「三顧の礼」正史と演義の違い

フィクション『三国志演義』のハイライトのひとつに、劉備が徐庶の助言に従い、諸葛亮の草廬を三度訪れて自陣営への加入を請う「三顧の礼」があります。『演義』で徐庶はこの提言とともに劉備のもとを去り劉備みずから諸葛亮を訪ねますが、正史『三国志』では徐庶は劉備の陣営に留まっています。この違いによって、「三顧の礼」は大きくその意味が変わってきます。早稲田大学 文学学術院 教授の渡邉義浩(わたなべ・よしひろ)さんが解説します。

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『三国志演義』での「三顧の礼」は劉備の賢人を求める切実な心に基づく、麗しい美談としての趣がありました。しかし、正史が描く「三顧の礼」は次のようなものです。
このとき先主(劉備)は新野に駐屯していた。徐庶が先主にお目通りをすると、先主はこれを高く評価した。(徐庶は)先主に、「諸葛孔明という者は臥龍です。将軍は彼に会うことを願われますか」と言った。先主は、「君が一緒につれてきてくれ」と答えた。徐庶は、「この人は(こちらから)行けば会えますが、連れてくることはできません。将軍が礼を尽くして自ら訪れるのがよろしいでしょう」と言った。これにより先主は諸葛亮を訪れ、およそ三たび行って、ようやく会えた。

(『三国志』諸葛亮伝)



劉備は諸葛亮の存在を知ると、徐庶に彼を連れてくるよう希望します。しかし、徐庶は劉備自身が諸葛亮を訪ねるよう促すのです。この関係性において、劉備が諸葛亮を三回訪問して、二回も不在にするということは通常ありえません。つまりこれは、宣伝を意図したパフォーマンスの可能性が高いのです。劉備にとっては、名の通った諸葛亮に最上級の丁重な礼をとることで、名士層の新たな参加を促すことができます。一方諸葛亮にとっては、劉備陣営の中で発言権を確保できるというメリットがありました。
こうして諸葛亮を迎えた劉備は、非常に親密な関係を結びました。これまで家族同然だった関羽・張飛は当然面白くありません。その不満に対し劉備は「孤の孔明有るは、猶(な)ほ魚の水有るが如きなり。願はくは諸君復(ま)た言ふこと勿(な)かれ(私に諸葛亮が必要なのは、あたかも魚に水が必要なもの。お願いだから諸君は文句を言わないでほしい)」と返し、関羽・張飛もこれを受け入れました。ここに、劉備集団は、諸葛亮を中心に置く体制を整えたのです。
諸葛亮の参画により、劉備は三つの利点を得ました。
一つ目は、「天下三分」という大きなグランドデザインを手にしたことです。その最終目標である漢の復興を、劉備集団は大義としました。これにより何のために、どのように戦うのかが、明確になったのです。
二つ目に、諸葛亮の名声、人脈により、荊州の名士の参画が期待できるようになったことです。組織が政治体として定着し機能するには、官僚としての能力を備えた知識人たちの存在が欠かせません。
そして三つ目が、外交能力の向上です。名士たちは「雅言」と呼ばれる洛陽周辺の言葉、知識人間の共通語を使用できました。外交の現場ではラテン語の素養がないと恥ずかしい思いをするわけですが、同様の状況が当時の中国にもあったわけです。そして諸葛亮の外交能力は、さっそく孫権との同盟で発揮されました。
こうして劉備は、諸葛亮の参画により曹操の南下という窮地を乗り越え、荊州南部に念願の拠点を確保します。諸葛亮の八面六臂の活躍により、劉備陣営の国力、軍事力は飛躍的に増大し、やがて益州への進出が可能となる土台が準備されるのです。
■『NHK100分de名著 陳寿 三国志』より

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