井伊直虎を立ち上がらせたお家の危機

2017年のNHK大河ドラマでは、動乱の時代に女城主としてお家を守り抜いた井伊直虎(いい・なおとら)の一生が描かれます。直虎が歴史の表舞台に登場するに至った背景を、東京大学史料編纂所教授の本郷和人 (ほんごう・かずと)さんに解説していただきました。

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■室町時代の遠江は関東圏と関西圏のはざまに

井伊氏は『寛政重修諸家譜(かんせいちょうしゅうしょかふ)』によると「藤原氏良門(よしかど)流」とあり、藤原北家(ふじわらほっけ)良門の息子に始まるとされる。そしてその五代の孫・共資(ともすけ)が遠江に移り、その子・共保(ともやす)が井伊谷で井伊氏を称したとされます。しかし、これらは伝説の域を出るものではありません。ただ、井伊氏が井伊谷を基盤とする新興勢力として成長し、南北朝時代には後醍醐(ごだいご)天皇の皇子・宗良親王(むねよししんのう)を保護するなどして、南朝方として戦ったことは史実です。
それよりも重要なのは、当時の遠江や駿河(するが)の地理的情勢を知ることではないでしょうか。現在はどちらも静岡県ですが、当時は別の国です。駿河より東は関東であり、駿河の守護である今川氏は京に上る必要のない、関東公方(かんとうくぼう)の目付役(めつけやく)だったのです。なぜなら関東地方の領主たちを束ねる関東公方は、京の幕府にとっても怖い存在でしたので、今川氏を使って常に監視していたわけですね。
これに対し遠江より西の守護は京に住むことを義務づけられ、任地を留守にしていました。遠江の守護は主に斯波(しば)氏でしたが、斯波氏は遠江以外にも越前(えちぜん)と尾張(おわり)の守護でもあり、どちらかといえば遠江への関心は低かった。つまり、井伊氏をはじめとする遠江の国人領主(こくじんりょうしゅ/守護とは異なり、実際に在地に住んでいる実質上の領主)たちは、上(守護)からの締め付けが緩く、比較的自由に暮らしていたのではないかと想像できます。

■今川家に仕えるもお家断絶の危機に

そんな遠江にも戦国の世は訪れます。今川義元(いまがわ・よしもと)の祖父・義忠(よしただ)が遠江侵攻を開始し、義元の父・氏親(うじちか)のころには遠江をほぼ平定。そして義元はさらに西の三河(みかわ)にも手を伸ばします。このことから、井伊直虎の曽祖父である直平(なおひら)が今川家に従属したのは、氏親か義元の時代と考えてよいでしょう。
しかし、今川家に従属したからといって、井伊家が安泰になったかというとそうでもありません。年表からも分かるように、跡継ぎとなる男子は次々と今川家の命令で処刑されたり、桶狭間の戦いなどで戦死したりするわけです。また、一般的には家臣とされる小野氏の讒言(ざんげん)や裏切りで窮地に立たされますが、この小野氏、実は家臣ではなく、井伊氏と同列の国人領主ではなかったかと思います。小野氏にしてみれば井伊氏の勢力を削(そ)ぐことによって、自らの勢力を拡大することができます。仮に家臣であったとしても、戦国時代と江戸時代の家臣は違います。当主に能力がなければ取って代わる、あるいはほかの当主につく、といったことは戦国時代において日常茶飯事でしたからね。いずれにしろ、井伊家では跡継ぎが絶えかけ、お家断絶の危機が訪れるわけです。

 

■井伊家存続のために立ち上がる直虎

さまざまな要因から男子が絶えかけたとき、危機を救ったのが井伊直虎です。ただ、当主の定義は軍事と政治の両方を兼ねて初めて成り立つものであり、直虎が軍事的な司令官の役割も果たしたのか、つまり井伊家当主と呼べる存在だったのかは慎重に検討すべき課題だと思います。しかし、元許婚であった直親(なおちか)が殺害され、直虎の曽祖父・直平も戦死した。残された井伊家の男子はまだ幼児である虎松(とらまつ/のちの直政)のみとなり、虎松が元服するまでの非常事態を乗り切る苦肉の策として、直虎が実質的な当主になったのでしょう。
うがった見方をすると、直虎は本当に女性だったのか? という疑問も出てきますが、江戸時代の中期、1730(享保15)年に龍潭寺(りょうたんじ/静岡県浜松市)の住職がまとめた『井伊家伝記』にはそう書かれています。当時、女性が城主であった事実は井伊家にとって決して得になることではないことから推測すると、十分あり得たと思います。同様に徳川家康の正室であった築山殿(つきやまどの)は、江戸時代は悪女として有名でしたが、それでも井伊家の系図に載っている。こちらも何のメリットもないことですので、築山殿もまた、井伊家の女性であったと考えてよいでしょう。
■『NHK趣味どきっ! 姫旅 華麗なる戦国ヒロイン紀行』より

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