許嫁との別れと幼き日の出家──井伊直虎の心情に迫る

戦国時代の井伊家は、当時仕えていた今川家による男子の処刑、そして讒言や裏切りが相次ぎ、お家存続の危機に立たされます。そんな窮地を救ったのが、2017年のNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』の主人公、井伊直虎でした。激動の時代に身を置いた直虎の心情を、東京大学史料編纂所教授の本郷和人 (ほんごう・かずと)さんが読み解きます。

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■命を狙われた許婚は行方不明に。なぜ直虎は出家の道を選んだか?

通説によると、直虎の父・直盛(なおもり)には男子がいなかったため、直盛の従兄弟(いとこ)である直親を養子に迎え、直虎と結婚させようとしていました。しかし1544(天文13)年、直親の父・直満(なおみつ)が、謀反(むほん)を企てたとして今川義元に処刑されてしまう。このとき直親も命を狙われ、信濃へ逃亡して行方不明となり、同じころに直虎は出家したとされます。直虎の生年は不明ですが、当時おそらく8〜10歳くらいでしょうか。12歳以上であれば直親と結婚していたはずですし、3、4歳の幼児が自らの意志で出家するとは思えません。このあたりは想像でしかないのですが、龍潭寺の住職であり、井伊家一門でもあった南渓瑞聞(なんけいずいもん)の影響が大きいでしょうね。
出家の理由はいくつか考えられますが、俗世から離れたいという心理が大きく働いたのではないでしょうか。龍潭寺は臨済(りんざい)宗であり、禅宗での出家は「遁世(とんせい)」といって世を捨てることを意味します。それも室町時代には形骸化していましたが、龍潭寺は井伊家の菩提寺で、先祖代々のお墓もある。そうした環境に身を置き、いろんなことを学びながら、悟りの境地を目指したと考えるのが一般的でしょう。

■井伊家をまとめるため城主になることを決断

直虎の出家から10年ほどがたち、行方不明だった直親が帰国します。そして正式に直盛の養子となり、1560(永禄3)年に当主になったという。しかし、直親は直虎ではなく、井伊家の家臣であり一門衆でもある奥山朝利(おくやま・ともとし)の娘と結婚して男子をもうける。この男子がのちの直政です。直親がなぜ直虎と結婚しなかったのかとか、直虎と直政の実母との間に確執があったというような話は、もう読者の想像にお任せするしかないですね。
しかし直親は、1562(永禄5)年に小野氏の讒言で殺害されてしまう。翌年には、直虎の曽祖父・直平も戦死します。井伊家は相当混乱したでしょう。それをまとめるため、1565(永禄8)年、直虎は次期当主・直政の後見人になったとされます。いわゆる女城主・直虎が誕生した瞬間ですね。直虎の能力もさることながら、井伊家の家臣たちもそれを認めている。現代に例えるなら、夫婦で築き上げた会社があり、夫が幼い子どもを残して亡くなったとします。その子どもが成長するまで妻がトップとして会社を切り盛りする。これなら会社の役員たちも納得しますよね? 当時の井伊家は、そんな状況だったのかもしれません。
■『NHK趣味どきっ! 姫旅 華麗なる戦国ヒロイン紀行』より

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