返る高尾紳路名人。中でも印象深い一手について、そして井山裕太七冠の牙城を崩してなお前を向き続ける闘志を、柔らかく謙虚な語り口で話してくださいました。
(本文中の肩書・段位は2017年7月16日の放送時のものです)

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■借りを返すチャンス

今回は、棋聖戦挑戦者決定戦で、井山裕太さんと対局したときの一手を選びました。
棋聖戦は、私の師匠である藤沢秀行先生が、第1期から6期まで連覇され、藤沢秀行と言えば名誉棋聖というイメージが定着しています。大勢の方、ファンの皆さんからも「ぜひ、高尾君も師匠に続いて棋聖を取ってくれ」というふうに声をかけていただいていて、僕にとって特別な思いがある棋戦です。
当時の棋聖リーグはAとBに分かれており、それぞれの優勝者が挑戦者決定戦を打つシステムでした。井山さんとは前の年も決定戦で当たっており、僕が優勢だったのですが結局逆転負けとなりまして、非常に悔しかった。ですからこの年は、そのときの無念さをぶつけよう、借りを返すチャンスだという思いもありました。
井山さんの碁は、小さいころから見ていて、12歳くらいのときから「あぁ、全然違う。別格の人が出てきたな」という印象を受けていました。16歳で初めてタイトルを取られたときも、僕も当時はタイトルを持っていたのですが、「16歳にして、僕より強いな」と感じていました。
井山さんとは、この対局の前まで、2勝15敗と非常に大きく負け越してもいました。対戦成績はふだんはあまり気にしないのですけれども、これだけ負けが込むと、やはり多少苦手意識のようなものはありましたね。
ただ、1年前と比べて、この年僕は絶好調と言えるほどよい状態でしたので、「今年は違うんだ」という思いがありました。何より、棋聖戦の挑戦者になった経験は一度もなかったので、「ぜひ、挑戦者になりたい」と非常に燃えて対局に臨んだ記憶があります。
こちらが局面図で、白72と三々に入り、井山さんが黒73とトンだところです。

ここまで左辺で大きな戦いがあり、その結果、白64まで、やや打ちやすいかなという気がしていました。でも、「無難に打っていたら、また結局負かされてしまう」というような思いも抱いていました。
右上は非常に複雑な戦いで、すべて読み切れるような局面ではありません。いつもの自分なら、確信の持てない難しい手は選ばないところです。しかも、相手は井山さんですから、どんな手が飛んでくるか分かりません。
でも、勝負どころだと思いました。井山さん相手にこんな複雑な手を打っていいのかな、とも思いましたが「ここで踏み込まないと、井山さんには勝てないんだ」と思い直し、「えい!」と次の手を選択しました。
少しさかのぼり、白72で1図の白1のブツカリなら普通の手です。ただ、黒2とされ、それから白3と三々に入っても黒4と応じられ、隅の白がそのまま取られてしまいそうな気がしました。そこで、様子を聞くタイミングかと思い、2図の (白72)と三々に入りました。黒1とオサえてくれれば、白2、黒3とし、のちに白aとコスむ手が残ります。

それなら白十分の形勢だと思っていました。ところが、それでも黒73と頑張ってこられたのです。
続いて3図の白aは黒bで1図に戻り、隅の黒地が大きくなります。白1と動き出すことも考えられますが、黒4のあとを自分の力では読み切ることができませんでしたので、違う手でいこうと思いました。

一工夫が必要なところです。次の手は読んでたどりついたというより、考えているうちにひらめいたと言ったほうが正しいかもしれません。それが、4図の白74のツケです。
「いい手になるんじゃないか」という予感はあったのですが、これまでの経験では、そのような「可能性」に頼ったときは、悪い手になることが多いのですね。
このときもすべて読み切れていたわけではなく、その意味では勇気のいる、一か八かの一手だったと思います。

実戦は5図の黒75と普通にオサえてきました。それなら、白76のハサミツケが次の狙いでした。

ここで、6図の黒1のノビですと白2と出て、黒一子を飲み込んで隅で大きく生きることができます。

そこで5図の黒77のツギはしかたがないのですが、白も78といい形でオサえることができました。
続いて黒79とツケてきましたが、白も80とツケまして、以降は白88の取りまでで一段落です。
白は大きく生きることができましたので、この時点で優位に立てたと思いました。
ところがこの碁はその後、井山さんに追い込まれまして大熱戦になりました。最後のほうで半目勝ちが見えたときは、本当にうれしかったですね。

■今度こそ棋聖位を目指して

今回の一手は、僕が予感していた以上の結果につながりました。改めて振り返っても、井山さん相手に、よくあの確信のない手を選択できたなという思いはありますね。
また、こういう大きな対局で井山さんに勝てて、それまでの苦手意識のようなものがすべて吹き飛びました。ただ、タイトル戦は当時の張栩棋聖に3勝4敗で負かされ、翌年もまた決定戦で井山さんと当たったのですが最後は半目負け。悔しい思い出を加えました。
とはいえ、この対局をきっかけに、井山さんとの対戦成績の差が少しだけ縮まり、自分の中では大きな1勝だったと思っています。井山さんは、どんな対応策を立てても勝てる相手ではないのですけれども、僕もプロ棋士の一人なので、「負けてもともと」と素直に負けるわけにはいきません。実力が足りない中でも、いかに勝ちに結び付けるかということはいつも考えています。今回の一手のように、攻めの気持ちで臨みたいと思います。そして、やはりもう一度棋聖戦の舞台に立ちたいですね。今度こそタイトルを目指して、頑張っていきたいと思っています。
※この記事は2017年7月16日に放送された「シリーズ一手を語る 高尾紳路名人」を再構成したものです。
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