清酒発祥の地でよみがえる室町時代の酒

正暦寺の境内に建つ「日本清酒発祥之地」の石碑。撮影:平岡雅之
最盛期には86坊の塔頭(たっちゅう)が建つ、巨大寺院だった菩提山正暦寺(ぼだいさんしょうりゃくじ)。今は山深い静かなこの寺で、日本初の清酒が造られたと言われています。

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奈良市を南に向かうと、『日本書紀』の編者・舎人(とねり)親王の墓とも言われる帯解黄金塚(おびとけこがねづか)古墳が見えてきます。さらに山奥に進むと菩提山(ぼだいさん)の正暦寺に到着します。奈良市から車で25分ほどの立地にありながら山深い幽谷の印象を受けるところです。今は伽藍(がらん)の多くが失われ、国の重要文化財である福寿院からさらに100m登った石段の上に本堂と鐘楼などが残るのみで、寺は山に囲まれ静まり返っています。
古来より、菩提山は楓(かえで)の木が多く、秋、華やかに紅葉する様から「錦の里」と呼ばれ、観光スポットとして親しまれてきました。菩提山の川のせせらぎや虫の音に耳をかたむける人たちを、伸びやかな宗教空間に誘っています。
14世紀中頃、ここ菩提山で日本初の清酒が造られたと言われています。その名も「菩提泉(ぼだいせん)」。当時主流の白く濁った「どぶろく」とは異なり、ここ正暦寺では、現代の酒造技術の基本である「諸白(もろはく)」による「酒母(しゅぼ)」造りから、透明な酒=「清酒」を新たに生み出していたというのです。
それから時がたち、いつの間にかそのことは忘れられていましたが、近年、当時のお酒を復活させようというプロジェクトが結成されました。

■室町時代の酒の味を求めて

酒造りの歴史の中で、しばらく正暦寺の存在は忘れられていました。再び脚光を浴びることになったのは、平成8(1996)年に「奈良県菩提酛(ぼだいもと)による清酒製造研究会」が発足してから。菩提酛とは、酒母のことで、清酒のもととなる重要なものです。
研究会の目的は、酒造史における奈良の歴史や役割を見直し、奈良の酒造りの技術を次の世代に伝えることです。
その責任者に選ばれたのが、当時の奈良県工業技術センター統括主任研究員の山中信介さんでした。山中さんは、文献などをもとに奈良における清酒造りを調べ、室町時代に著された酒造記『御酒之(ごしゅの)日記』に出会いました。そこには、「菩提泉、白米一斗澄程可洗(白米一斗を水が澄むほどに洗いなさい)」から始まる、酒造りの手法が事細かに記されていたのです。
これらの記述をヒントに本格的に清酒の研究が始まりました。山中さんは当時のことを「奈良の酒造りには、歴史とストーリーがありますので、成功すると確信していました。ただ、酸味の強いとんでもない酒ができるなど、試行錯誤(さくご)が続きました」と懐かしそうに語ってくれました。地道な基礎研究は3年続きます。
この研究に加わったのが、元・奈良県工業技術センター主任研究員の松澤一幸(まつざわ・かずゆき)さん。酒母である菩提酛を造るためには乳酸菌が必要です。そこで松澤さんは、菌を求めて正暦寺境内や菩提山周辺を探しまわりました。そして、ついに平成10(1998)年に、乳酸菌を見つけることができました。松澤さんは、そのときの様子を「菩提山の湧水を仕込みの水に利用していて、そこに乳酸菌がいることに気づきました。原料に使う湧水から検出できたのは幸運でした」と、感慨無量の面持ちで語ってくれました。
この正暦寺の乳酸菌発見でプロジェクトは大きく前に進み、現在に至ります。
■『NHK趣味どきっ! 三都・門前ぐるめぐり』より

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