『維摩経』の成り立ち

大乗仏教の経典の一つ、『維摩経』。如来寺住職・相愛大学教授の釈徹宗(しゃく・てっしゅう)さんが、その成り立ちを解説します。

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『維摩経』が作られたのは紀元1〜2世紀頃で、大乗仏教経典では初期経典の部類に属します。日本に伝わったのは飛鳥時代。聖徳太子の編著とされる日本最古書であり仏典注釈書である『三経義疏(さんぎょうぎしょ)』の中に、『法華経(ほけきょう)』『勝鬘経(しょうまんきょう)』とともに『維摩経』が取り上げられています。ちなみに数ある仏教経典の中から、聖徳太子がこの三つの経典を取り上げたところに注目したいと思います。というのも、『維摩経』と『勝鬘経』は在家仏教者が主役の経典であり、『法華経』は僧俗・貴賤・男女・善悪の差別なく救われる道が説かれているからです。
今から20年ほど前までは、『維摩経』にはチベット語訳と漢訳しか現存しないと考えられていましたが、1999年にチベットのポタラ宮で大正大学の調査プロジェクトチームによってサンスクリット語の経典(8世紀の写本)が新たに発見されて大きな話題となりました。それぞれの内容には若干の違いが見られるのですが、この番組とテキストでは、日本で最も読まれている鳩摩羅什(くまらじゅう)による漢訳『維摩詰所説経(ゆいまきつしょせつきょう)』(上・中・下巻の全三巻、十四章)を基本として解説いたします。
『維摩経』の最大の特徴は、釈迦の弟子や菩薩が主役ではなく、在家者である維摩という人物を通して教えが説かれている点にあります。さらに仏教思想が淡々と綴られているのではなく、文学性に富んだドラマ仕立ての構成になっているのもこの経典の特徴であり、大きな魅力ともなっています。
それでは、第一章の「仏国品(ぶっこくぼん)」から順に読んでいくことにしましょう。
ガンジス川中流域の北岸にある商業都市・毘耶離(びやり/サンスクリット語ではヴァイシャーリー)の林の中で、八千人の弟子、仏道を極めた三万二千人の菩薩たち、数万の神々を前に、釈迦が説法を行う壮大な場面から物語は幕を開けます。毘耶離の街に住む宝積(ほうしゃく)という若者が釈迦を讃える歌を唄った後、説法がスタートし、ここからしばらくは仏教の基礎というべき考え方が釈迦の口から語られます。
まずは「仏の国とはどのようなものなのでしょうか。どうすれば仏の国を実現できるのでしょうか」という宝積の問いかけに対して、釈迦は次のように答えます。
「じつは菩薩(悟りを求めて仏道を歩む者、つまりここに集まった人々)にとっては、この生きとし生けるものが網の目のようにかかわり合っているこの世界こそが仏の国なのです。より良く生きようとする姿勢こそが仏の国を実現し、仏の導きに従って生きようとすることがこの世界を仏の国にするのです。
なぜなら、菩薩たちは他の人々を救いたいと願っているからです。ここにいるみんなは、これから悟りを開いて仏となる道を歩んでいくことでしょう。そしてみんなが仏となる、すなわち仏の国がうち立てられるということです。しかし、仏の国は社会の人々とまったく関係のないところに成立するのではありません。世俗とともにあるのです。そのことをよく理解しておかねばなりません」
この部分を読んだだけでも、『維摩経』がいかに社会性や他者性を重視しているかがわかります。続けて釈迦は「六波羅蜜(ろっぱらみつ)」の大切さについて語ります。六波羅蜜とは大乗仏教が定めた修行法のことで、「布施(施しをすること)」「持戒(じかい/戒めを守ること)」「忍辱(にんにく/よく耐え忍ぶこと)」「精進(しょうじん/よく努め励むこと)」「禅定(ぜんじょう/心静かに瞑想すること)」「智慧(ちえ/ものごとの実相を体得すること)」の六つがこれにあたります。
言葉だけを見ると、たいしたことを言っていないように感じられるかもしれませんが、それぞれの言葉には仏教ならではの深い意味が込められています。たとえば「布施」と聞くと、法事や葬儀の際にお坊さんに支払う謝礼のようなものをイメージするかもしれませんが、ここでいう布施とは、「自分の持っているものを手放す」ことを意味します。「持戒」も、ただかたくなにルールを守って生きるという単純なことではありません。自分への「執着を捨てて」、相手のことを思いやりながら、ゆずりあって生きるというのが持戒の意味です。つまり六波羅蜜には「自分の都合を小さくするための智慧」が結集されていると考えればよいでしょう。そうした執着を捨てるトレーニングを日々積み重ねていくことで、自分の都合はどんどん小さくなっていくと、ここで釈迦は説いています。
■『NHK100分de名著 維摩経』より

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