郷田真隆王将が影響を受けた3人の棋士

写真:河井邦彦
2015年、王将戦でタイトルホルダーに返り咲いた郷田真隆(ごうだ・まさたか)王将。翌年には念願のタイトル初防衛を果たした。修業時代に影響を受けた棋士は? それらの先輩について語った。
※記事は平成28年12月現在です。

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■受け継がれる伝統の血脈 影響を受けた3人の先輩

世代によって影響を受ける棋士は違ってきますが、私は3人の先輩を意識してきました。
目標にしてきたのは谷川先生(浩司九段)です。私よりも少し上の世代で、21歳での名人位獲得は強烈なインパクトがありました。谷川先生の将棋は細くて強引な攻めを突き通してしまうような印象があります。プロ全体の技術が上がった現在、細い攻めを続けるのが巧みな棋士も出てきました。ですが、当時は珍しく、まさに疾風のごとく、といった表現がピッタリの将棋だと思います。
修業時代から棋士になったときにかけて、私が最も棋譜を並べたのは中原先生(誠十六世名人)の将棋です。中原先生の自然流の指し手を勉強するのがいいと感じました。手の数々が体に染みつくまで棋譜を並べたものです。
中原先生の名手で▲5七銀(1979年4月・第37期名人戦第4局) という手があります。あの局面は将棋の歴史上で最もすばらしいと感じます。対局相手が米長先生(邦雄永世棋聖)だったからこそあの手が実現したとしか思えません。負けを悟った米長先生は、暗澹(あんたん)たる気持ちになられたことでしょう。両先生がお持ちになっているすべての要素が凝縮された局面のように思います。
米長先生にも奨励会時代から米長道場でお世話になりました。どんな的をも射抜いてしまうような圧倒的な終盤戦は迫力がありました。少しでも吸収したくて、奨励会時代は記録係を何度も務めました。米長先生は対局中に冗談を言ったり鼻歌を歌ったりすることはあっても、めったに席を外すことはなかったです。米長先生の盤上没我の集中力はとにかくすごかったです。私も米長先生を見習って、対局中は盤上から目をそらさず集中するようにしています。
米長先生の将棋をまねすることは難しいですが、自分の持っている将棋の気質は米長先生に近く、先生から学んだことは、私の血肉となって体の中に流れています。
私が今まで指した将棋で一つ局面を挙げるとしたら、王座戦で丸山さん(忠久九段)と対戦した一局(2013年5月17日)です。

1図から▲2二銀△同銀に▲2三歩が唯一の勝ち筋でした。単に▲2三歩は△同玉で詰めろがかけにくくなります。桂を渡すと△8六桂▲同歩に△7七歩成で自玉が詰まされる際どい状況でしたが、銀を捨ててから▲2三歩が、我ながら会心の手順でした。鮮やかに収束した将棋で、棋士人生で一番の寄せと言っていいものだと思っています。初見でこの寄せを発見できたのは大きな喜びでした。ですが、誰も褒めてくれず寂しかったので、ここで披露します(笑)。
■『NHK将棋講座』2017年2月号より

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