天才・宮沢賢治が持つ感性の不思議──「共感覚」とは何か

宮沢賢治の「鹿踊(ししおど)りのはじまり」は、生まれ育った岩手県のあたりで広く行われている郷土芸能「鹿踊り」からインスピレーションを得た作品です。「この童話もいかにも賢治らしい描写で物語が始まります」と、日本大学芸術学部の山下聖美さんは言います。冒頭の部分を読んでみましょう。
そのとき西のぎらぎらのちぢれた雲のあひだから、夕陽(ゆふひ)は赤くなゝめに苔(こけ)の野原に注ぎ、すすきはみんな白い火のやうにゆれて光りました。わたくしが疲れてそこに睡(ねむ)りますと、ざあざあ吹いてゐた風が、だんだん人のことばにきこえ、やがてそれは、いま北上(きたかみ)の山の方や、野原に行はれてゐた鹿踊(ししをど)りの、ほんたうの精神を語りました。
「風という自然の声をキャッチして、物語を紡(つむ)いでいく。このような創作方法は賢治独自のもの」と山下さんは解説します。彼の特異な感性は一体何なのでしょうか。

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風の音が言葉となって聞こえた、という「鹿踊りのはじまり」の語り手ですが、このような能力については完全な創作とは言えないところがあります。というのも、賢治自身、しばしばこうした現象を体験していたと考えられるからです。
チャイコフスキーの交響曲のレコードを聞いたとき、「私はモスコー音楽院の講師であります」という言葉をはっきり聞き取ったと賢治は言っています。また、ベートーベンの交響曲を聞いたときは、音が映像になり、「この大空からいちめんに降りそそぐ億千の光の征矢(そや)はどうだ、手に手に異様な獲物を振りかざした悪鬼が迫ってくる」と叫んだといいます。
音が言葉になり、映像にもなる。こうした賢治の特異な感性はいったい何なのか──。その謎を分析しようとこれまで、病理学や宗教、あるいはスピリチュアルな側面からなど、さまざまなアプローチがなされてきました。
その中に「共感覚」から宮沢賢治を考えるというアプローチがあります。外部からの刺激はその性質によって、色や形は眼、音は耳、匂いは鼻、味は舌、触感は皮膚というように、別々の器官を通じて認識されます。ところがごくまれに、一つの刺激に二つ以上の器官が反応し、感覚が混合してしまう性質をもつ人がいます。この感覚が共感覚です。幼少期、だいたい三歳くらいまでは誰もがもっていた感覚であるとも言われており、大人になっても維持する人は、芸術方面などにその感性を活かす場合が多々あるということです。
賢治の知人で医師の佐藤隆房は、「賢治さんは、優れた官能の鋭敏さと、稀(まれ)に見る官能間の融通性とをもっておりました。眼で見たものは耳から聴いたように、耳からきいたことは、目で見たように、自由に感じ得られる人でありました。ですから色を見ましては、感情となったり、形となったり、音楽となったりしますし、形を見ましては、色となったり、音となったりし、音を聞いては色とか形を思い浮かべ、それが叙情の詩となる人でありました」(佐藤隆房『宮沢賢治』)と述べています。
これは明らかに共感覚の感性です。今後さらに賢治研究が進めば、別のアプローチが出てくる可能性は大いにあります。しかし現時点では、この共感覚というものが、賢治の特異な感性を理解する手段としてかなり有効ではないかと私は考えています。
■『NHK100分de名著 宮沢賢治スペシャル』より

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