石田秀芳二十四世本因坊、「へぼ」に見せかけたコスミの妙手

撮影:小松士郎
22歳で最年少本因坊となり、5連覇の偉業を達成された石田秀芳(いしだ・しゅうほう)二十四世本因坊の登場です。昨年は紫綬褒章を受章されました。「時がたつのは早い」と振り返りながら、思い出深い一手を語ってくださいました。

* * *


■3年連続の対戦

昭和48年の本因坊戦第3局から今回の一手を選びました。お相手は、林海峰(名誉天元)さんです。私はこの2年前に本因坊を林さんから取り、次の年、この年と3回続けて林さんと七番勝負を打ったのですね。時代背景的には、林さんが坂田栄男先生を負かしたことで、若手に活気が出てきたと言いますか、私たち木谷門が「自分たちもやれるんじゃないか」という思いで、林さんに挑戦していったんですね。林さんといえば、有名な異名が「二枚腰」——柔軟で土俵を割らない。実際に対局すると、棋譜で見ていた印象とは大きく違うことが分かりました。読みの深さとか柔軟性というのは、棋譜だけでは分かりにくいのですね。本因坊戦で挑戦したときは、林さんの腰の重さは十分に感じていましたから、「持久戦」を意識しました。若いときは力を優先させることが多かったのですが、「林さんの得意とするところでもし勝てたら、大きな星になる」と思ったのですね。そして、運よく勝つことができました。
当時、私は木谷實先生のところで内弟子生活をしていました。18歳で四段くらいが独立のめどだったのですが、先生の耳に入ってくる先輩たちの評判があまりよろしくなかったようで(笑)、私はなかなかお許しが出なかった。今考えると、それだけ長く置いていただけたのはよかった。でも、当時は早く出たくて(笑)、「本因坊になれたのだから、独立を許されるだろう」と楽しみにしていたのですね。ところが、先生に応接室に呼ばれまして「来年、防衛したら独立を許そう」と言われた。すごいプレッシャーでした(笑)。何とか防衛でき、独立し、この年の防衛戦を迎えました。独立して遊んでいるから負けたんだと思われたくなかったですから、頑張らなくちゃという思いがありましたね。
1局目、2局目と私が連勝しており、この碁は林さんにしては珍しく、少し仕掛け気味でした。逆にカウンターを狙う私からすると、うまく対処すればこちらのペースになるかと思っていました。それが、局面図です。

「コンピューター」というのは、たぶん、山部敏郎先生が命名されたのですが、私は石の流れとか気合いという部分は割り切っていて、それが人間的ではないという感じを言われたのだと思います。逆にその名前を付けていただいてから、目算をちゃんとしなくちゃ、と思うようになって(笑)。この局面でも、形にこだわらないという自分の一つのとりえから、いわゆる愚形と言われるコスミを、自分なりにひねり出したのですね。
局面図までを少し振り返ると、下辺の黒模様を白がうまく消すことができました。このままでは黒は形勢がよくないので、下辺の白が治まり切らないうちに、右辺のコウを仕掛けてきた、という状況です。
局面図に続いて、普通に考えれば、1図の白1と押し上げるのですが、黒2から4とコウの価値を大きくされ、黒6のコウダテから8と連打されると、下辺が丸ごと取られてしまう。これは、白はたまりません。
 そこで、私は、2図の白72とコスみました。「へぼコスミ」のように見えますが、自分としては、なかなかいい手が打てたというか、見つけることができたと思いました。
 続いて、3図が実戦です。黒75がコウダテにならない、というところがミソなのですね。もし、コウダテになるなら、黒は4図の黒1から3と運びます。ところが、黒5と連打しても、下辺の白を取れません。白12に続いて取りにいくなら黒aですが、b、c、dの断点があり、外側の黒がもたないのです。


実戦の黒は、3図の黒79をコウダテにし、黒81とちぎって、中だけ頂こうという打ち方を選びました。
ただ、この進行ならば、1図のように上から取られるより、白にとってははるかに味が付いています。
5図が、その後の実戦進行です。白90まで、黒は左辺とは連絡できません。下辺の白を取ることはできましたが、攻め取りになっては、黒の戦果はさほどではないのですね。白は右辺の得が大きいので、ここではっきり白の勝勢になりました。2図白72は、形は悪いのですが、この局面では「勝着」になったわけです。これまで1700局ほど打ってきましたが、会心と呼べる一手はなかなかない。その中で、この手は思い出深いですね。

また、私にとっての後日談がありましてね。数年後に、私が棋聖戦の挑戦者になったとき、藤沢秀行棋聖(当時)が、「石田の碁はどんなもんだ」と、私の棋譜を調べられて、「このコスミはなかなかの妙手だ」とおっしゃってくださったらしいのです。私は人づてに聞いたのですが、「秀行先生はさすがだなぁ」と(笑)、うれしくなりましたね。

■最年長タイトル獲得を夢見て

このシリーズは私の4連勝となりました。林さんとは、この前に2連勝しており、このあとに名人戦で3連勝。タイトル戦で9連勝したのですね。そうしたら、そのあとに勝てなくなり、囲碁界史上初の「3連勝4連敗」の劇的な出来事をやってしまいまして(笑)。ですから、勝負というのは、流れが変わるとどうなるか分からないものですね。
その後、本因坊戦では5連覇して永世称号の資格を取ったのですが、名乗るのは60から。当時は26歳でしたから、それまで生きてきたよりも先の話でした。まだまだ先だと思っていたら、今や68歳になってしまいましたからね(笑)。時がたつのは早いですね。ただ、永世称号というのは、いつでも達成できそうなのですが、4連覇まではあっても5連覇がなかなか厳しい。私にとっては、非常に運がよかったのだと思いますね。
私の「最年少本因坊記録」というのはまだ残っているのですが、秀行先生が67歳で王座を取られたのもすばらしい。私はその年齢を過ぎて「有資格者」になりましたから(笑)、今度はそれを狙おうかなと、夢見ています。
※この記事は2017年2月19日に放送された「シリーズ一手を語る 石田秀芳二十四世本因坊」を再構成したものです。
取材/文・高見亮子
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